第一章 ”二人は出会う” 第三節
母が戻って来ると私達が荷物を運んでいる姿に驚愕し、父を無慈悲に叩き起こした。
衣装ケースは父へと預けられた。
一人で飄々と担ぐ姿に頼もしさを感じながらも、自分たちの非力さを実感させられた。
「じゃあまた後でね、草壁さん」
そう元気に謂い放つと、口笛でも聞こえそうな軽い足取りで一人寮の方へと戻っていく。
この地に慣れ親しんでいる様子から見るに、やはり私より先輩なのだろう。
この寮では同学年と同部屋になると聞いているから、先輩と同部屋になる事は無い。
ほんの少し、残念ではあるけれど……。
ようやく入り口から寮の中へ入る。
吹き抜けを利用した背の高いガラス張りからは外の美しい景色が見え、まるで風景が絵画のように縁取られていた。
寮母と呼ばれる、この寮の管理者と挨拶を交わす。
丸い眼鏡と少し高い身長、落ち着いた声が寮生の皆さんを暖かく包み込んで、ここを居心地の良いものにしていることは想像に難くなかった。
ひとしきり寮の説明を受けた後、割り当てられた自室へと案内される。
「同部屋の生徒は茅ヶ崎美姫(ちがさきみき)さん、同じ一年生になります。
既に部屋に居ますので、仲良くしてあげてくださいね」
なんて素敵な名前なんだろう。
”美しい姫”という名前に相応しい、お淑やかな良家のお嬢様なのだろう。
髪は黒のストレートロングで、目がくりくりっとした清楚可憐なお嬢様を想像する。
「ここが貴方の部屋です」
そんな妄想をしているうちに自室に着く。
”美姫さん”を一目見たいが焦って挙動不審には思われたくない。
はやる気持ちをなんとか抑え、一呼吸。
おそるおそる、ゆっくりと部屋を覗き込むと、そこには――
「やぁ、さっきぶり」
先ほど手伝ってくれた先輩が部屋のベッドに腰掛けていた。
……ええと……どういうこと?
なんで先輩がココにいらっしゃるの???
状況が飲み込めず一人であたふたする私を余所にベッドからふわりと立ち上がり、先輩は私達に挨拶する。
「私、茅ヶ崎美姫と申します。
私も今日入寮したばかりなので分からない事だらけですが、相部屋同士、今日から宜しくお願い致します」
そう謂ってスカートの裾を持って軽やかに翻し、お辞儀をする。
その一連の動作はまるでバレリーナのように美しかった。
こうやって上品な挨拶が出来るのはやはり育ちが良いのだろう。
両親も挨拶を返し、さっきはありがとうだの礼儀正しいのねだの褒めているが、先輩が何故ここにいるのか訳が分からず、気分が悪くなりそうだった。
そう、私が勝手に先輩だと勘違いした事と、茅ヶ崎さんがそれに気付いていながらも黙っていた事に気付くのに随分と時間が掛かったのだ。
「いやー、本当ごめん!
なんか栞さんの反応が面白いから、勘違いに便乗してついいたずら心が、ね?」
茅ヶ崎さんは全く反省していないような弁明を述べた。
でもきっと茅ヶ崎さんには本当に悪気は無いのだろう。
さきほど手伝ってくれた時に感じた優しさは本当だったから。
そう思っているうちに両親が家具の配置を終え、帰り支度を始める。
茅ヶ崎さんと仲良くするのよとか衣類は毎日洗濯するのよとか小学生に対して謂うような事を述べ、じゃあねとだけ告げて部屋から出て廊下の角を曲がり、ついにその後ろ姿は見えなくなった。
本当は、その後ろ姿をもう少しだけ見ていたかった。
しばらくその場に立ちすくんでいると、茅ヶ崎さんは私に声を掛ける。
「ねぇ、良かったら寮を散策してみない?
私も来たばかりでまだ全部回れてないんだ」
なんというか、茅ヶ崎さんは私と違って本当に人を善く見ていると思う。
少し寂しい気持ちになっている私を見かねて声を掛けてくれたのだろう。
寮の事もだけど、茅ヶ崎さんの事を私はもっと知りたい。
「はい! お願いします茅ヶ崎さん!」
「だから、私は先輩じゃなくて同学年だって。
これからは名前で呼んで。
あとタメ口にしてよ」
「う、うん……美姫さん……」
「ふふっ、よろしく」
両親以外の人を名前で呼ぶなんて小学校の時以来で、何故かとても恥ずかしい……。
赤い絨毯で彩られた長い廊下を歩き、最初にやって来たのは、『談話室』と呼ばれる場所だった。
その名の通りみんなが話をする所らしく、まるでホテルのリビングのようにソファや椅子が配置されている。
ただホテルのそれと違うのは、談話室の奥に暖炉があり、しかも見せかけだけではなく本当に薪を燃やしている。
冷えかけていた手や顔にじんわりと暖かさが流れ込む。
談話室には3グループ、10人ほどいらっしゃった。
笑い声をあげて談笑しているグループもいらっしゃれば、書類をテーブル一杯に広げ、真剣な面持ちでそれらを見つめながら会議をしている方々もいらっしゃった。
ただそれらの方々に共通して謂えるのは、決して大声を張り上げる事なく、笑い声にすら上品さというか、育ちの良さを感じたという事。
談笑をしていると思しき方々に、美姫さんは少しトーンを抑えて声をかける。
「あのぅ、すいません。
今日入寮しました、『茅ヶ崎美姫』と申します。
そしてこちらは……」
そう謂って私の方をちらりと見やり、片目でウィンクをして来た。
わ、私も自己紹介するの!?
えっと、何を話そう! とりあえず何か喋らないと!
突然の振りにしどろもどろしながらも、なんとか口を開く。
「えっと、あの、同じく『草壁栞』と申します。
よ、よろしくお願いいたします」
今度は噛まずに謂えた!
……ほとんど、だけど。
隣に美姫さんがいたのがとても心強く、すんでの所で落ち着きを保つ事が出来た。
先方の御二方は一つ上の先輩のようだった。
その所為か、立ち居振る舞いにとても洗練された雰囲気を感じた。
しかし後輩ながら、それに負けず劣らず堂々とした、それでいて上品さを醸し出している美姫さんはやはり凄い人だ。
きっとこういう社交の場での経験が豊富なのだろう。
美姫さんは御二方とすっかり打ち解け、入学が楽しみだのと既に談笑し始めていた。
一方の私はそこに入る事が出来ず、独りただ突っ立っているだけだった。
同級生であるにも関わらず、私を置いてずいずい先へ進んで行く美姫さんに途方も無い焦燥感を抱き、私はすっかりその場で談笑する気が失せてしまっていた。
お二方との話をひとしきり終えた後、浴室、食堂、洗濯室にお手洗いと、寮にある部屋を一通り見て回った。
どれも機能としては一般的なそれと大差無いが、例えば浴室なら大理石の大浴槽が、食堂ならテーブルや椅子が、特徴的な幾何学模様を呈して居て、一般家庭のそれとは少し異なった趣を呈している。
更にそれらの装飾は決して主張しすぎず、外の景色と上手く馴染んでいる様はまるで1つのハーモニーを奏でるようだ。
それらは、今まで一般家庭で育った私を異世界、非日常へと誘うには十分だった。
これらを見る度に、これから始まる生活への期待が高まっていく。
寮内の散策をひとしきり終えると、美姫先輩はまだ飽きたりないのか、提案をしてきた。
「ねぇ、学院の教会に行ってみない?」
時刻はまもなく午後四時に差し掛かろうとしていた。
学院へは寮から歩いて10分弱はかかると聞いている。
行きはともかく、帰りには陽はほとんど落ちているだろう。
でも――行ってみたい。
暗がりの中を帰ることになるのは怖いけど、この学院の事をもっと知りたいし、何より、美姫さんと一緒にいたい。
私は意を決し、縦に一つ頷く。
「じゃあ決まり! さっそく行こう!」
まるでダンスのターンのようにくるりと踵を返し、玄関へ駆け出す美姫さん。
不意に見せた美姫さんの子供っぽい一面が、私にはとても魅力的に見えた。
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