心の奥(2)

『三崎さん、こんな年末の慌ただしい時に、突然すみません。

 近いうちに、一度お会いできないでしょうか?』


 ついには宮田の恋の悩み相談室と化したクリスマスパーティから約一週間後。

 年も押し迫った12月30日、金曜の夜9時過ぎ。子供達を寝かせ、入浴を済ませた髪をタオルで拭いていると、テーブルのスマホがメッセージの着信を知らせた。

 いつもの穏やかで落ち着いた須和くんとは違い、どこか切羽詰まったようなその文面に、俺の眉間に無意識にシワが寄る。


『うん、もちろん大丈夫だよ。

 何かあった?』

 漠然とした不安のままに、そんな問いかけを送る。


『えっと、その……ちょっといろいろ……

 詳しくは、お会いした時に話せればと』


 何とも意味深な言い淀みっぷりだ。

 パーティからこっち、宮田と須和くんのことを考えっぱなしだったこともあり、胸のざわつきが一層大きく立ち上がる。

 しかし、今すぐ洗いざらい聞かせろと強要できるわけもない。

 気持ちの波立ちを抑え、返信を打つ。

『うん、わかった。

 年末年始はお互い慌ただしいよね。いつにしようか?』

『実は俺、昨日から実家に戻ってます。年末年始くらいは親に顔見せようかな、と。なので、同じマンション内にはいるんですけどね』

『あ、そうなの?

 なら、多少バタバタしてても良ければ、明日の午後にでもうちに来る? 大掃除は今日大体終わらせたし、子供たちもいるからおせち料理も作ってられないし。明日は大晦日だけどほぼ平常運転になると思うから』 

『え、本当に大丈夫ですか?』

『うん。

 それに、須和くんの話の中身が気になるっていうのも実際かなりある』

『……ならば、お言葉に甘えて、明日午後伺います』

『了解。2時頃でもいいかな?』

『わかりました。

 ありがとうございます!』

 ピョコンと子犬がお辞儀するスタンプが届いた。


 やりとりを終えたスマホをテーブルに置きながら、ふうっと一つ息が漏れた。

「ん、誰かから連絡?」

 大掃除の汚れやホコリやらをシャワーで洗い流してきた神岡が、俺の様子にそう声をかける。

「あ、ええ。須和くんから、できれば近いうちに少し話がしたいってメッセージもらって。明日の午後、うちに来ることになりました。大晦日だけど、特に都合悪くないですよね?」

「ん、こちらの都合は全然問題ないけど……」

 冷蔵庫からビールを二本取り出し、ソファへ座りながら神岡は微妙に表情を濁らせた。

「このタイミングは、やっぱり恋愛絡みの話だったりするのかな……」

「メッセージの雰囲気から、須和くんの心中もざわついてる気配が伝わってくるんですよね。彼の居候先の相手が、信頼できる先輩でバイセクシャルっていうのも、何だかすごく気になっちゃって」

 目の前に置かれた缶に手を伸ばし、俺もそう呟く。

「宮田くんは宮田くんで、クリスマスパーティ以降も仕事が随分忙しいみたいだからな。須和くんへの行動を起こそうにも、じっくり大事なことに向き合う余裕などきっと作れてないだろうし」

「いつもはヘラっとフットワークいいくせして、そういう自分自身の重要なことになるとびっくりするくらい不器用ですからねあの人も」

 タブを開け、ぐっと呷った缶をテーブルに置いて、神岡は難しげに腕を組む。 

「パーティでは、自分の軽率さをかなり悔やんでた様子だったからな宮田くん……

 これ以上は、安易な行動をとりたくないんだろう。須和くんのためにも、自分自身のためにも。

 あ、冷蔵庫に生ハムあったね。出そっか」


 立ち上がる神岡の背を見上げながら、俺はパーティの日の宮田の様子を思い出す。

 いつものような明るい様子をしながらも、あの夜の宮田の吐露には、一歩間違えば頭を抱えてしまうんじゃないかと思うような危うさがあった。


 考えてみれば、確かにそうだろう。

 誰よりも大切なはずの人を、ズタズタに傷つけるようなやり方で部屋から追い出してしまったのだから。

 これ以上須和くんのこの先を潰してしまうことだけはできないと、今の宮田はそう思っているに違いない。

  自分自身をクズときっぱり認定している彼のことだ。須和くんへの恋心がどれだけ本気だとしても、結局自分が須和くんに相応しい存在になり得ないと判断すれば、すっぱり諦めてしまう可能性もある。

 想いを須和くんに告げて良いのか、それともこのままフェイドアウトがいっそ須和くんのためなのか。宮田は今、そんなことを思い悩んでいるような気がしてならない。


 ビシャビシャと泥の中を歩いてきたような宮田が、生まれて初めて本気の恋をしている。

 彼のその想いを、実らせてやりたい。


 須和くんの心は——今、誰に向いているのか?


「生ハムにチーズ巻いてみた。なかなかいい出来栄えだよ! 明日これ須和くんにも出そう」

 そこへ、なんとも嬉しげに皿を手にした神岡がキッチンから戻ってきた。 

 差し出された皿を見れば、生ハムにクリームチーズをくるくると巻いたちょっとお洒落なつまみが並んでいる。

「え……

 確かにつまみとしてはいい出来栄えですけど……明日、これを須和くんにですか? さすがにこれ、お茶請けにはならないんじゃ……」

「んー、そう? じゃあお酒も出しちゃえばいい。込み入った話とアルコールは相性抜群だからね。うまくいかない話もうまく行ったりする」


「——それもいいかもしれませんね」

 こういう時のこの人の柔らかさは、ざわつく心をいつもふっと和らげてくれる。

 悪戯っぽく微笑む神岡につられて、俺も小さく笑った。







 


 翌日、大晦日の午後2時。外の空気は冷えているが、穏やかな日差しが優しく窓から差し込む。

 インターホンの音に、晴と湊がぱっと立ち上がった。

「しょーご!!」

 今日は翔吾おにいちゃんがくるよ、と前もって話しておいたところ、一緒に遊ぶのが待ちきれないようだ。パタパタと駆け出す子供たちについて玄関へ出迎えた。


「こんにちは。ちょっとお久しぶりです」

 チャコールグレーのコートとブラウンのハイネックセーター、黒のスキニージーンズという品の良い着こなしで、玄関先に少し照れたような顔をして立っている須和くんは、以前にも増して艶っぽい男前に変身していた。

 こんなふうに、若者は悩みながら美しく成長するんだなあ、などとやけにおっさん臭い感慨がこみ上げる。

「しょーご、これ、よんで!」

「これ、する! ブーブ、つくる!」

 晴はお気に入りの絵本、湊は大好きなブロックをそれぞれ手にして須和くんの足元にじゃれつく。二人にとって宮田はなぜか100%馬係なのだが、須和くんは本やブロックなど、じっくり取り組む遊び担当のようだ。

「おおー、晴も湊も、またおっきくなったなー! ってかますます可愛いくなって、ほんと天使じゃん……」

 二人を順番に抱き上げ、須和くんは愛おしげにグリグリと頬擦りしてから思い切り「高い高い」をかましていく。

「きゃはははっ!!」

 唐突に高く持ち上げられた二人は、弾けるような笑い声をあげた。

「須和くん、いらっしゃい。荷物持とう」

 神岡も玄関へ出迎え、彼の足元のカバンと紙袋を持ち上げた。

「すみません、慌ただしい時にお邪魔しちゃって。あ、その紙袋、人気のお店のプリンです」

「おお、ありがとう。ここの店のスイーツはどれも美味いよなー。

 そう言えば宮田くんも、このプリンお土産に持ってきてくれたことがあったなあ。ね、柊くん」

「あ……あー、そうでしたね!」

 神岡の言葉に、俺は慌ててそう答えながら恐る恐る須和くんの様子を窺った。


「……そうですか」

 須和くんは、一瞬寂しげな眼差しをしてから、静かに微笑んだ。



「しょーご、つぎ、これ! これよむ!」

「こっち、しょーご、これ、みてっ!」

「わかったわかった。順番な!」

 晴と湊は、リビングのプレイマットで須和くんを散々取り合いながらも、子供の扱いの上手い須和くんの手腕のおかげで充分遊びを満喫したようだ。二人の小さな身体を両膝に乗せ、包み込むように子ども達の相手をする須和くんの姿は、男っぽい温もりに満ちて何とも魅力的だ。


「じゃ、そろそろコーヒー淹れようか。子供達もおやつの後はお昼寝になるから、須和くんもゆっくりしてくれ」

 神岡は、そう笑いながらキッチンへ立つ。


「……それにしても、初恋の人の子供を膝に抱くっていうのは、何だか切ないものですね」

 神岡の出て行ったリビングで、須和くんが不意にそんなことをぽつりと小さく呟いた。


「…………え、何か言った?」

「いえ、何でもないです」


 俺は答える言葉を探しあぐね、結局聞こえないふりをしてしまった。





* 


 



 

 午後3時半。おやつのプリンを食べ、間髪を置かずマットレスに転がってお昼寝タイムに突入した二人に毛布をかけると、俺はすぐさまリビングのソファに戻った。

 隣に座る神岡が、新しいコーヒーを三人分のカップに注ぎ足してから、穏やかに微笑んだ。


「——さて、ようやく落ち着いたな」


 向かい側のソファで、須和くんは表情を固くして俺たちを見つめた。


「……どうしたらいいのか、わからなくて」


 彼の唇から、堪え切れなくなったように言葉が漏れた。



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