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深月 耀葉

Chapter 1 憧憬と綻びと

漆喰 芽衣―「望遠」

鳥籠の夜―2133.9.9

〔1〕


 殺風景な部屋の片隅で、気怠げな瞳が頭蓋から刳り貫かれたように、暗がりでキョロキョロと光を湛えている。


 家電や家具の類は極端に少なく、ブルーライトに麻薬さながらに浸り、画面越しの娯楽に魅せられる隙も無い。一面を覆うようにして張り巡らされたホログラムの電飾は幻想的な深海の蒼をリスペクトしている。

 宙に漂うのは一匹のミズクラゲ。傘の真ん中のクローバー模様がこの珍妙な生物の胃らしい。部屋のフローリングには、海底に差し込み、穏やかな波と揺らめく淡い光の移ろいが見事に再現されていた。

 退屈を吐いて、憂鬱を吸い込む。そんな彼女の背後では、ふかふかの高級ベッドに寂しげに置かれたイルカの抱き枕がゆっくりと点滅を繰り返して暗闇を融かしていく。


「ねえ、ヨツメ。つまんない」


 ミズクラゲのヨツメちゃん。あまりに安直な命名だ。

 欲求不満でご機嫌斜め、そんなある日に何を思ったのか、無謀にもこの部屋丸ごとアクアリウムに仕立て上げようとしたことがある。ヨツメはこの時の副産物。壁紙の蒼い電飾とは異なり、物体に質感を依存しない高度なホログラムで、無から構築されているにも拘らずしっかりと感触まで再現されている。


「ねえ、ヨツメ。実は喋れるとか、ないの?」


 本来ならこの空間には他に小魚の群れと、コビトイルカが仲良く暮らしているはずだった。代わりといえばあれだが、ヨツメにはデブリから拾った前世紀の謎めいたデータを組み込んでいた。彼女の遊び心はメルヒェンに毒されていて、自らの行いに呼応して、いつか都合よくお菓子の家やかぼちゃの馬車が現れるのだろうと盲目的に信じている節がある。当然、そんなご都合主義は現実に適応されないことも知っている。それでも、だ。日頃のモチベーションの為に自分に嘘をついて生きている。


「ヨツメ。あのさ、友達欲しい?」


 孤独な一匹のクラゲが人知れず胃腔を橙色に染める。


 作業机の奥行きは十五センチ程度。勉強机というよりはカウンターテーブル、或いはグランドピアノの譜面台。そこにあるのはミルクティーを淹れたマグカップと一錠のカプセル。学校のない日はカーテンの外に降り頻る雨粒のシルエットを構築して、ざあざあという蕭条な雨の音に彼女は溺れる。

 それで別段病むこともない。替えの壁紙には十六の少女らしく、水玉模様の白と水色だったり、ほんのりピンクの西洋スタイルも用意している。


 彼女は背もたれと肘置きが一体となった丸くて可愛らしいフォルムの回転椅子にひょこんと座って、左右にゆらゆら揺れながら、今日も持て余すだけの授業に付き合っていた。



 帰りのHRホームルームに至っては、クラスメートたちの賑やかな声が俄かに現実味を帯びて、右手の人差し指の爪から迸る電流に思わず芽衣は身震いした。

 掻き毟れば消え失せるような弱い感触。電流が身体中を駆け巡るときのそれは、痛みというよりはくすぐられたときのもどかしさに近い。それが今回ばかりは皮膚の下で虫が蠢くような、そんな悍ましさを伴っている。生理的嫌悪としか言いようがない。どっかのだれかがASMR(=Autonomous Sensory Meridian Response)のプレイリストを《巻貝》(=レイ・ブラッドベリ著『華氏451度』にて登場する超小型ラジオ)の電子のさざなみに泳がせているんだっけ。それ、私用にチューンして売ってくれないかな。


「はい、静かにー。明日の全校遠足の確認ね」


 芽衣は気休め程度にと、テーブルの端に人差し指をトントンと小刻みに押し付ける。音声が先行する形で、女性教師の立体映像が突如として仮想空間の教卓の奥に姿を現す。教室を満たしていたどよめきは僅かに影を潜める。


「データ配るから生徒番号と名前に間違いがないか見てみてー」


《i-link》と呼ばれる指向性小型端末に集合場所のデータが添付される。芽衣の所有する外付け型《i-link》端末は尖った卵型で、ネイルや髪留めなどの服飾の一部としても機能する。淡い瑠璃色の輝きも透明度まで調節することができた。間髪を入れずに《i-link》がARで情報を立体化する。


「生徒番号1026 漆喰うるしばみ芽衣めい――集合 ハ AM9:30 桜流しの灯台 ニテ待機」


 機械音声(もっとも、耳にする分には肉声と区別できないが)がそれ特有のざらついた振幅と共に右手から流れ込んだ。


「うん、だろうとは思ってたけど……」


 自宅からの最短経路が立体の地図の上に赤いラインで示される。


「はい、各自確認は済んだかしら」


 担任の教師の3Dモデルが仮想空間に再び投影される頃、ほんの一時の静寂が終わりを告げる。不必要な情報として肉体を削ぎ落とされたクラスメートたちの声。

 ……いや別に、他人に興味があれば顔を合わせて話し合うこともできるのだけど。

 彼らは私と同じ人間であって、NPCではない。

 それは知ってる。ただ、丸ごと表示すると情報量が多くなりすぎるから軽量モードで。ごめんね、ほんとに。


「持ち物の確認するからメモするなりして当日忘れないようにしてね」


 すかさず芽衣は《i-link》にメモ用のデータフォルダーを拵えた。でも大抵無駄に終わってしまうことも彼女は知っていた。だって、先生は押しに弱いからどうせ後からチェックシートかなんかを作ってしまう。しかも全員に配布ときた。真面目にメモするほうが馬鹿なのかもしれない。


「服装は学校指定の光学迷彩制服。サーマルレンズも忘れずにね。あとはおうちに事前に送ってある《ブラックボックス》のフラグメント。個人の登録と認証は今晩のうちに済ませる事。座標指定だけは目的地に集合してからです」


 2089年に地球に異文明の遺産――《ブラックボックス》が飛来したのち、その調査が行われるようになってからというもの、それまで不可能とされてきたタイムマシンの技術が確立され今に至る。2133年現在もタイムマシン技術は一般には公開されてはいないが、歴史体験学習の一環として、政府から教育機関へレプリカモデルが配布されている。“遠足”とはつまり、歴史的瞬間に立ち会い、過去から教訓を得ることが目的であり、一昔前の概念とは大きくかけ離れている。


「えっと……同行者の名簿を要求します」

「はいはい、皆さん、ちょっと待っててくださいね」


 担任が眼鏡のフレームに右手を当てて、僅かに目を空に泳がせた。目の前に湧いて出たものが取るに足らない事柄だったのか、あら、どうかしたのと言わんばかりの表情でこちらを見つめている。


「……1026、リクエストを承認」


 抑揚のない機械の語り。当然、あの眼鏡の女性教師のものではない。


 こうして《i-link》とやり取りしている間にも、その眼差しはずっと芽衣に向けられたままだった。そのようにだけだと分かっていても、先生の瞳に何もかも見透かされているような気がして、迂闊に落ちぶれることができなかった。


 ――男子生徒が一人、女子生徒が他に二人。同伴として役所からの指導スタッフ一名。


 ……想定の範囲内。芽衣が暮らす地域は少し北上すると古代遺跡の跡地があり、南下すると遠い昔に原子力事故があった区画にぶつかる。元々この一帯の人口が少ない上に、遠足コースが三つもあるときたら、そりゃ生徒も分散してしまって頭数を揃えるにも一苦労だろう。


「よし、じゃあ今日はここでお終い。今日の日直は?」

「せんせー、0627番です」


 目立ちたがり屋な男子生徒の声が聞こえる。


「おーい、きこえているかー0627」


 笑い声やこそこそとしたやり取りがそこら中に溢れる。


 煽るな、煽るな。いつにも増して調子がいいな、まったく。ああいう浮かれた奴に限って遠足で事故を起こす。タイムパラドクス法に触れて一発死刑だ。奴の青ざめた顔が見てみたいような、そんな気もする。彼にそこまで興味もないけど。


「わるいわるい、じゃあ皆さん準備はいいかい?」


 どうやら0627番には下の兄弟でもいるのだろうか、誰に急かされても上手く躱してのけるあたり、落ち着きがあって好感が持てる。


「起立」


 ざわめき。椅子の脚が床と擦れる音。それと……布団を被る音?まあ、ベッドの上で授業を受けようが人の勝手だ。校則なんて特にないし、それで除け者にされることもない。


「さようなら」

「さようならー」


 彼の号令に反応したのはクラスメートの四割程度だろうか。さよならを呟いて軽く礼をしたものの、芽衣は起立しなかった。


 担任の立体モデルはその偽りの眼差しを据えたまま、生徒全員がログアウトするまで仮想世界で立ち尽くしていた。何となくぼーっとしていたら最後の一人になりかけ、先生に話しかけられるのでは思い、慌てて芽衣も回線を切った。


 現実に帰宅すると、マグカップを両手に、冷めきったミルクティーに口を窄めて息をふぅー、と吹きかける。弱くて長い吐息が、わざとらしく液面に波紋を立てている。その様子を芽衣は虚ろな双眸に止む無く宿した。


「ヨツメ、明日はお留守番だって」


 暗澹たる海にぷかぷか浮かぶヨツメ。さっきまで芽衣の手が届く範囲にいたのに今では向こうのカーテンの陰ででたらめな泳ぎを見せている。ヨツメの最近の流行りはカーテンの生地をすり抜けることらしく、そのまま窓もすり抜けようとして丸い傘をぶつけて、諦めてまたカーテンを裏から表からすり抜けることに執着する。


「だからさー、別にカーテンじゃなくてもいいじゃん」


 ヨツメのホログラムを構築した段階で部屋の四隅と芽衣以外はすり抜けられるようにしてある。家具なども障害物として認識させて現実感を出すとなると倍の時間がかかるから妥協したのだった。


「まあ、いいけどさ。お留守番よろしくね」


 明日の道具の準備をしなきゃ。芽衣は椅子から立ち上がり、小さなクローゼットから制服やフラグメントを取り出す。ベッドに一通り広げ終えると、再び椅子に戻って、足で軽く勢いをつけて手持ち無沙汰に身体を回転させる。



 桜流しの灯台――大地震と津波の痛々しい記憶……。

 私が産まれた直後にも一度起こったらしい。当時は対策も万全だったから何事もなかったらしいけど、もう少し昔なら話は別だ。Mマグニチュード9.0、なんだよそれ、どうすればいいんだ。……そんな時代もあったんだ。


 うーん、過去に想いを馳せるってこんな感じかな。


 フラグメントは光を奥底へと吸い込んでいく。真っ黒なルービックキューブを視界の片隅にこつんと置いた。芽衣は久々に取り出したサーマルレンズを《i-link》端末に繋げて調整を終えると、透明になった手のひらから放たれた仄かな暖色をじっとただ眺めていた。


 ……正直、明日が少し怖かった。

 自分を苛んでいるのは忍び寄る冒涜の気配なのか、それとも、仮面の内に潜むささやかな好奇心なのか、芽衣はそれを確かめる術を持ち合わせてなどいなかった。


 ふと夜空の微熱をレンズに透かしてみたくなった。

 夜はまだこれからだというのに――。



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