偽物伯爵のリパナスタ!!〜無能領主を演じつつ、どん底領地を立て直します!〜
澄庭鈴 壇
第1章 春の嵐
第1話 高貴な夜
夜の帳が降りて、どこからか聞こえるヴィージの羽音。
りんりん……と美しいその音は人々の眠気を誘い、優しい夢に寄り添う。
グリッケン教国の辺境。
その森の中に拓かれたこの地、プラト開拓領。
栄えている……とはお世辞にも言えないこの地で、一番大きな木造の建物の2階の一室は、星々の柔らかな光に照らされていた。
とてもよい夜だ。
若い男女が多少盛り上がってしまい、勢いで嬉し恥ずかしな告白とかをしちゃったりしても、許されてしまうくらい。
大人な男女がいけない遊びをしたりしなかったりしても絵になるであろう。
しかし……しかしである!
「むちゅーーーー♡」
小太りお坊っちゃん伯爵と、その副官が熱い口づけを交わす夜ではないはずなのだ!
「エト伯爵!俺!俺ですって!副官のロエルですから!あなたの部下!」
「むちゅ、今は我以外の男性の名を口にしないでいただけるでござるか?しかし近くで聞くとやはり可憐な声でござるな!ドュフフ……むちゅーー♡」
「ち、近い近い!やめて!」
男性同士でもお互いが好きあっているのなら別によいのだ。
それはそれで本人達が幸せなんだし。
なんなら一部の女性たちが喜ぶ場合もあるみたいだし……。
しかし……しかしである!
俺は女性が恋愛対象なのだ!
眼の前の上司、エト伯爵のような小太りお坊ちゃまを愛しているかと言われれば。
断じて否っ!
俺は必死になって、伯爵の接吻攻撃を避け続ける。
それは歴戦の騎士が見せる剣舞の域にまで達した、見るものを魅了する華麗な動きだった……かはわからないけど、とにかく頑張った。
とはいえ、伯爵に頬を両側から掴まれている状態。
歴戦の騎士とはいえ人間。
剣舞にはいつか終演がやってくる。
っていうか俺は半年前に着任した、ただの副官である。
つまり、絶体絶命の危機である。
俺が不本意ながら守ってきた初ちゅーの危機である!!
それに伯爵の初ちゅーだって危機なのだ。
彼だって恋愛対象は女性。
初めては美人で巨乳のお姉さまがいい……と、普段から俺にこぼしていらっしゃる。
「美人で巨乳のお姉さまとのちゅーはどうしたんですか!?伯爵の夢はどこへいったんですか!?」
俺は人生初の剣舞を続けながらも、こじらせ伯爵へ必死の説得を試みる。
のしかかられ、押さえつけられた現状をなんとかしようと暴れるが、その全てを抑え込まれてしまう。
これが童貞力……!
まさか、こじらせた分だけ力が強まるのではなかろうなっ……!
「とんでも、むちゅっ、ない!卑下されずともよいのでござるよ!フヒヒ」
ええい!むちゅむちゅをやめんか!
おおおい!!よだれを垂らすなあ!
「鏡を見たことがお有りでしょうに!まさにノフィ嬢こそ、我の理想の嫁ですぞ!むちゅ♡」
――そう、これがすべての原因である。
印象に残らない顔。
低くも高くもない身長。
忙しさにまかせたボサボサで藍色の髪。
控えめにいって見た目的な魅力のない副官だった俺は。
美しく、珍しい緋色の髪。
白く、うっすら輝くような肌。
男性なら誰でも振り返ってしまうほどの豊かな胸。
身長も高く、精巧にできた彫刻のような姿。
ここプラト領に咲き誇る可憐な女性。
ノフィ開拓支部伯爵に容姿が瓜二つになってしまったのだ!
どうも伯爵の私室に入る直前、扉の前で呼びかけた時には既にそうなっていたようなのだ。
原因は当然不明。
何がなんだかわからない!
そんな摩訶不思議現象に心当たりのある人間などいないわけで。
扉を開けしばしの沈黙の後、重度のこじらせ童貞であるエト伯爵はあっという間に暴走を始めた。
こんな夜更けに、しかもやたら雰囲気のいい夜に、憧れの女性が寝室を訪ねてきたのだ。
少しくらい舞い上がる気持ちはわからなくもないけれど……。
やはりこじらせ童貞の、こじらせっぷりは半端ではなかった。
伯爵はあっという間に俺の腰に手を回し、信じられない力で寝具の上へ投げ込んだのだ。
部屋の入り口から見える鏡で現状を認識して、頭が真っ白になった俺は抵抗するのが遅れた。
彼にぴょーんとのしかかられるまで、完全に呆けた状態だったのだ。
不幸中の幸いは、「むちゅー♡」と近づく唇にすんでのところで思考を取り戻せたことだ。
悲惨な事故への予感が、きっと俺を覚醒させたのだろう。
おかげで、大事な初ちゅーを無抵抗に持っていかれることはなかった。
そして現在、俺と伯爵はお互いの哀しい思いをぶつけ合う、この世でもっとも見苦しい戦いを繰り広げているのである。
朝まで続くかに思えたその戦いの最中、唐突に俺の胸元でカチッと音がした。
――瞬間、室内は改めて沈黙に支配された。
まるで、この部屋の扉を開けた際に訪れた沈黙が、もう一度再現されたかのような静けさ。
見るも耐えない取っ組み合いのせいで遠ざかっていた、ヴィージの羽音がもう一度耳に入ってくる。
俺は世にも悲しい行き違いがようやく正され、剣舞の終演がやってきたことを悟った。
動きを止めたエト伯爵は、ようやく正気を取り戻したのだろう……。
と、わずかに安堵した矢先。
「ふぉげええええええええええええ!!!!!」
唐突に耳を突き抜ける絶叫。
至近距離で繰り出されたそれの発生源は、白目を向いたこじらせ伯爵であった。
そして彼は、聞き苦しい汚声をあげながら、再度俺に倒れ込んでくる。
「あぶなっ!!」
白目伯爵の熱い接吻など大金をもらってもお断りだ!
俺は剣舞を今しばらく延長し、落ちてきた顔を避ける。
さきほどの沈黙は、俺を油断させるための策だったのかと思った時。
彼の顔はそのまま俺の頭を通り過ぎ、寝具の上に敷かれた布団に突っ伏すとぴくりとも動かなくなった。
「え、エト伯爵?」
接吻攻撃を諦め、一転抱擁攻撃にでたのかと思ったが、どうも様子がおかしい。
のしかかられたまま、肩の隣に突っ伏す伯爵の頭をこちらへ少し向けると……。
「し、死んでる……!?」
白目をむき、泡をふくこじらせ童貞上司の顔がそこにはあった。
二度と見たくない上司のむちゅー顔を超える表情に、俺は全身から血の気が引いていくのを感じた。
「は、伯爵……?あの、伯爵さまー?」
ほっぺたをぺちぺちと叩いてみるが、一切の返事はない。
と、そこで「自分の腕」に気づく。
先程まで透き通るような白さに変化していた「自分の腕」。
それが今は、18年連れ添った元の腕に戻っている……!
もしかして……。
俺は状況を確認するために伯爵をどかそうとする。
しかし、彼が身につけている肉布団のせいで中々うまくいかない。
全身の力が抜けてしまった人間はとても重いんだな……などと考えながらもぞもぞと動いていると。
ばんっ、と勢いよく寝室の扉が開かれた。
反射的に扉のほうへ顔を向けると、そこには短い銀髪の少女が立っていた。
襟付きの白い上着と、短めのズボンという一般的な服装。
けれど、彼女はどこか浮世離れしているような、この領地ではあまり見かけない不思議な雰囲気を持っていた。
少女はすぐに俺と目が合う。
俺は寝具の布団に転がっている状況。
そしてその上にはエト伯爵が覆いかぶさっている。
「あ、えっと。その……ごゆっくり」
少女はさっと顔を真っ赤にすると、気まずそうに、しかし丁寧に扉を閉めた。
いやいやいや!!!!
と、声をあげようとしたその時。
「って違ああああああう!!!!!」
もう一度扉は勢いよく開き、さきほどの彼女が大きな声をあげながら部屋の中央まで入ってきた。
よかった……助けが来てくれた……!
「スタンデール!!!縛り上げなさいっ!!!」
「直ちに」
少女が大きな声を上げると、どこからともなく高級そうな服に身を包んだ初老の男性が表れる。
白目泡吹き小太りこじらせ童貞伯爵はあっという間に床へ転がされ、そんな彼によって瞬く間にしばりあげられる。
というより、エト伯爵生きてるのかな……。
「えっなにこれ気持ち悪っ!!……し、死んでるの?」
「いえ、息はありますね。何か恐ろしいものを見たのでしょう、悲痛な表情をされておられます」
恐ろしいもの……?
「あっ!!」
俺は自分の腕が元に戻っていたことを思い出す。
もしかして伯爵は……と、室内の鏡を使って自分の姿を確認しようと立ち上が……れなかった。
「お、俺もっ!?」
俺も縛られていた。
それはもうぎっちぎちに縛られていた。
むしろ伯爵より本数が多い感じで縛られていた……!
どうやら伯爵より先に……俺が瞬かない間に縛りあげられたらしい。
こ、このおじ様手際良すぎやありませんか!?
「お褒めに預かり光栄です」
次にまばたきをすると、今度はあっという間に椅子に座った状態で縛り付けられ、おじ様が穏やかな笑顔を向けていらっしゃる。
何故かお尻を撫でられたような感触があったが、きっと気のせいだ。
彼の笑顔に少し含むところがあるように見えるのも、きっと気のせいだろう。
こちらに片目をしきりにつぶるけど……気のせいだろう。
そして、俺のよく知る人物に似ているけど……これも気のせいだろう。
だよね……?
次々と起きる想像を超えた事態。
なんとか状況を整理しようと周囲を見渡す。
そんな俺の眼前には椅子に座り、俺に視線を向ける少女。
こうして近くで見ると、少し勝ち気な瞳が印象的な美少女だ。
俺より身長は低めで、胸は平らだけれど、男性をはっとさせる溌剌さのようなものを感じる。
夜空の星の光を浴びて、美しく輝く肌はどこか高貴な印象だ。
おじ様は素敵な笑みを浮かべ、その横に綺麗な姿勢で控えている。
お付きの執事、というような格好だろうか。
そして少女はたっぷりと時間をおいた後、俺に質問をしてきた。
「そ、それで、貴方……男が好きなの?」
「断じて否っ!!!」
思わず叫んでしまった後にやってきた沈黙。
りんりん……と穏やかな、そして何処か幻想的な音が響く。
これが彼女との初めての会話だった。
――好機は好機の顔をしていない。
そんな言葉がある。
自身にとって飛躍の機会、一攫千金の機会、幸運の訪れ。
そう言ったものは大抵始めはそうとはわからない、ということを指した言葉だ。
けれど俺は例外もあるということを知ることになった。
だって俺の眼前に表れたのは結局。
好奇な顔を隠さない、高貴な好機だったのだから。
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