8-②
私の家は、いわゆる音楽一家だった。と言っても、お父さんは関係者ってだけで演奏はしないんだけど。お母さん主導で、子どもはみんなピアノを習うの。
お姉ちゃんはすごく才能のある人で、コンクールで何度も優勝してた。だから、お母さんの基準はそこになってたんだと思う。
それに比べて私はダメだった。全然上達しなくて、お母さんは早くも諦めようとしてたけど、お姉ちゃんは自分のプライドもあったからか、それでも私に教えようとしたの。
お姉ちゃんは厳しくて……四つ年上のお姉ちゃんに、叩かれたりしながらピアノをしてた。
それが本当に苦しくて……なんかストレスもあって、太って、余計にお姉ちゃんがきつくなって……結局、お母さんに泣きついて、小学校まででやめることができた。
二つ下の秋音は才能があった。ピアノが上手で、バイオリンにも目覚めて、今はそっちがメインになってる。だからお母さんもお姉ちゃんも喜んでた。比べられる私はきつかったけどね。
弟は二人いて一番下の弟が楽人(がくと)。学年としては五つ下になるかな。楽ちゃんも才能があると思う。まだこれからだけど。
そして、三つ下の弟が律。律は私とおんなじで、あまりピアノが上手じゃなかった。私のことがあったから、お母さんも早めに諦めて、やめさせようとしたの。
でも、律は諦めが悪かった。私よりもずっと音楽が好きだったから、まだ続けたかったみたい。違う楽器を試したりもしたけど、上手くいかなくて。
そしたらなんか、お姉ちゃんまで口を出してきて、お金の無駄だからやめろって。春奏と同じで才能無いんだって。
結局、律もこっちに越して来る前にやめちゃった。私、最初は自分だけじゃなくて安心してたんだけど、よく考えたら私がダメだったせいで早くやめることになったって気づいて、申し訳なかった。
そんなこともあって、律って結構ひねくれてて、ケンカとかでよく問題になってた。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんまで叱りつけてたのを見たよ。
でもね、律は私には優しかったんだよ。
仲間意識があったからかな。転校してきて落ち込むことが多かった時期とか、心配そうによく話しかけてくれたんだ。
だから、他のみんなにとっては悪い子だったのかもしれないけれど、私にとっては本当に良い弟だった。
音楽をやめてからは、外で遊ぶことが多くなった。家にいづらかったんだと思う。私もそうだったし。だから律は、いつも帰ってくるのが遅かった。小学生の遊ぶ時間の限界まで外にいるみたいだった。
せっかくびわ湖の近くに越してきたからか、友達と釣りに行くようになった。釣った魚は見せてもらったことないんだけど、話はいっぱいしてくれたんだ。
中学に上がると、友達も増えたみたいで、しょっちゅう釣りに行ってた。そうなると帰ってくる時間がさらに遅くなっていった。
一回ね、遅く帰ってきたらみんな心配するよ、って言ったの。そしたら、楽器の音を聴くと腹が立つ、って。どうせみんな心配しないよ、って……言い捨てられちゃって、何も言い返せなかった。
私はその頃、ようやく苦しかった中三も終わって、美和や牡丹とも仲良くなって、ホッとしてた時期だった。だから、あと律のことだけ安心できたらなって思ってた。
そして、夏休みに入ってすぐ――律はしばらく帰らないって言って出て行っちゃった。
学校に行かなくていいなら家にいなくていい、って考えたんだと思う。ケータイとかも持たせてなくて、どこに行ったのか全然わからなかった。
その日は本当に帰ってこなかった。私は心配でお母さんに大丈夫かなって訊いたけど、まあしょうがないでしょ、って返された。お父さんもなんかホッとしたみたいだった。
実際ね、休祝日の前の日の夜とかはふらっといなくなって、友達の家に泊まることが多かったの。だから、二人が大して心配しなかったのも不思議じゃなかったんだ。
……でも、結局そのまま帰ってこなかった。二日くらい経ってから、びわ湖に――
○
そこまで語ると、春奏さんは言葉を詰まらせた。
その話の結末はわかっている。現在の状況からわかることだし、そういえば聞いたことがあった。
中三の夏休みの始業式。一人の男子生徒に黙とうした覚えがあったのだ。
「あの、もう――」
もういいよ、と言おうとしたけれど、僕はそれを飲み込んだ。春奏さんは聞いてもらいたいから言っている。僕がそれを止めるわけにはいかなかった。
しばらくうつむきながら固まった後、ゆっくりと顔を上げた。そして僕を見て口元だけ緩める。
それは、カウントされてるときにファイティングポーズをとるボクサーのような動きに見えた。相当無理をしているんじゃないだろうか。
「大丈夫?」
「うん……」
春奏さんはゆっくりと深呼吸をする。そして、また話し出した。
○
――びわ湖に浮かんでたって。連絡があった。
律はずっと友達とキャンプみたいなことしてたみたい。昼間は遊んで、夜はテントで寝てたんだって。
……すごい大雨の日があって。他の友達は、今日はやめとこうって言って帰ったみたいなんだけど、律だけはそのままそこで泊まった。そのときに落ちちゃったみたい。
私はショックで呆然としてた。警察に行って確認するときも、顔を見ることなんてできなかった。律が死ぬなんて考えられなかった。私にとって唯一の味方だったのに、なんでって。
家族のみんなも悲しそうな顔してた。もう家を出てたお姉ちゃんも駆けつけてきて、おんなじような顔した。
お母さんは、かわいそうって言った。お父さんは、秋音と楽ちゃんの背中を撫でてた。お姉ちゃんは、しょうがない子なんだからって言った。
私、全部覚えてるんだ。
それを聞いて、私は……爆発したの。
みんな心配なんてしなかったじゃない? 音楽できない子なんていらないんでしょ? 本当はホッとしてるんじゃないの? 私も同じようになったほうがいい?
……みんなが殺したんだ、って罵倒して。お母さんたちに酷いこと言っちゃった。
そこからはどうやって帰ったかも覚えてないんだけど、家に帰ってからは部屋にカギ閉めて引きこもってた。
家族を恨んで、どうやって死んでやろうかな、なんて思ってた。そのときに、私ってこんなに性格が悪かったんだって知ったよ。どうしたらみんなが苦しむのかって考えちゃったから。
自分のことも責めた。寂しいから早く帰ってきて、って言えば違ったのかな、とか。しばらく帰ってこないって言ったときに、ちゃんと引き止めたらこんなことにならなかったのかな、とか。私なら助けられたかもしれないのにって思うと、情けなくて腹が立った。
ずっと泣いて、泣いて。夏の暑い日なのに汗なんて出ないの。涙は出るのに。
そうして引きこもっていたら、脱水症状が出て倒れちゃった。
気づいたときには、私は病院のベッドで寝てた。起きた時、視界の中にはお母さんと秋音がいてね。秋音、すごい泣いてた。そのときに私、悪いことしたんだってわかった。
退院して家に帰ったら、すごい静かで。……これなら律も居心地よかったのかな、なんて思うとまた悲しくなった。
でも、私を助けるために部屋のカギを壊してたから、もう引きこもれなくってね。短い時間でこんなに家って変わるんだって思った。
それから、みんな私にすごく優しかった。はれ物みたいな感覚もあったけど……本気で心配されてるのがわかったし、お母さんには何度も泣きながら謝られて、秋音とは一緒にいる時間が増えて……なんか、家族らしくなった。
○
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