第36話 とある男の戦争記_3
村が見えてきた。
もう、これで安心だ。
そう思っていた。
そう勘違いをしていた。
村の方に赤い尾が伸びているのが見えた。
それは、近づくにつれて大きく、蛇の舌のようにチラチラと揺れているのが分かった。
――――火だ。
いや、正確には火事と言うべきなのだろう。
まさか、敵が既に村に侵入をしていただなんて……。
どうする。
逃げるのか?
どこに?
逃げ切れると思った所に俺達は逃げて来た。
でも、そこには敵がいた。
袋のネズミだ。
「くそっ!!」
「そ、そんな……」
アリスの絞り出した微かな声が、俺の耳が捉えた。
「アリス……」
俺達は村に向かうことしか出来なかった。
そこに何があるのか分かっていた筈なのに。
そこに地獄があると分かっていた筈なのに。
でも、それしか道が無かったからそうするしか無かった。
こうするしか俺たちに選ぶ選択肢は無かった。
例えそれが、自分達を苦しめることになると分かっていても。
僕達に何が出来るのだろう?
何が出来ると言うのだろう?
目の前に現れた光景は、地獄絵図そのものだった。
――――転がる肉片。
――――灰と化したガラクタ。
――――大切な人達の日常が失われていた。
「あ、あ、あ、あ、あ……」
アリスが絶叫を上げる直前だった。
彼女の口を塞いで俺は茂みの中に隠れる。
犯人は誰なのか。
森の中で俺たちを襲おうとした連中と同じなのか。
それを確かめなくてはいけなかった。
それが俺が今果たす義務だと自分に言い聞かせた。
アリスの反応が正常なのだろうと思う。
でも、俺は自分の家族が灰にされたのを目の当たりにしても何も感じることは無かった。
いや、もちろんショックではある。
でも、それ以上にこれをやらかした犯人を追い詰めたい。
倒したいという気持ちの方が大きかった。
自分の中身が空っぽみたいだ。
もう一人の自分がいるみたいな気持ちだ。
今の自分はまるで抜け殻のようだ。
「くそっ。あいつらはどこに行った」
家の方から声が聞えた。
暴れようとするアリスの声を手で防ぎながら観察をする。
あいつらが犯人だ。
俺たちの仇なんだ……。
燃え盛る瓦礫の間から犯人の姿が今――――明らかになる。
「な、何だあれは……」
生き物なのか?
真っ黒な肉体。
だが、かなり筋肉が付いている。
加えて、真っ白な野獣のような牙に頭に二本漆黒の角が生えている。
お尻には、長い尾が二本ついていた。
顔はどの悪人よりも悪人らしい。
血赤の双眸。
それらの姿はまるで、童話やおとぎ話に出てくる――――。
「……悪魔だ」
そう。
悪魔そのものの姿だった。
あれは既に生き物ではない。
逃げなくてはと本能が言っている。
でも、体が言うことを聞いてくれない。
なぜだ。
動け。
両手を見ると震えていた。
手汗をこれでもかというほどに流していた。
動けない。
逃げなくてはと本能が警告をしているにも関わらず、逃げ出すことが出来ない。
なんでだ!!
逃げないといけないことは分かっているはずだ。
でも、それでも、恐怖で体が動かないのだ。
逃げないといけないと分かっていても、恐怖の念の方が打ち勝っているのだ。
「くそ。動け。動けよ。俺の体……!! 今動かないといつ動くんだ。なぁ!!」
幾ら頭の中で命令をしても結果は何も変わらない。
「おやぁ? あそこに誰かいるねぇ。人間の子供かなぁ?」
「本当かい? 人間の子供なのかい? それはありがたい。ありがたい。食ってしまおうぞ。美味しくいただくことにしようぞ」
「まあまあ、待て待て。そうあわてるな。人の子はじっくりいたぶってから食うのがセオリーだ」
二体の悪魔が俺たちの姿に気づいて近づいて来た。
ああ。だめだ。
殺されてしまう。
自分の最期は「悪魔に殺される」か。
なんて惨い死に方だ。
絶対にそんな死に方嫌だけど、それが俺の運命と言うのなら仕方がない。
それを受け入れてみるしかないのだろう。
「自分の人生がいい人生だった」と言えるような人生だったとは決して言えるものでは無かったけれど、それなりに満足はしていた。
家族がいて、親友がいて。
それだけで俺は満足だったんだ。
「なんだ。お前ら子供か。なら、なおさら旨そうだ」
今にも悪魔の鋭い五本の爪が俺の首を締めようとしていた。
その時、耳に純粋な、透き通るような声が聞えて来た。
「逃げなさい。貴方には果たすべき責務があります」
「だ、だれだ?」
「今、私は貴方の頭に直接語り掛けています。逃げなさい。逃げなければあなたは死にますよ。貴方は人類の救世主になるのですから。ここで死なれては困ります。私についてきなさい」
目の前に、ぼんやりと蛍光色に光る蝶が現れて、こちらに来なさいと言わんばかりにひらひらと飛んでいた。
「生きなさい。貴方には果たすべき責務がある」
その時、ばちっと体中の何かが動いたような気がした。
魂のスイッチがオンになったような気がした。
そうだ。
生き延びなくては。
ここで死ぬわけにはいかないんだ。
「アリス。行くよ」
「え?」
「お、おい。待てガキ」
彼女の手を繋いで急いで行く。
森の中を走る。
目の前の蝶をめがけて必死に。
死に物狂いでついていった。
その後のことは何も考えていない。
でも、心の中に穴がぽっかりと開いているのを感じた。
――――虚無感。
――――無力感。
自分はもっと力が欲しいと思った。
あいつらを倒すための力が。
目の前に光が見えて来た。
俺は、もっと――――。
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