初顔合わせ

 神岡が「カルテット」で宮田にパーティの誘いをかけて2週間後。

 11月の半ば。風はもうすっかりひんやりとしている。

 神岡は今月から再び育休に戻り、男二人で育児に向き合う日々が再開した。


 子供達の月齢は、10カ月目の真っ最中だ。午前中の昼寝が少なくなり、夜にまとめて長時間眠るようになってきている。

 動きが活発な湊は、最近ローテーブルの上にお気に入りのおもちゃを置いてみると、はいはいで急接近し、獲物を狙うように下からじいっとターゲットを見つめる。そして、ぐっとテーブルの縁につかまって「取りたい!」という気持ちを露わにしながら膝立ちの態勢になる。そう、「つかまり立ち」まであと一歩なのだ。

 湊が小さな手を伸ばそうとするのを見計らい、微妙に手の届かない場所へおもちゃを遠ざけると、一瞬「あ、おい!」という顔をして膝立ちスタイルのままぴょこぴょこと上半身を上下にジャンプさせ、俺を見つめて「取って! 取って!」というアピールを全開にする。期待にキラキラと満ち溢れたクリクリの眼差し。はあ、本当に可愛くて死ぬ……でもここは取ってやれないんだよ湊。君がその膝を立ててしっかり踏ん張るまでは、このおもちゃはオアズケなんだ……という、まさに親子の攻防の真っ最中なのである。

 晴はというと、じっくりおすわりをして目の前のおもちゃに集中することが何より楽しいようで、俺の両親から贈られた知育玩具に目下がっつりはまっている。つまんで引き出せるティッシュや家電を真似たリモコン、ガチャっという音と感触の楽しいドアなど様々な仕掛けが側面についたおもちゃは晴の好奇心を大いに刺激するらしく、リモコンのボタンを押す可愛らしい電子音がしょっちゅう聞こえてくる。

「きゃきゃっ!(超楽しい!)」

 これで遊んでいる間は、晴〜、と呼びかけても全く反応しない。完全な「惚れたらとことん」タイプだ。

「うぐう〜(俺にもやらせてくれ〜)」

 晴の側に湊がはいはいで近づき、晴の遊んでいるリモコンにちょっかいを出し始めた。

「あー、だー!(ちょ、だめ! 割り込むなって)」

 なかなか頑固な晴に対し、湊は結構あっさりだ。晴の抵抗に合い、次のおもちゃに向かっていく。晴の側の玩具の黄色いドアを見つけると、お座りモードになって小さな指で興味深そうに触り始めた。そして、押し込む時にガチャっと閉まる感触が気に入ったようだ。

「おおうぅ!(おお、これおもしれー!)」

 そんな様子を、俺たちは目尻を下げてニマニマと見守る。


 赤ちゃんの発達は個人差が大きく、性格や個性によってひとりひとりの行動は大きく違うと、前回の乳児健診の際に藤堂が話してくれた。この月齢でこれができなければおかしい、と、その度にあまり神経質になることはないようだ。


「二人とも、健やかそのものだな」

「本当にそうですね」


 こうして手が空いた時間でカフェオレを入れ、温かいカップを手にしながらしみじみ幸せを語り合う時間もできつつある俺たちである。


「今週末、須和くんの独り立ちパーティですね。ぴちぴちの男子大学生が主賓ですし、焼肉用の肉がっつり買っとかなきゃですね」

「うん、そうだな。宮田くんにもいろいろお世話になったからね。二人のために思い切りいい肉を仕入れよう。

 宮田くんは何だかんだ言って面倒見がよくて頼りになる男だよな。敵に回したくはないタイプだが、いい仲間として付き合えれば魅力的な男前だ。須和くんにとっても、彼との交流が意味のあるものになるといいな」

「そうですね。家を出て一人でやっていくって、ある意味自転車の補助輪を外すくらいに覚束ないものだなあ、なんて思います。須和くんは真っ直ぐな芯の強さがあるけど、世間慣れなんてまだまだでしょうし。それに何より、宮田さんは俺たち同様、須和くんの抱える辛さを理解してあげられる存在ですもんね」

「それが一番大事なところかもしれないね。須和くんの心の奥の苦悩を知っている、何でも打ち明けられる友人。宮田くんならば、間違いなくそんな存在になれるはずだ」

 カフェオレを口に運び、俺は神岡に微笑んだ。

「宮田さんを誘って4人でパーティしようっていうあなたの案、さすがですね」

 神岡は、ちょっと照れたような顔をしながら言葉を付け加えた。

「あとは、宮田くんと須和くんの反りが合うことを祈ろう。宮田くん、人の好き嫌いは相当に激しそうだからね」

「そうですね……変なケンカとかになるとたちまちヤバいやつに豹変しますし」

「いや、彼はもう昔の彼とは違う……はずだと思うが」

 冗談交じりにそんな話をして、俺たちは小さく吹き出した。









 その週末、土曜の夜6時。

 須和くんはパーティ開始予定の7時より少し早めに来て、一緒に準備を手伝ってくれている。

「今日来る宮田くんは、僕たちとはもう長い付き合いでね。かつてはいろいろあったけど、今は信頼できる最高にいい友人だ」

 キッチンに立ち、玉ねぎを輪切りにしながら神岡が須和くんにそう話す。

 俺も、子供たちの離乳食を作りながら会話に加わった。

「宮田さん、確か俺より一つ年上だったから、今29くらいか……須和くんより8個上ってことかな。なかなか個性的なとこがあるからちょっと驚くかもだけど、おどおどしてるとますます無神経に突っ込んでくるから、多少のツッコミは跳ね返すくらいに対応してちょうどいいかもなあ、なんて?」

 あの強烈キャラと初めてやりとりするのに前情報なしはちょっと心配だ。一応宮田について軽く説明しておいた方がいいだろう。

 そんな配慮のつもりだったが、須和くんは野菜を洗う手を止め、何となく複雑な表情になって俺たちの顔を交互に見た。

「……あの……ここまでのお二人の言葉からすると、その宮田さんという方、ちょっとした曲者というイメージが浮かぶんですが……?

 それに『かつてはいろいろ』って、一体どんないろいろが……?」

 痛いところを突かれ、俺たちはぐっと押し黙る。

 うん、確かに危険人物的要素はあるんだ……しかし今そこに触れるべきか? いや、さすがにそれはタイミング的に良策ではない。前もってそんな情報を聞いては、うまくいくものもうまくいかないじゃないか!?

 俺たちは一瞬顔を見合わせ、この上なく明るい笑みを浮かべた。

「いやいや、危険とかそういうことじゃ決してないんだ。敵対関係にならない限り、すごく頼りになって面倒見がいい男だよ。フットワークが軽くて機転も利く。実際僕たちは彼に何度となくピンチを救われてきたんだ。な、柊くん!」

「うん。樹さんの今言った通りの、正真正銘の男前だよ。

 何よりも、彼は人の心の痛みを深く理解できる鋭さと細やかさを持っている。俺や樹さんが悩んだり行き詰まった時、彼の助言や行動のおかげで何度救われたか……あんな目の覚めるようなアドバイスは、きっと彼にしかできないだろう。

 それに、ファンの客が山ほどいるイケメン美容師だしね」


 俺たちの言葉に、須和くんは少し考え、ふっと柔らかく微笑んだ。

「いろんな面を持った面白い人なんですね。

 何より、あなた達お二人が長くお付き合いを続けるような存在だということが、宮田さんの人としての魅力を証明してますよね」


「…………うん、つまりそういうことだよな」

「確かに」

 須和くんの言葉の静かな説得力に、むしろ深く頷いたりしている俺たちである。









 ダイニングに山盛りの肉と野菜、テーブルの真ん中に大きなプレートを置き、パーティの準備はあらかた整った。子供たちも離乳食を食べ終え、リビングのマットの上でご機嫌なお遊びタイムだ。

 夜7時を10分ほど過ぎ、呼び鈴が鳴った。

「どうもー。お招きいただきありがとうございます。はいこれ、お土産ー」

 いつものさらっとした口調で玄関に入りながら、宮田は大きな紙袋を俺に渡した。

「え、これは?」

「二人ともそろそろ立ったりする時期だろ? 手押し車とかどうかなーと思って」

 袋の中には、ポップな色合いの可愛らしい組み立て式手押し車の箱が入っていた。

「……嬉しいよ。いつも、ありがとな」

「えーこんなん普通でしょ。みなさんお待たせしましたー」

 彼は浅く笑いながら気取らない空気でリビングへ入る。

「宮田くん、待ってたよ」

「……初めまして」

 ダイニングテーブルの神岡の横の席をガタリと立ち、須和くんが礼儀正しく挨拶した。


「……おお、これが噂の」

「あなたが、宮田さん……」

 視線が合って一瞬の後、同じような言葉を漏らす二人に、俺たちはクスっと微笑んだ。




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