行方
『ちょっと変な話なんだけど……須和くん、どこにいるか知らない?』
飼い猫の外出の話かというような何とも軽いその口ぶりに、俺は思わず青ざめた。
「……は!?」
『実はさ、この1週間ほど、部屋に帰ってきてないんだよな、彼』
常に心のどこかでざわめいていたことが現実になったような感覚が、重く頭に覆い被さる。
焦る気持ちを抑えきれず、俺は声を荒らげて彼に問うた。
「まさか……あんた、とうとう彼になんかおかしなことを……!!」
『とうとうって何だよ? 相変わらず信用ないねえ』
「信用の話してる場合じゃないだろ!?」
『そうやってカリカリするから相談しにくかったんだけどさ。須和くんから三崎くんに何か連絡とかはきてない?』
「連絡って……2週間くらい前にLINEでクリスマスパーティの連絡して、スケジュール空けときますって返事もらって、それ以降は……」
『んー、そっか』
「ってか、なんか思い当たることはないのかよ!? そう言えばちょっとケンカしたとか、最近の須和くんの様子が変だったとか……」
『……ないこともないんだが……とりあえず話を聞きたくても電話も出ないし、メッセージも未読無視でね。まあ、彼ももう成人済みなんだし、帰ろうと思えば実家だって近所なんだし。子供の迷子とかじゃないんだからそんなに騒ぐ必要もないだろとは思うんだけどさ』
全く反省を感じさせないその物言いに、俺はブチ切れそうになる。
「おい……あんた、本当に責任感じてんのか? もしも自殺とかやばいことになってたりしたらどうすんだよ!?」
『彼は、そういう子じゃない。
最悪の事態になる前に、必ず誰かに連絡や相談をしてるはずだ』
「……」
明確な口調でそう答える宮田の声に、俺は思わず口を噤んだ。
『——彼は、自力でちゃんと生きていける子だ。僕なんかがそんなに心配することはないんだよ』
これまでの薄っぺらい声とは別人かのような、静かな声。
宮田は、須和くんを信頼しているのだ。心から。
そして、彼のその言葉の中には、どこかに寂しさも潜んでいる気がした。
そんな気配を払拭するように、宮田は声音を戻して軽く提案する。
『ねえ三崎くん、近いうち、ちょっと会えないかな? 今あんま込み入った話してる時間なくてさ。詳しい話は、会った時にするよ。
もし都合大丈夫なら、今度の水曜、そちらにお邪魔してもいい?』
「……わかった。じゃ来週水曜に」
『人気のプリン買ってくよ。晴と湊も好きだったよな? じゃまたね』
通話終了ボタンを押しながら、思わずはあーーっと長いため息が出る。
須和くんの宮田との同居には、俺と神岡もとりあえずゴーサインを出してしまった責任がある。彼の危険人物な一面をもっときちんと説明し、同居を考え直す方向で説得したほうがよかったのだろうか……?
「そうだ、俺からも電話してみよう。何か話ができるかもしれない」
急いでスマホを手に取り、須和くんの番号を呼び出して通話ボタンを押す。
「——……出ないか。
LINEにもメッセージ入れとこう」
安否確認的な内容もなんとなく不自然だし……クリスマスパーティで飲みたい酒でも聞いてみよう、さりげなく。
とりあえず、電話番号を変更してしまったり連絡先を全部断ち切るというような最終手段には出ていないようだ。
しかし……いったい何があったのか? あの温和なタイプの須和くんが、同居人に何の説明もなく部屋に戻らないような案件とは……
「あーーー、宮田ああ!!」
なす術もなく、俺はガシガシと髪を掻き回した。
*
宮田との電話を終え、夕食の支度と子供たちの入浴が済んだ頃、神岡が帰宅した。今日は社外での打ち合わせの後直帰というスケジュールで、いつもより早い帰宅だ。手には美しい化粧箱の入ったリカーショップの紙袋を提げている。多分来週のパーティ用のシャンパンだろう。
「ただいまー」
父親の顔を見て、子供たちはパッとその足元へ駆け寄った。
「ぱぱー!! みて!! おほしさま!」
スーツのジャケットの裾をぎゅっと握り、晴がツリーの方へ神岡を引っぱりながら瞳を輝かせる。
「ぱー、おか!(おかえり!) すーぷ、たべう(たべる)!」
湊はもはや空腹で夕食が待ちきれないらしい。
「おお、途中まで飾り付けやってくれたのか! すごいな! よし、明日続きやろうな。湊はおなかすいたか? じゃ、パパも着替えてくるからみんなでご飯にしよう」
「「ごはん!!」」
この時間の二人のテンションは、一日のうちでマックスになる。父親の帰ってくる時間を子供達が待ちかねる、そんな家族を作れている幸せをじんわりと噛み締める。
今夜のメニューは、ポテトとチキンのグラタン、鮭のムニエル、野菜たっぷりのミネストローネ、ヨーグルトとキウイのデザートという献立だ。なかなかに大盛りなのだが、二人ともそれらをあっという間に平らげる。そんな健やかな息子たちの姿を見つめながらまったり晩酌をする神岡も、この上なく幸せそうだ。
夜8時過ぎ。お腹が満ちてプレイマットで遊ぶうちに目を擦り始めた子供達を布団に誘う。
それぞれ用意した着替え用のボックスから、晴はゾウ柄、湊はキリン柄のパジャマを取り出してくるのが毎日の日課だ。ひとりでの着替えはまだ難しく、バンザイをさせた腕とまん丸い頭にパジャマを通してやる。まだふわふわと柔らかな髪が無造作に乱れる様子も、なんとも可愛らしい。
紙オムツを替え、ズボンを履かせた二人の頭を両膝に乗せ、小さな口の中に歯磨きを施す。その間にも二人の瞼はとろとろと落ちかける。その愛らしさに、思わず笑みが漏れた。
あっという間に眠りに落ちた二人に毛布をかけ、ダイニングテーブルに戻ると、グラタンをつまみにビールのグラスを傾けていた神岡が振り向いた。
「二人とも、寝た?」
「ええ。今日はツリーの飾り付けではしゃぎっぱなしでしたから、疲れたんでしょうね」
「そっか。二人ともほんとパワフルだよな」
「あの……実は今日は、ちょっとショッキングな話があるんです……」
「え、ショッキング?」
神岡の向かいに座りながら、俺は今日の宮田の電話の内容を神岡に伝えた。
「……そうなのか、須和くんが……」
「今度の水曜に、この件の詳しい話をするって、宮田さんうちに来ることになってるんですが……一体、何があったのか……」
神岡も、何か深く考えるようにしながら眉間を微かに寄せる。
「あの須和くんが、そういう態度に出るっていうのは……とりあえず、宮田くんの言動が彼を相当不快にさせてしまったことは間違いなさそうだな」
「宮田さんの自由っぷりは、そばで見ててもかなり危なっかしいし……須和くんは穏やかで温和だけれど、その分繊細な子ですもんね……あーー、何かめちゃめちゃ深く傷つけたりしたんじゃないかって心配で」
その時、テーブルに置いたスマホが着信音を鳴らした。
画面を見ると、須和くんからのメッセージの通知がついている。
急いで画面を開け、内容を確認する。
そこには、シンプルなメッセージが綴られていた。
『三崎さん、せっかくメッセージもらったのに、済みません。今度のクリスマスパーティ、参加できなくなっちゃいました。
とても残念ですが、皆さんによろしくお伝えください』
どうして? 何があったの?
そんな返信を打ちかけて、指が止まった。
今、そんなことを聞いたら、彼を酷く困らせてしまうかもしれない。
もしかしたら、何か悩みの最中にいるかもしれない彼を。
『そっか、わかった』
いろいろな思いをぐっと飲み込み、文字を打ち直す。
今は、須和くんからは無理やり何かを聞き出そうとせず、そっとしておくべきなのかもしれない。
ただ、一つだけ、どうしても確認したい問いを加えて打ち込み、送信した。
『今、どこにいるの?』
少し時間を開けて、返事が来た。
『ちょっと大学の先輩のとこに居候させてもらってます』
『そっか。それ聞けて、安心した。
クリスマスパーティはめちゃくちゃ残念だけど、みんなにも伝えておくから、心配しないで』
『ありがとうございます』
ペコリと犬がお辞儀をするスタンプが届き、メッセージのやりとりはそこで終わった。
言葉少なに送られたメッセージからは、怒りや悲しみは全く伝わってこない。
その分、須和くんの心の奥の苦しさが伝わってくるような気がして、俺は暗くなった画面をじっと見つめた。
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