第一章 ”二人は出会う” 第一節

 何かの始まりというのは、期待に隠れるようにして、言葉に出来ない恐怖が背後に確かに存在しており、いつも私の心を蝕もうとする。

 特にそれが初めて親元を離れることになる”新生活”なら尚更。

 これから先に起こることを全て私独りで受け入れなければならないという、

 漠然とした、だけど巨大な壁のように確かに存在する不安感に襲われそうになりながら、

 自動車の後部座席で独り震えていた――――


 私の名前は”草壁栞(くさかべしおり)。

 遠くの学院付設の寮に入る為、ペーパードライバーの父親が運転する自動車で、母と一緒にかれこれ2時間ほど揺られている。

 高速道路から見える辺りの景色は、4月になろうというのに白く染められている。

 白樺の枝に乗った雪はまるで白い葉でも付いているかのように見え、

 白樺の幹の白さがその”白い葉”の美しさをより際立たせていた。

 これから私が入学する『聖純女学院』。

 東京から車で3時間半。

 長野県K町の山奥にひっそりと佇むその学院に私は入学する。

 そこは世俗から切り離された、由緒正しき女子校。

 有り体に謂ってしまえば”お嬢様学校”である。

 大正時代にキリシタンが創設したようで、今でもキリスト教の伝統が残っており、生徒たちが教会で聖歌を合唱したり、聖母様に祈りを捧げたりしているらしい。

 学院の教育方針としてもお嬢様学校らしく”品格を養う”事を大事にしており、生徒達は与えられた箱庭の中でみっちり”お嬢様らしさ”を学ぶそうだ。

 生徒達は挨拶の時に「ごきげんよう」等と謂うのだろうか……。

 しかし私が実家を離れてまでこの学院への進学を決めたのは、”お嬢様になりたいから”ではない。

 あまり大きな声で謂えないが、私はここで『お友達が欲しい』のだ……。

 引っ込み思案な性格の所為で、今まで私はずっと友達が出来た事が無かった……。

 レンズの分厚い眼鏡をかけているのも相まって、むしろ中学までは「オタクっぽい」と謂われ、クラスではいじめられた時期もあった。

 しばらく不登校になり自室に引きこもってしまい…………。

 とにかく!

 私は今までの人間関係を断ち切って、思いっきり遠くへ行ってみたかった。

 母親の母校でもあり、兼ねてから母が謂っていた「聖純の学徒はみんないい子だから、いじめなんて絶対にないわ」という言葉を信じて、このお嬢様学院に足を踏み入れようと決意した。

 ここならきっと善いお友達に巡り会える、そんな気がする。

 ただ、ここに来て私が狼狽しているのは、寮が”2人部屋”であるということだ。

 今まで引っ込み思案な私の事を唯一理解してくれていた、親の元を離れるのにも相当勇気を振り絞ったのに、全く知らない人と寝食を共にするなんて……。

 きっと私の私物を隠されたり、食事中に席を外した隙に食べ物に異物を入れられたり、不細工な寝顔を撮られてクラスにばら撒かれたり……。

 …………。

 はっと我に返る。

 まただ。

 少しでも不安になると、すぐに被害妄想を始めてしまい、自分で自分の首を絞めてしまう。

 私は自分のこの性格が本当に嫌いだ。

 こんな根暗な女の子と誰が友達になりたいと思うだろうか。

 とにかく、私はそんな自分を変えるために、親元を離れ寮生活を始める。

 そしてお友達を作る。

 そのためにここまで来たのだ。

 この気持ちだけは曲げたくない。

 まずは同じ部屋の人に、元気よく挨拶しよう。

 そして、寮内を一緒に散策したりしよう。

 あ、でも同じ部屋の人が怖かったらどうしよう。

 やっぱり不細工な寝顔を撮られて全校中にばらまかれて……。

 ………………………。


 そうこう私の被害妄想が何周かしているうちに、目的地へ到着した。

 私は考え事をしていたので感じなかったが、母は父の運転に軽く酔ってしまったようで、しきりにペットボトルの蓋を開けては少し飲んでを繰り返している。

 聖純女学院付属寮。

 その横にある駐車場に必死に駐車をしようとしている父を尻目に、”白い葉”に囲まれたその寮を眺める。

 その淡黄蘗の色をした寮は、”白い葉”に見事に馴染んで居た。

 屋根の上には、まだちらほら雪が残っている。

 今日からこんなにも幻想的な風景の中で暮らす事に、胸の高まりを感じずにいられなかった。

………………………………。


 やっとのことで駐車が終わり、ドアを開ける。

 ……寒い。

 息をすると、針葉樹を思わせるような、鋭い冷気が喉を刺す。

 けれどその空気は東京とは違い、採れたての野菜のように新鮮でみずみずしくて、何度も吸い込みたくなる。

 吸い込んだ息を吐くと、今度は身体に溜まった疲れとか苛立ちとかそういったものが白い息となって自然へ帰っていくように感じる。

 母は遠い目をして寮を眺めていた。

 かつてここで過ごした日々に思いを馳せていたのだろうか。

 すると我に帰ったように「寮母さんにご挨拶してくるわ」とだけ謂い、一人駐車場を後にする。

 車は止まっているにも関わらず運転席で未だに伸びている父をそっとしておいて、自分の荷物を車から取り出す。

 車から慣れ親しんだ衣類や生活品を取り出す事に”今までの親元での生活が終わる”ような、ちょっと特別な意味を感じて、実際以上に荷物が重たく感じられた。

 ……いや、実際重い。

 ぎっしりと衣類の詰まった半透明の衣装ケースは、ただでさえ非力な私には重すぎる……。

 父は運転席でついに寝息を立て始めたし、私一人ではこのケースを車から降ろすこともままならない。

 さらにここから寮の入り口までは300メートルはあろうというのに……。

 寮に着いて早々、私は途方にくれようとしていた。

 すると突然、肌を刺す冷たい冬風を吹き飛ばし、春を通り越して一気に初夏を運んできたような、暖かな声が私に囁きかけた。

「あのぅ。お困りですか?

よかったらお手伝いしましょうか?」

 声の方へ振り返ってみると、初夏の風の正体は声の印象通りの、暖かな笑顔で立っていた。

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