温もり
須和くんの巣立ちパーティの翌週、水曜日の午後1時。
俺と神岡は、それぞれ晴と湊を抱いて神岡の実家の広いリビングにいた。
晴と湊は、今日は午後一杯実家に預かってもらう予定だ。ある用があって二人を預かってもらえないかと頼んだら、義母のみならず義父までもが準備万端で子供たちを待ち構えていてくれた。
両親とも動きやすいラフなトレーナー&ジーンズ姿で、ソファから身を乗り出すようにしながらニマニマと微笑む。
「おう、来たな〜晴、湊! 今日はおじいちゃん達といっぱい遊ぼうなっ♪」
「父さん、会社は……」
「ん? 仕事は昼までで帰ってきた。いつもフル回転なんだからな、たまには会社の奴らに全部任せたっていいんだ!」
「あなた、二人と遊ぶのにあんまり本気出し過ぎて足腰とか痛めないでよね? もーほんと心配」
「うぶ、ぶう〜」
「あら、みーちゃん、おばあちゃんに抱っこして欲しいの? じゃあおいでー、うふふ♪」
孫と全力で遊ぶ気満々な二人の様子に、俺たちは顔を見合わせてプフっと小さく吹き出した。
そして、その午後3時過ぎ。
須和くんと神岡、俺の三人は、宮田の案内で彼のマンションの前に来ていた。
パーティの夜、宮田が持ち出した唐突な提案に固まった俺たちと、きょとんとしたままの須和くんを見て、彼はいつものヘラっとした顔に戻って言った。
「……あー、まあそうなりますよね。
特にそこのお二人、僕が須和くんを取って食うとか夜な夜なやばいこと教えるとか、本気で思ってるでしょ?」
「…………いや、そんなことは少しも……」
思ってる。実はかなり思ってる。
時々人生のアドバイスをするくらいなら宮田はこの上なく良き先輩だと思うが、同居となると話が違う。
だって毎日だぞ? 朝から晩まで顔付き合わせて暮らすんだぞ? 色々見えちゃうんだぞ? 怖さしかないじゃないか。
「い、いや、ここは僕たちが口を出すところじゃないよな。須和くん、君は宮田くんの提案をどう思う?」
神岡が複雑な顔を無理やり笑顔にすり替えて須和くんに優しく問いかける。
「……あの、こんなに有り難いお誘い、本当に俺でいいんですか?」
須和くんは素直に瞳をキラキラさせる。やっぱ簡単には動じない子だ。いやシンプルに世間知らずか?
「えっと、須和くんも全く問題なし? ってかそんな即決で大丈夫?」
「柊くんの言う通りだ。初の一人暮らしなんだしここはじっくり考えて……」
思わずそんな言葉を零す俺たちの様子に、宮田はふうっと大きなため息をついて肩を竦めた。
「ったく全然信用ないんですねー。じゃ、今度皆さんでうち下見に来ます? 来週の水曜はどうでしょう、僕も仕事休みなんで」
という流れで、俺たちは今ここにいるわけだ。
確かに、大きくはないが清潔感のある洒落た外装のマンションだ。
「ここの3階です。南向きで日当たり良好ですよ」
宮田は先に立ってエントランスを入り、エレベーターのボタンを押す。
「ここです。307号室。どうぞ」
「お邪魔します……」
宮田が開けた玄関のドアを、複雑な思いでくぐる。
かつて「神岡を諦めて僕のところへおいでよ」と半ば脅しに近い気配で囁いた宮田の薄ら寒い微笑を思い出した。お前のところなんかに死んでも行くか!!と必死に抵抗したこいつの部屋を、今こうして穏やかに訪れている。
人生とは、不思議なものだ。
「間取りは2DKです。昔恋人と借りたんだけどその後すぐ別れちゃったんですよねー。住み心地いいし店にも近いから、家賃負担我慢してずるずる住んでますけど」
「うわ……綺麗ですね。そして思ったより広い……」
センスの良いダイニングテーブルや食器棚、照明などの揃ったダイニングキッチンは、なんとも使い勝手が良さそうだ。
「すごいな宮田くん、いつもこんなにきちんとしてるのか……」
「予想外でした? まあ豚が清潔好きってのと似てますかね。あ、同居人に整理整頓などを強要したりは別にしないんで安心してください。平均レベルで過ごしてもらえれば」
彼はそんな説明を軽く付け加える。
「で、こっちが今空いてる部屋ね」
宮田は別の部屋に続くドアを開け放った。中はこざっぱりと片付いて、午後の優しい日差しが窓から差し込んでいる。
「……この部屋の感じ、いいですね。すごく好きです」
部屋の窓を開けて外を眺めた須和くんが、小さくそう言った。
「ああ、ついでに僕の部屋も見ます? 変なもの置いてないかとか」
「……え、と。それは……」
宮田の言葉に俺と神岡は顔を見合わせ、不明瞭に口籠る。
「と言っても他人に見せられない宝物をわざわざ見える場所に置いてるアホなんてどこにもいないと思いますけどねあははっ」
「…………」
そーゆーとこだよあんたは。
「いえ、宮田さんの部屋は見る必要ないです。プライベートな部分が全くない人の方がむしろ不気味だし、俺も見せたくないものくらい普通にあるんで、お互い様ですよね」
窓から視線を戻した須和くんが、俺たちに向けてさらっと言った。
「んー、彼が一番よくわかってるなー。須和くんのこと心配なのもわかりますが、あんまり過保護で心配性もどうかと思いますよ、これから子育て本番のお二方?」
「……」
さっきからぐうの音も出ない俺たちである。
*
「皆さん、今日このあと予定とかあります? 大丈夫そうなら、ついでにうちで鍋食べて行きませんか。適当に材料買ってあるんで」
一通り下見を終えた俺たちに、宮田がさらりとそう提案する。
「え、ほんとにですか? 俺は予定は特に何もないですが……お二人は?」
「んー、僕たちはどうしようか、柊くん?」
「そうですね、一応レトルト離乳食とミルクは多めにお義母さんに渡してありますが……この後もお願いして大丈夫か、電話で確認してみますね」
「と言っても安い具材ばっかなんで、豪華なディナーはイメージしないでください」
「いや、秋も深まると鍋とビールがあればそれでごちそうだよ。ああそうだ、今夜分のビールを僕たちから差し入れさせてもらおうかな。食材にかかった費用が分かれば、それも払わせてくれるか? 僕たちのために仕入れておいてくれたんだろ?」
「いえいいですからそういうのは」
「じゃ、俺材料の下準備手伝います!」
「樹さん、実家の方大丈夫みたいですよ。お義母さん、めっちゃ嬉しそうに了解してくれました」
「そっか、よかった。じゃあ酒も多めに買わないとだな。柊くん、これからちょっと買い出しに行こうか?」
「了解です。こういうワイワイした鍋って思えば久しぶりだなー」
そんなこんなで、とうとう宮田の部屋で鍋パーティまでやる流れになった。
宮田の鍋は、鶏ガラスープの素と酒、塩、醤油、胡麻油と水を鍋に入れて火にかけ、あとは白菜、水菜、キノコ類、鶏・豚肉、水餃子、ウインナー等好みの具材を投入していくというごくシンプルなものだった。しかし、これが何とも美味い。市販の鍋つゆもういらないじゃん!?というレベルだ。
「宮田さん、これ美味いですね。マジでいくらでも食べれる……」
煮えた具材を片っ端から胃に納めていく須和くんの男前な食欲もまた見ていて気持ちいい。
「ほんと、君は美味そうに食うねー。作りがいがあるってもんだ」
ビールのグラスを傾けながら、宮田は頬杖をついて満足げにそれを眺めている。
……あ、これ、大丈夫かも。
心和むそんな風景に、俺と神岡はちらりと目を見合わせ、同時に小さく微笑んだ。
頭では大丈夫と思ったつもりでも、どこかに引っかかって頑固に拭えなかった宮田への不安。
物理的条件でも理詰めの説得でもないそんな何気ないワンシーンが、その不安をやっと消し去ってくれた。
鍋も概ね空になる頃、酒に少し酔ったのか、宮田が浅く笑って呟いた。
「やっぱ、不意に寂しくなったりするんですよね、この歳になると。ただ起きて、仕事して、一人で夕飯食って酒飲んで寝る、そのルーティーンが。
こういうあったかさって、やっぱり欲しくなるんだなあ、とかね。——うあ、我ながらジジくせえ」
自嘲するようなその苦笑いを見つめ、ハイボールのグラスを静かに傾けた神岡が、宮田の隣で答える。
「……君のそういう本音というか弱音みたいなものを聞けるのが、むしろ僕は嬉しいよ。君は普段そういう姿を見せなすぎる」
「うあー。今のセリフ、もし4年前に言われてたら速攻あなたを床に押し倒してましたね」
「ははっ、4年前の君には間違っても言わないな」
そんな会話を聞いて、須和くんがグラスに残ったビールを見つめてポツリと言った。
「……神岡さんみたいにかっこいい大人じゃないですけど……飼い犬程度にはそういう寂しさを紛らわせられたらいいな……」
宮田は須和くんの頭に無造作に手を伸ばし、グシャグシャっとその髪をかき混ぜた。
「あれー? 須和くん雑炊に全集中してたんじゃねーの!? おじさん同士の話なんか聞いてんじゃねーよめっちゃ恥ずかしいじゃんかオラ!」
「うわ、ちょっ」
宮田はふとその手を止め、表情を静めて須和くんを見つめた。
「——須和くん。この部屋へは、無理に誘ったりはしない。
君がどうしたいか、それをちゃんと考えて決めてくれ」
かき混ぜられた髪を直しながら、須和くんは躊躇うことなく答えた。
「いえ、そこはもう決めてます。
俺こそ、是非ここに来させてください」
「……だそうだ。宮田さん、良かったな」
俺の言葉に、宮田は一瞬にしていつものヘラっとした顔に戻った。
「よし! 須和くん、じゃ決まりだ。今の言葉、もう取り消し不可だからな?
ってことで、君が来たら部屋代光熱費食費全部折半な! 契約成立! よっしゃあーこれで生活がめっちゃ楽になる助かったーー!!!」
「…………」
そういうとこだよあんたは。
けれど、そこにはちょっとした照れ隠しが混じっていることもわかっている。なんせ長い付き合いだし。
「ええ、もちろんそのつもりです。ここで甘やかされちゃ、俺が家を出る意味がありませんから。
宮田さん、これからどうぞよろしくお願いします」
須和くんは、背筋をすっと伸ばすと宮田に向かって清々しく頭を下げた。
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