1-②

 僕は先輩たちとの食事にサギを誘った。少し心もとなかったのだ。浮いた昼食代でサギの飲み物も買い、二人で約束の場所へと向かった。


 すでに先輩たちはベンチ前にそろっていた。朝に会った二人の先輩。そして、泣いた先輩。


 天使だった先輩は、今はしっかり地に足をつけている。落ち着かない様子で視線を巡らせている姿は、とても人間らしいものだった。


「あ、来た。ここだよー!」


「ういっすー、どもどもー」


「ん? 君はだれ?」


「クックの友達の鷺原っす。サギって呼んでください!」


 びしっと敬礼するサギ。本当に人見知りしないようで、うらやましいかぎりだ。その少年のように無邪気な雰囲気が、相手の警戒心も簡単に解くのだろう。


「クック? ああ、そうだ、自己紹介しなきゃね。私は脇谷わきや美和みわ。二年だよ」


真木まき牡丹ぼたん。同じクラスよ」


 朝の二人はそう自己紹介を済ませた。


 お団子ヘアーの先輩が脇谷先輩。見た目から活発な印象で、背丈こそ低いものの、モデルみたいに体が細い。あとはなんというか、モテそうな人だ。


 ロングヘア―で大人っぽい先輩が真木先輩。こちらは女優タイプの美人だ。近づきづらい高嶺の花という印象だった。


 二人の視線は泣いた先輩へと向かう。当然の順番だった。


「……えっと、我田春奏、です」


 ようやく口から出た声。それは小さくて儚い感じがした。


 我田先輩は、脇谷先輩と背が同じくらいで、顔も身長相応なため、年上と思えないくらいに幼く見える。


 純真無垢な少女。あの日とは違う印象だけれど、天使というイメージはくつがえされないようだ。


「ワカダ先輩?」


「わ、ワガタ。ガ、で、タ、で……」


「ワガタハルカ。春奏でいいよ」


 脇谷先輩の助けもあり、我田先輩は自己紹介を終えた。多分僕は、彼女よりは緊張していないと思う。


 サギが僕を肘で突く。ああ、僕の番か。


「九十九優希、です」


「ツクモ? どんな漢字書くの?」


「キュウジュウキュウですよ。キュウキュウ。それで九九みたいだから、クックなんすよ」


「ああー、九九ね。あははっ、なるほどー」


 代わりにサギが説明すると、脇谷先輩は大げさに納得した。僕には二人の会話のスピードが速すぎてついていけそうにない。


「来てくれてありがとう! じゃあえっと、まずはお昼食べよっか」


「あ、はい」


「クックくん、ここから選んでね。二つで足りる? 三つ取ってもいいけど」


「大丈夫、です」


 脇谷先輩に促され、僕はパンを選ぶ。その最中でも、気になるのは我田先輩のことだった。


 僕はチラチラと彼女の顔を確認する。彼女も時折僕を見ているようで、何度も目が合いそうになる。そして、お互いすぐに逸らしてしまう。そんな彼女に、僕は親近感を覚えた。


「部活はなんに入るの?」


「まだ迷ってるんっすよねー。入るならきつくないとこがいいし」


 脇谷先輩とサギの話が、僕を挟んで盛り上がっている。会話に積極的なのはこの二人だけで、僕と他の二人の先輩は、話を聞きながら黙々と食事をしていた。


 階段の下には校舎に沿ってベンチがいくつか並んでおり、僕とサギが一つのベンチに、先輩たちが隣のベンチに座っている。僕の右隣に脇谷先輩がいて、その隣に我田先輩、真木先輩と続いている。


「クックくんは? 部活入るの?」


 気を遣ったのか、急に話が僕へ飛び火する。ドキッとしつつも、なんとか普通の会話をしようと気を張る。


「……中学のときに楽器してて」


「じゃあ吹部? うちは結構適当らしいよ」


「そ、そうなんですか……。じゃあ入ろうかな」


「あれ、適当なほうがいいんだ?」


 脇谷先輩の軽快な質問に、僕は懸命に答える。返事の中身はすぐに浮かぶけれど、言葉が出てこないことがあるのだ。


「あ……えっと、家の用事とかあって、そんなにがんばれないというか」


「そうなんだー。クックくん……くー、あ、クッくん! クッくんって呼んでいい?」


「おー、進化した。すげー」


 サギが楽しそうに口を挟む。クックの名づけ親はサギなのだが、別に異論はないらしい。


「別に、どっちでも」


 僕としてはどう呼ばれようが問題ない。というか、クックと呼ばれることも許可してないけど、特別文句もなかったわけだから。


「じゃあそうしようっ。クッくんっ、クッくんっ」


 脇谷先輩が楽しげに言う。なんだか恥ずかしい……


「クッくん、結構かわいい系だよね」


 ここで初めて口を開いたのは真木先輩だった。手元を見ると、もう昼食を終えたらしい。そして、彼女も僕をそう呼ぶようだ。


「そだよねー。なんか若く見えるよ」


 脇谷先輩が同意する。僕としては、あまりうれしくない話なのだけれど。


「クックはクラスメイトからもカワイイって言われてるんすよ」


「い、言わなくていいから……」


 サギの言葉には、さすがに文句を言いたくなる。なぜたきつけるんだ。


「いいじゃん、カワイイってほめ言葉だし」


「同級生に言われるのはちょっと……」


「じゃあ私らは言っていいんだ。そういうことだよね?」


「え? あ、あの……」


 そしてまちがった解釈をされる。なんか情けない感じで嫌なんだけど……たしかに、先輩に言われてもイラっとはしないのかもしれない。


「すぐ顔を赤くするし、純情そうよね」


「そうそう、染まってない感じがいいんだよ。高校入ったからってすぐにチャラチャラする男子よりも絶対にいいって」


「それって俺のこと?」


「あははっ」


 まさか出会ってすぐにいじられるとは……。でも、年上の女の人にいじられるのは、やっぱりそこまで嫌でもないらしい。向こうから見て下なのは当然のことだと感じるからだろうか。


 まあ、恥ずかしくはあるのだけれど。


「春奏もそう思うよね?」


 脇谷先輩がようやくというように我田先輩の名前を出した。見ると、ちょうど食べ終えたところらしい。脇谷先輩はそのタイミングを狙っていたのだろうか。


「へ? うん……」


「春奏も結構染まってない系だもんねー。たまに中学生とまちがえられるし」


「ん、もう……」


 我田先輩が少し困ったような顔をする。クラスでは僕と同じような立ち位置なのかも。


「春奏、食べ終わったんだ。これでみんな終わったし」


「ああ、うん。じゃ、本題。春奏」


 真木先輩が促すと、脇谷先輩が我田先輩へと振る。忘れかけていたけれど、別にお食事会でもなんでもなく、僕は昨日の謝罪ということで呼び出されたのだった。


「へ、あ、うん……」


 我田先輩は小さく動揺を見せてうつむいた。さっきまでの朗らかな空気があったからか、僕の覚悟もリセットされており、緊張してきた。


「えっと……」


 みんなが我田先輩に注目する。二人の先輩はやさしい表情で見守っている。


「く、く……つ、つくもくん? がその……、弟に似てて」


 弟。理解はできるけれど、残念ながら説明になっていない。


「それで……」


 我田先輩は一生懸命に言葉を紡ごうとしている。助けられるものなら助けたい気持ち。


 脇谷先輩を見ると、パッと目が合った。そして、小さく右手を上げる。それは、ごめんね、という動きだった。


「弟、もういなくて」


 思わず「え?」と声がこぼれる。だって、その言葉の意味があまりにも重すぎたから。


 我田先輩は、僕の声に反応して口をつぐんだ。悪いことをしてしまったかもしれない。


「……それでね、ちょっと思い出しちゃったんだって」


 見かねたのか、あるいはもう十分だと思ったのか、涙の理由は脇谷先輩が説明してくれる。それはとてもわかりやすく、辛いものだった。


「だからごめんね。昨日、びっくりしたでしょ」


「い、いえっ、別に……。謝られるようなことじゃ……」


 そんな事情があったなんて……。僕はショックで、声がデクレッシェンドしていった。


「でも迷惑かけちゃったからさ。ちゃんと謝りたかったんだよ。ね?」


 脇谷先輩の投げかけに、我田先輩は少しの間を置いて頷いた。僕にはそこに何か含むものがあるように見えた。


「ご、ごめんなさい」


 そして、我田先輩の口からも謝罪の言葉が出てきた。僕はただ首を横に振った。


「そんなわけだからさ、春奏が急に泣いたこと、周りに言わないでほしいんだ。変な噂が出ると怖いしさ」


「そんなこと、言うわけ――」


 いや、僕は言っていた。隣に座っているサギに、真っ先に報告してしまったのだ。


 自己嫌悪……。いくら説明の必要があったからといっても、浅はかだった。


「大丈夫っすよ! 俺ぐらいの親友にしかそんなこと言いませんってっ」


 サギがニカッとほほ笑みながら言う。フォローしてくれたらしく、僕は小さく感動した。


「女泣かせのクック、なんて噂になるのもまずいんで」


「ふふっ、いいね。女泣かせのクック」


 サギと脇谷先輩が笑い合う。笑っていいのかな、と思って我田先輩を見ると、彼女も小さくほほ笑んでいた。


 初めて見たその笑顔はとてもかわいらしかった。そして、ホッとした。


「よかったね、ちゃんと謝れて」


「うん……二人も、ごめんね。ありがとう」


 先輩三人は笑い合う。それはとてもやさしくて美しいものだった。僕はそれを見て、胸のところが温かくなったのだった。



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