第96話 冬の太陽は徐々に顔を出して

「あ、やっと来た。おそーい」

「いやいやヒナ、すけっちはそれなり早い方っしょ?」


 俺が呼び出されたところに到着すると、さっそく文句を言われた。

 なんだよ、文句言うために呼び出されたの? それともカツアゲとか? 高野とかやってもおかしくなさそうだし。


 まぁ、それはないと知っているから来たわけだけど。事前に何の話かは聞いているからな。


「トイレに行ってたんだよ。それで? 雪芽のことで話があるんだろ?」


 俺が話の本題に入るよう促すと、ふざけていた二人は一転して真剣な表情を浮かべた。

 そう、庭たちが俺に話したいことがあると言っていたその内容は雪芽のことだった。



 今日の午後の授業の合間の休み時間、庭と高野が俺の元を訪れて放課後になったらすぐ中庭に来てくれと言ったのだ。

 またこのままでいいのかって文句を言われるものだと思ったから最初は断ったのだが、大切な話でここではできないというから、こうして放課後足を運んだというわけだ。


「そう。やっぱり雪芽は優利のこと好きじゃないみたいなの」

「……それは雪芽がそう言ってたのか?」

「うん。今日の昼休みに聞いたの。優利の提案を受け入れる代わりに付き合うことにしたって」

「提案って、まさか……! それ詳しく教えてくれっ!」

「ちょちょっ、柳澤君がっつきすぎだってっ!」


 俺が思わず詰め寄ると、庭は慌てたように後退る。そして高野が俺から庭を守るように間に割って入った。


「すけっち落ち着けって。まだ時間はあるし、ちゃんと話すからさ」

「明は話さないでしょ~?」

「まっ、そうだけどな?」

「おい、いいからどういうことなのか教えてくれ」


 いまいち緊張感のない二人を思わず急かすと、二人は再び真剣な表情を浮かべる。

 そして庭は今日の昼休みに雪芽から聞いたという話をしてくれた。



「……それ本当なのか?」

「だからそうだって言ってるじゃん。雪芽は柳澤君をあの噂から守るために優利と付き合いだしたの」

「なんで……」

「そんなの決まってるじゃん」


 庭は当然分かっているだろうという視線を俺に向け、微笑む。




「雪芽が柳澤君のこと大切に思ってるからでしょ?」




 雪芽が俺のことを大切に思ってるから……? それって――。


「俺と同じ、か」

「え!? 同じって……!?」


 俺の呟きにやけに驚いた様子の庭。隣の高野も驚いてるけど、あれは庭のリアクションに驚いてるだけだな。


「俺も雪芽たちを守りたいと思ったからありもしない罪をかぶった。その話が本当なら雪芽も同じなんじゃないかと思ってな。大切な友達を守りたいって思うのは一緒なんだなって」


「友達って……。それマジで言ってるの? 柳澤君」

「冗談でこんなこと言わないだろ」


 俺の答えに庭は盛大にため息をつく。

 なんだよ、俺何か間違ったこと言ったか? 雪芽は俺にとって本当に大切な友達だ。彼女を守ることは俺の使命だとすら思っている。


 その使命はもう俺のものではないと思っていたが、どうやらそうではないかもしれない。今は俺の発言のどこに問題があったかよりもそっちの方が重要だ。



「それで、雪芽が広瀬と付き合いだした理由は分かった。お前たちは俺にそれを言ってどうしろっていうんだ?」

「そんなの決まってんじゃん。助けるんだよ」

「それは広瀬から雪芽を取り返すってことか?」


 頷く庭と高野。この二人は俺に広瀬と雪芽を別れさせろって言っているのだ。

 確かにこいつらの話を信じるなら、雪芽が好きでもない広瀬と付き合い始めたのは俺のせいということになる。俺が助けるのが筋ってものだ。


「それはいいんだが、どうしてお前たちは雪芽を助けたがる?」


 でも、それにどうしてこいつらが協力するのだろうか。それだけが分からない。

 庭も高野も、広瀬の友達のはずだ。雪芽に恋人になるよう持ち掛けたのだから、少なくとも広瀬は雪芽のことを好きであるはずだ。それなのにこいつらは広瀬から雪芽を取り戻すと言う。友達なのにだ。


「雪芽が可哀想でしょ?」

「そりゃそうだが、お前たち広瀬のことはいいのかよ? あいつは雪芽のことが好きなんだろ?」

「それは――」


 庭は俺の問いかけに苦虫を噛み潰したような顔をし、高野も困ったように眉をひそめる。



「……ううん、今は長くなるからいいや。それより、柳澤君は優利に罪をかぶるように言われたんだよね?」


 庭は先ほどの話題を追いやるように頭を左右に振ると、俺が広瀬に提案された内容について聞きたがった。

 そして俺が広瀬にされた提案について話してやると、庭は少しの間考える素振りを見せた。


「うん、多分ヒナの考えてることと一緒だと思う。やっぱりあの噂を流したのは優利で間違いない」

「おいおい、どういうことだよ?」


「つまりな? すけっちのリレーの噂を流したのはリンリンってこと。そんですけっちがめっちゃんたちを守るために罪をかぶったところを狙ってめっちゃんに近づいたってワケ」


 それから聞かされた庭たちの仮説はおよそ信じられないものだった。

 どうしてそこまでして雪芽と付き合いたかったのかも分からないし、そんな陰謀じみたことを一介いっかいの高校生ができるとは到底思えない。

 しかし俺がそう指摘すると、庭たちは真剣な表情をしてそれができるのが広瀬なんだと言った。



「つまり、俺をめたのは広瀬ってことか?」

「そういうこと。柳澤君もあっさり操られちゃって情けなかったけどね~」

「うるへえ」


 俺が呟くと、高野が顔を逸らしてくぐもった咳のような音を出した。

 何事かと高野を見ると、高野はにやけた顔をして俺を見ていた。


「なんだよ?」

「ぐふっ、だってすけっち、うるへえって……!」

「いや、だからなんでそれで笑うんだよ?」

「いやいや! だってマジで間抜けじゃん? ぶははっ! やっべ、つぼった!」


 それからも高野は何が面白いのかしばらく笑っていた。庭も何が起こっているのかよく分かってないようで、こちらを見て目で助けを求めて来る。

 いや、俺にもよく分からんって……。


「いや~、マジ笑ったわぁ。てかすけっち結構話せるじゃん? 俺てっきりすけっちは普通に話せない奴なんだと思ってたわ」


 高野はひとしきり笑うと滲んだ涙を拭い、そんなことを言った。


「は? どういう意味だよ?」

「すけっちってなんか何言ってっかよく分かんねーつうか、マジ俺とはノリ合わねぇなぁって思ってたけど、おもろい奴だったのな!」


 そう言って俺の肩をバシバシ叩く高野。痛ぇっての……。


 どうやら俺は高野に気に入られたってことでいいのかな? 別に嬉しくとも何ともないけど、高野が嬉しそうだからまぁいいか。

 でも俺はまだ高野とノリが合うとは思ってないけどな?



「ちょっと明、話の邪魔しないで。ヒナもそろそろ部活行かなきゃなんだし」

「あ……、マジごめん。ヒナ怒った?」


 庭に怒られてシュンとする高野。庭の様子をうかがう瞳は少し怯えているようにも見えた。


「怒ってないし~。それで柳澤君、雪芽を助けるの、協力してくれるよね?」

「もちろん、願ってもないことだしな。それで、何か計画はあるのか?」


 庭は俺の質問に残念そうに首を振る。

 それを見る高野も難しそうな顔をしてはいるが、こいつ何も分かってないんだろうなぁ……。


「それはまだ……。きっと生半可な計画じゃ優利は止められないと思うし。だからそれまで柳澤君は雪芽を支えてあげて」

「分かった。他に何かすることはないか?」

「ううん、柳澤君は雪芽を気にかけてあげて。雪芽はきっと今とっても辛いはずだから」


 庭は雪芽を想ってか辛そうな表情を浮かべる。雪芽と庭ってそんなに仲良かったのか?

 それでも雪芽を助けるのに協力してくれるっていうのだから、ちゃんとお礼は言っておくべきだよな。



「庭、雪芽を助けるのに協力してくれてありがとな」

「別にいいよそんなこと! ヒナも困ってるだけだし」

「うん? 何を困ってるんだよ?」


 俺が疑問に思って訪ねると、庭はそれには答えずに困ったように笑った。


「それより柳澤君、今ヒナのこと名字で呼んだでしょ!? ヒナのことはヒナって呼んで!」

「いや、別にそんなに仲良くないし……」

「いいからっ、ヒナ名字で呼ばれるの嫌いなのー!」


 名前で呼ぶほど親しいわけでもないのに、いきなりあだ名で呼べって? こういう女子の考えることはよく分からんな……。


「すけっち、ヒナはその辺譲んねぇんだよ。素直にしたがっとけって!」


 高野も庭の横からそう助言してくる。

 どうしてそこまで呼ばれ方にこだわるのかよく分からないけど、まぁ、別に呼びたくない訳じゃないしいいか。


「分かったよ、じゃあこれからよろしくなヒナ、高野」

「え? 俺のことは名前で呼んでくれないワケ?」

「そこまで仲良くないだろ」

「んだよー! 俺はちゃんとすけっちってあだ名で呼んでんじゃん!?」

「呼んでくれなんて頼んでない。それにそれやめろって前言っただろ? 別のに変えてくれ」

「ちぇ~……。わーったよ、何か考えとくって!」


 そうして大して落ち込んでいない雰囲気の高野は、庭と一緒に部活へ向かうため、急いでその場を後にしたのだった。



「さて、俺も帰るか」


 誰にともなしに呟いて、俺は鞄を背負いなおす。


 しかし雪芽が広瀬と付き合いだした原因が俺だとは思いもしなかった。雪芽にとって広瀬と付き合うメリットは、俺を守れるということだったってわけだ。


 つまり、俺を守るために雪芽は自分を犠牲にしたってことだよな。

 雪芽は、雪芽たちは俺が自分を犠牲にしたから怒っていたんじゃなかったのか? それなのに雪芽は自分を犠牲にして俺を守った。それじゃあ俺とやっていることが一緒じゃないか。


 一言文句を言ってやりたかった。どうして相談してくれなかったのか、他にもっといい方法があったはずなんだ、と。


「……あぁ、そうか」


 沸き起こった感情を自覚して初めて、俺は自分のしたことの何が悪かったのか、真に理解した。




 そうだ、同じなんだ。俺と雪芽は全く同じ気持ちを抱いていた。


 守りたいと思った。自分にそれができるなら、俺は何でもしてやると、そう思ってた。


 頼ってほしかった。一人で抱え込まないで、俺になんでも相談してほしかった。一緒に悩ませてほしかった。




 ……文句を言うのはやめだ。どうしてそんなことをしたんだって問いたださなくても、俺には理由が分かるから。

 だから今はただ雪芽に会って話したい。今この状況を抜け出す方法を一緒に考えようって。



 雪芽に連絡してみようか。断られたらどうしよう? そんなことを考えながら昇降口へ向かうと、ちょうど下履きを手に取った雪芽がそこに立っていた。


「雪芽、今帰りか?」


 俺が声をかけると、雪芽は驚きを浮かべた後、悲しそうに目を伏せた。


「うん、今帰るところだよ。それじゃあ――」

「待ってくれ! 話したいことがあるんだよ。一緒に帰らないか?」


 背を向けた雪芽に声をかける。

 雪芽はかがんで下履きを地面に置くと、立ち上がり、ゆっくりと振り返った。


「……うん、分かった」


 その表情は何かを諦めたようにも、それを待ち望んでいたようにも見えた。

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