8-④
それから、目的地の最寄り駅に着くまで、春奏さんは美和ちゃんや牡丹さん、秋音ちゃんや楽人くんの話をたくさんしてくれた。
こんなに面と向かって話すのは初めてだったけど、春奏さんのほうにはもう緊張感なんてないらしく、軽快に話してくれた。
僕はそんな状況に慣れず、緊張を残しながらそれを聞いていた。でも、とても楽しかった。
駅に到着すると、春奏さんのスマホの地図を頼りに、霊園を探すことになった。
この辺りは山と湖に挟まれていて、空気がきれいだった。いかにも田舎町という雰囲気が心地良い。びわ湖を跨いだだけとは思えないほど、僕らの住む町とは違っていた。
天気も良いし、まさに行楽日和だ。そんな日に、僕は春奏さんと二人きりで見知らぬ土地にいる。
そこにあるのはうれしいとか楽しいではない。だからといって苦しいものでもない。僕はただ、違う世界に迷い込んだような気分で、春奏さんのいる風景を眺めていた。
地図通りに湖のほうへ進んでいき、二〇分ほど歩いていくと、特に迷うこともなく目的地を見つけることができた。
そこは、びわ湖を一望できる霊園だった。
「見晴らしのいい場所だね」
「うん。お母さんが決めたんだって。びわ湖が見えるほうがいいだろうって」
郷愁に駆られ、故郷の滋賀県へ帰ることを望んだという春奏さんのお母さん。びわ湖は故郷の象徴であり、律くんが長い時間を過ごした場所。そして、命を落とした場所でもある。
だからこそ、特別な想いがあるのだろう。
僕らは管理人さんにあいさつを済ませ、そこで借りた手桶に水を汲みお墓へ向かう。案内表を持つ春奏さんの後ろを、僕は水を持ってついていく。
春奏さんは紙とお墓を見比べるように歩く。その表情には全くと言えるほど色が見られず、無に等しかった。そして、小さな墓石の前で足を止めた。
「……ここだ」
そこにはたしかに律くんの名が彫られていた。個人墓というもので、ここには律くんしかいない。いずれは家族と一緒になるそうだ。
「まず掃除、かな」
「うん」
春奏さんにつられるように、僕は無表情で水をひしゃくですくい、墓石にかけた。元々それほど汚れていなかったので、その水を拭く作業が掃除のような形になった。
「くーくん」
ここに来てから初めて目が合った。そして、不自然なほどにっこりとほほ笑む。
「先にそれ返してきてもらっていいかな?」
「え? うん」
こんなの帰り際でいいような気がするのに。でも、返事したから仕方ない。僕は手桶とひしゃくを返しに行くことにした。
小走りで管理事務所へ向かう。まっすぐ進んで一つ角を曲がるだけのおつかいだ。事務所の前にある水汲み場の隣に収納スペースがあるので、そこにそれらを戻した。
用を済ませるとすぐに春奏さんのほうへ帰っていく。角を曲がれば先に春奏さんが見える。目を離した時間は本当に短かったことだろう。
春奏さんはお墓に向かって手を合わせていた。そうか、この時間を僕に外してほしかったんだ。自身の鈍感さに呆れてしまう。
ゆっくり戻って、僕も隣で手を合わせよう。そう思いながら歩くも、その足はピタリと止まってしまった。これは条件反射だった。
春奏さんの肩が震えている。春奏さんは……泣いているのだ。
心臓の動きが激しくなる。春奏さんと一緒の時とは似て非なるもの。僕の弱さの象徴だった。
僕は意識的に呼吸する。浅く吸って、深く吐く。このバランスが崩れてしまうと、最悪倒れてしまうことになる。
どうしよう。一度立ち去るべきか。春奏さんも一人になりたいのかもしれない。僕もこんなところを春奏さんに見せたくない。
でも……ダメだ。それでは意味がない。
力になりたいと思った。一緒にがんばりたいと思った。それなのに、ここで逃げるわけにはいかない。
春奏さんは苦しみを背負っている。僕は彼女の涙を受け止めなければならない。それができないのなら、一緒にいる資格なんてないのだ。
呼吸を維持したまま、ゆっくり前へ進んでいく。もうすぐのところまで来ると、春奏さんは僕に背中を向けてしまった。僕に気づいたからだろう。泣き顔を見られたくないようだ。
「だ、だ、大丈夫?」
僕は詰まりながらも、なんとか声を出した。
「あ……だ……」
春奏さんからの返事は言葉になっていなかった。必死に涙をこらえるような声。春奏さんは左手で顔を覆うようにしながら、右手で僕を制する。多分、大丈夫だと言いたいのだと思う。
ひょっとすると……いや、まさか。でも、だからこそ僕がしなければならないのは、春奏さんにちゃんと泣かせてあげることだ。
僕は両手で春奏さんの右手をつかんだ。それは、僕自身もすがるような感覚だった。
すると、春奏さんは顔を覆う手を外した。やっぱり、両目から涙があふれていた。
僕はその目をちゃんと見ることができた。手を握っていれば、呼吸の乱れもすぐに訂正することができたからだ。
「大丈夫」
春奏さんに対し、そして自分自身に対してそう言った。
春奏さんは僕の両手の上に左手を重ねた。そして、頭を肩に預けてくれた。
肩を震わせながら、小さく鼻をすする音がなる。僕の肩は涙で濡れる。
きっと、今僕らは一緒にがんばれている。
四つの手は、温かい一つの塊になっていた。
○
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます