ただの町娘なのに魔王の呪いで最強になってしまいました〜えっ、瀕死状態(HP1)固定ですか!?〜

アサミ

プロローグ

 カン、カン、カン……

 カン、カン……


 時刻を告げる鐘の音が、海沿いの灯台から早朝の薄闇の中、薄暗いリッシュの部屋にも響いた。

 麻でできた薄い掛け布団の中でリッシュは目をつむったまま、鐘の音をひとつふたつと数える。

 灯台守の打ち鳴らすこの音の数は、そのまま時刻を意味する。


(――5時だ)


 昨日の疲れがまだ足に残っているようなむず痒さを感じて、身を起こすのが億劫だった。

 かと言って、惰眠を貪れるほどリッシュを取り巻く環境は生易しくない。今日も6時から船の荷下ろしの仕事がある。

 いくつもいくつも、重たい樽を運び出すのは骨の折れる作業だが、そうでもして身銭を稼がなければ、頼るもののないリッシュは生きてゆけない。


 晩夏の朝は、薄い寝間着の上からじくりと侵食してくるような寒さを連れてくる。

 裸足のつま先をすり合わせながら、起きなければならないと自分を奮い立たせてなんとか布団から這い出た。その時、リッシュの華奢な肩口から柔らかく長い鳶色の髪がこぼれ落ちる。伸ばしているのは女心からではなく、十分に伸ばしてから髪結いに売りつける腹づもりだからだ。


 まだ覚め切らぬ頭を切り替えようと、窓に近づいて薄汚れたカーテンを左右に引けば、空はどんよりと重たく曇っていた。

 体が重いからせめて空だけでも明るくあって欲しかったが、いくらなんでも天候にわがままは言えない。


(でも昨日、ベネットさんが明日は晴れるって言ってたのにな)


 ベネットさんはリッシュの雇い主であり、この家の家主でもあり、奴隷船に乗っていたリッシュをうちで働けと引き取ってくれた人でもあった。


 生まれも育ちも生粋の港っ子であるベネットさんはまさしく海のように懐が広く深い人で、先祖代々漁業を営んでいたために天候の変化に聡い。

 ベネットさんの天気予報が外れたのは、リッシュが知る限り初めてのことだった。


 とはいえそれが意味するところなどリッシュには考えられなかった。否、考える必要がなかった。

 天気予報が外れても、槍が降ってこようとも、リッシュの毎日はさして変わらない。


 朝早くから働いて夜遅くに帰ってきて白湯をすすってから泥のように眠る。

 週に一度だけあるお休みの日には自室のベッドで6日分の疲れを癒し、月に一度だけ開かれる外国とつくにの露店でこっくりとした深い飴色のプディングを買って食べるのが唯一の娯楽となる毎日。


 以前ベネットさんにそれを話した時に「年頃の娘なんだからもう少し遊んでもいいのに」と渋面されたが、リッシュは自分で稼いで自分で食べ物を買って、自立して生きていること自体が幸せだった。


 確かにこの生活に余裕はないし、体も度重なる肉体労働で悲鳴をあげている。

 しかしリッシュの心は常に自由で、何にも縛られることがなく、好きに生きて好きに死ぬことができるのだ。


 なんの権利も持たない奴隷として売られる一歩手前だったリッシュにとって、生殺与奪の権利が常に自身の掌中にある時点で、この生活に不満はなかった。


 ――しばし窓の外を見ていると、その灰色の雲の中、の群が姦しく鳴きながら、散り散りに飛んでいくのが見えた。


 シェーイバはこの港に住み着く海鳥の一種で、大きな口で獲物を丸呑みにし、口の中で獲物を溶かす習性をもつ。

 見た目はずんぐりむっくりで愛嬌があるが、その消化液は強酸性で噛まれると非常に危ない。晩秋になると群で一斉に南下する渡り鳥だ。


(まだ渡るような季節じゃないのに……変なの)


 何かから逃げていくようなシェーイバに違和感は抱いても、それが何によるものなのかは、リッシュには皆目見当がつかなかった。


 天気予報が外れたこと。渡り鳥が季節でもないのに移動していること。

 どちらも不吉な予兆であることには違いなかったが、それらが、自分の毎日を脅かす者がこの地に降り立った合図だったとは、この時のリッシュにはわからなかった。



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