ウィアードウェイ・ワンダラー

闇世ケルネ

第1話

七月三十一日

今日は砂漠だ。見渡す限り砂だらけ。サボテンのひとつもありゃしない。

砂嵐に遭ったのは何年ぶりだ? 故郷で一回酷いのにぶつかられたが、あの時よりも酷かった。右も左もわからなくなるようなのが、起きては収まりを繰り返してる。息が出来なくて死にそうになったが、幸運にも洞窟を見つけられた。今日はここで寝ることにする。

水とジャーキーがそろそろ無くなる。次はオアシスにでも飛ばされてりゃあ良いんだが。


 皮手袋の手がページをめくり、白紙にペンを走らせる。


八月一日

目が覚めたら森だった。ラッキーだ。オアシスとは行かないが、ウサギか何か獲れるだろう。弾はあんまり使いたくないが、そうも言ってられない。ジーザスだかなんだかに感謝するべきか? って思ったが、そうでもない。感謝されたきゃこの意味不明な状況をなんとかしてみろって話だ。


 記述の手を止め、ダリルは肩を落として溜め息を吐いた。濃い無精髭に覆われた鋭い顎を撫でながら、テンガロンハットの鍔を目深に下ろし、恨めしげにぼやく。

「狂ってやがるぜ……」

 クマの浮いた目で革張りの手帳をパラパラめくる。手帳の一ページ目には、こう書かれていた。


七月十四日

起きたら山の中だった。

書いてて何言ってんだって思うが、どう見たって山だ。地面が斜めってるし、樹が生えてる。鳥もいる。

おかしい。昨日は普通の一日だった。朝から酒飲んで、バカ共とポーカーして、適当に金巻き上げて家に帰った。確かだ。

酒癖の悪さは自覚してるが、飲んで酔い潰れるほどヤワじゃないし、まして酔った勢いで登山なんてするわけない。夢か? それにしてはハッキリしている。

ともかく、一度降りなきゃならねえ。気分もなんだか落ち着いてきたしな。


 適当にページを進める。


七月二十一日

今日はどこだかわからねえ。

山ん中で起きてから、かれこれ一週間経った。山を抜けようとしたら滝壺に居て、滝から離れようとしたらバカでかい鳥の巣に居て、って感じだったが、今日は本当にわからねえ。魚の鱗みてえな地面がずっと続いてる。

毎日毎日、気づいたら妙なとこに居る。移動しようとしても抜けられねえ。仕方ないから適当なところで寝て、起きたら全く違う場所に居る。この日記が夢じゃないなら、間違いない。そろそろ醒めて欲しいところだが、一週間も続く夢なんてあるか? けど、どう考えたっておかしい。

山に迷い込んでからこの方、夜にも夕方にも合わない。太陽はいつまでも俺の真上にある。いくら歩いても、どれだけ待っても動かない。俺はおかしくなったのか?


七月二十五日

今日は街だった。迷ってから初めてだ。誰かいないかと思ったが、なんでかゴーストタウンになってる。ただ、食糧と水と、ベッドはあった。誰の家かも知らねえが、いないなら使わせてもらおう。

いい加減ホームが懐かしい。戻ったら、あの馬鹿共に酒でも奢ってやるのがいいか。


 ダリルは日記を閉じた。腰に下げた袋を覗くと、ジャーキーが数本あった。一本取り出して噛み、水袋を呷る。切り株に腰掛けたまま空を見上げると、生い茂る木々の葉に丸く切り取られた青空。太陽は中天にあった。

「ファック……」

 太陽を罵ると、ダリルは再び手帳を開く。日記の続きに神への罵倒を書き連ね、切り株から立ち上がった。ホルスターから銀のリボルバーを抜き、弾倉を確認。弾は六発。腰裏につけたポーチに手を突っ込んで、中の予備弾を数えながら、ダリルは周囲に耳を澄ませた。

―――とにかく、兎か鳥でも探すか。弾はもったいないが、四の五の言ってられねえ。

 弾倉を閉じたダリルは前を向き、木々の立ち並ぶ森へ進む。最初の樹とすれ違いかけた、その時。

「どこへ行く」

 ダリルは背後に銃口を向けた。彼が座っていた切り株に、ボロ衣を被った老人が腰かけており、フードの奥からダリルをじっと見つめていた。ダリルは眉根を寄せ、警戒しながら老人に問う。

「爺さん……あんた、いつからそこに居た? その切り株はさっきまで、俺がケツ置いてたんだがな?」

「意味の無い質問だ」

 老人は突っぱね、ダリルと睨みあう。その瞳に糾弾めいた色合いを見たダリルは、引き金に指をかけた。

「……言葉には気をつけてくれよ、爺さん。こっちは今切羽詰まってて気が立ってんだ。うっかりあんたに風穴空けるかもしれねえ」

「空けたくば、空けろ。弾が無駄になるだけだ」

 BLAM! 銃声に驚いた鳥達が空を横切る。老人のフードをかすめた弾丸が、彼の背後に立つ樹に突き刺さっていた。

「言葉に気をつけろって今言っただろうが。答えろ。あんたは誰だ。いつからそこにいた」

 老人は嘆息し、諦めたように首を振った。

「今だ。今、俺はここに出た。そして、お前を見つけた」

「そうか。で、これが三度目だ。あんたは誰だ」

 老人の目がダリルを射抜く。ダリルはクラッと来た頭を押さえた。眉間に皺を寄せて耐える彼に、老人は言った。

「お前、今まで人に会ったか」

「……いいや」

「それが答えだ」

 ダリルは怪訝そうな顔をした。軽く首を振って目眩を払い、言い返す。

「答えになってねえ。俺が誰にも会ってねえからなんだ。あんたと今、こうして会ってるだろうが」

「いいや、会ってねえ。これまでも、これからも。お前は誰とも会うことは無い」

 老人の異様な雰囲気に圧され、ダリルが一歩後ろに下がる。髭の浮いた頬を冷や汗が伝う。

「気に食わねえな。……何を知ってる」

「四十年と、七ヶ月と、二十一日に渡るお前の旅路だ。俺が誰かわかる日は、四十年後にやってくる。俺と同じように。だが」

 老人は切り株から立ち上がり、三歩前に出た。そしてボロ衣を片手で跳ね上げ身構えた。腰には銃を差したホルスター。

「お前に、その日が来ることは無い」

 目を見開くと同時、ダリルの時間が鈍化した。老人の皮手袋を嵌めた手が、腰に吊ったホルスターから銀のリボルバー銃を抜く。決闘の感覚。銃口をゆっくりと向けられたダリルは、口元を引き締め、銃の引き金を引いた。

 BLAM!

 銃声が響き、風がざわめく。固まったまま動かないダリルの前で、老人が後ろによろめき、再び切り株に座り込んだ。がくりとこうべを垂れた老人の眉間が、空いた風穴から血を流す。赤黒く汚れていくマントが風に煽られてはためく。ボロボロになったマントの胸から、ボロボロになった皮の手帳が芝生に落ちた。

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