一話『名雲真の 日常』
――― …
「
「… … … ふぇ」
クラス担任の安田に肩を叩かれて、俺の意識は教室の中に呼び戻される。
「ホームルームであんだけスヤスヤ寝る奴もなかなかいないな。どうせなら家に帰って寝たらどうだ」
「す、すいませんでした」
口元を拭って、俺は立ち上がって安田に頭を下げる。
細身の、初老のクラス担任は呆れたように笑って出席簿で俺の頭を軽く叩いた。
「お前の事だから勉強のしすぎって事もないだろ。徹夜でゲームもほどほどにしておけよ」
「… はい」
お見通し、か。
安田先生のこういうところが俺の嫌いなところであり…少しだけ、好きな部分でもある。
教室の窓からは西日が差し込んでいる。
俺は鞄を手に持つともう一度、安田先生に頭を下げて教室から足早に立ち去った。
――― …
寝不足の原因はゲームのやり過ぎだけではない。
いや、ほとんどの原因がそれであるのは間違いではないのだが… もっと俺の、
『夢』だ。
ここのところ妙な夢ばかり見る。
というのは就寝時間ギリギリまでやっているRPGのゲームのせいなのだろうが… 見る夢の内容が毎回同じようなものなのだ。
薄っすらと覚えているその夢の内容は、RPGそのままの世界。
広大な草原。活気に満ち溢れた中世の街。強大な魔物。そして… 勇敢に武器を振るい、それに立ち向かう…俺。
壮大な冒険の世界は、夢を夢と思わせず、現実のようなリアリティを帯びたものだった。
はじめは、俺はなんて幸せな夢を見れるのだろうと思っていた。ゲーマー冥利に尽きる夢だ。
しかし、それが一週間も続くとあってはこちらも流石に疲れてくる。
睡眠時間は六時間はとっているのだが、夢の内容の大半は起きた瞬間に忘れるものだった。
だが、この一週間に見た冒険の夢はどれも記憶に嫌にこびりつく。
細かい内容ははっきりとはしないのだが、まるで夢を見た六時間の間マラソンをしたような濃密な時間だったのは覚えている。
それは、まるで、寝ている間も起きて、夢の中で活動しているような…不思議な感覚だった。
睡眠はとっているのだがその感覚ゆえ俺は身体に疲労を感じ、今日に至る。解放感溢れるホームルームで爆睡してしまう始末だ。
… … …
「はぁ…」
俺は眠気と嫌気の混じった溜息をつきながら『部室』に顔を出す。
狭苦しい部屋の中には長机一つと、パイプ椅子が4台。そこに押し込むように漫画本やゲームやアニメのCDが置いてある。
椅子に座ってソーシャルゲームに勤しむ男が部屋に入った俺を見て明るく声をかける。
「遅いぞ真!ホームルーム、随分長引いたな」
「違う違う。俺が居眠りしちまったの。安田に起こされた」
「ほー、随分お疲れのようですなぁ。夜のアレのせいですか」
「なんだ夜のアレって。…なんかここ最近うまいこと寝れなくってさ。おかげで… ふぁ… 眠い」
欠伸をしながら、部室に入るなり机に突っ伏す俺の背中を、もう一人の男…
「いたっ」
「情けないぞ真。…まぁ、ティラクエの新作に寝る時間を割くのは致し方ないとしてもだ。俺達はまだ若い!徹夜の三回や四回、こなしてみせろっ」
「… … …」
この浅岡敬一郎という男。
俺と同じ『RPGゲーマー』という事で高校一年生の時から意気投合し、『文芸同好会』という名ばかりのゲーム愛好会を二人で立ち上げた。
以来、放課後になっては二年生の秋の今までこの部室に集まり流行りのスマホRPGやカードゲームに興じている。
敬一郎は、いわゆる『動けるデブ』。そして、『明るめのオタク』。
体重は80キロを超えているものの身体能力は抜群で、特に球技大会の野球などでは少年時代にやっていたというピッチャーとしてその剛腕を披露している。
中学まではエースを務めていたそうだが、どこかで道を踏み外したようで、高校からはゲーム三昧。今は見るも無残な腹を顎をしている。
しかし運動部出身という事もあって性格は陽気。クラスでもオタクというのは全員が周知していたが毛嫌いされる事など全くなく、むしろクラスのムードメーカーとして活躍しているらしい。
一方のこの俺…南雲真は、イジメこそ受けていないが、クラスでは少し浮いていた。
勉強は中の下。テスト順位も下から数えた方が早い。趣味はゲームで、休み時間は専ら隠し持っているスマホでゲームに興じているせいでクラスメイトと話もロクにしない。
敬一郎と俺は違うクラスだ。学校で友達と呼べる存在は敬一郎ともう一人くらいしかいない。
同じオタクでも、俺と敬一郎には雲泥の差があるのだ。
「俺はお前が羨ましいよ」
俺はつい敬一郎にボソッと思っていた事を呟く。
「あ?なんでよ?」
「いや、なんでもない。…今日は敬一郎だけか」
「ああ、そうみたいだな。俺も居るかなと思ったけど今日は来ないみたいだし…お前と少しティラクエやったら帰るわ」
「なんか用事?」
「アニソンのカラオケオフがあってね。ちょっとだけ顔出してこようかと」
「… つくづく羨ましいよ」
この部活、俺と敬一郎以外に、一年生の…なんと驚く事に、女子部員がいる。…が、その話は追々する事とする。今日は来ないみたいだし。
「だから何が羨ましいんだよ。真も来ればいいだろ。アニソンくらい歌えるだろうに」
「歌える歌えないじゃないんだよ。大勢の前に出るのが嫌なの」
「わからんなー。それが楽しいんじゃないの。大勢の前で魂を叫ぶ。つまらない日常に輝きをぶち込む、最高の瞬間じゃないか」
「どうやら俺とお前の輝きは色が違うようだ、敬一郎」
クラスですらロクに喋れない人間に、知らない人間の前でどうアニソンを歌えというのか。
俺は… この部室で気心の知れた仲間とゲームが出来れば、それだけで幸せなのだ。というか…それ以上の事はしたくない。
「いつか連れてくからな、オフ会」
しかし敬一郎は俺を毎回こう言って誘ってくる。俺は決まってこう返す。
「いつかな」
そして、そのいつかは一年以上来ていない。
俺は苦笑しながらスマホを取り出してアプリを起動した。
「さ、一戦やろうぜ。ティラクエの共闘」
俺と敬一郎は、つい最近配信されたスマホRPG『真ティラノクエスト』に30分ほど熱中した。
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