第57話 2日目のリレーは曇天に覆われて

 体育祭2日目。天気は晴れ。

 天気予報では午後少し曇る予報だったけど、この暑さだと少し曇ってくれた方がちょうどいいかもしれない。


 そんなことを思いながら駅で電車を待っていると、ユッキーがやってきた。



「あ、なっちゃん。おはよう」

「うん、おはよう」


 簡単な挨拶の後、ユッキーはベンチに座る。

 4つしかないベンチの端と端に腰掛けて、それきり私たちは何も話さない。

 だけど、これで最後とばかりに大声で鳴き喚くセミの声が、私たちの沈黙を埋めてくれていた。



 ユッキーは陽炎で揺れる向かいのホームを見て、眩しそうに目を細める。

 夏服の制服から覗く肌は白く、腕も足も細い。

 病気がちだったと言っていたから、こうして体育祭なんかに参加したことも稀なんじゃないかな。


 対して私の大分くたびれてきた体操服からは、よく焼けた筋肉質な手足が延びている。

 私も本当は制服で登校しないといけないんだけど、向こうで着替えるのは面倒だからと、こうして体操服で電車を待っているのだ。


「いよいよだね。リレー」

「え!? う、うん、そうね」


 じっとユッキーのことを見つめていたから、急に声をかけられて驚いちゃった……。

 でもなんで急に? 沈黙に耐えかねたとか……?


「私、陽介となっちゃんが一緒に走るの、楽しみ」


 そう言うユッキーは相変わらず向かいのホームを眺めていた。

 でもその口元は微笑みを浮かべていて、ユッキーはそんな何でもない風景の中でも絵になるなと思った。



「……どうしてユッキーは陽介をリレーの選手に推薦したのよ? それだけが理由じゃないでしょ?」


 私も向かいのホームに目を向けてユッキーにそう尋ねた。

 ユッキーが見ているものを探したけど、一体ユッキーが何を見ているのか、私にはわからなかった。


「……まぁね。私自身確かめてみたいことがあったの。それにはなっちゃんと陽介が一緒に走って、バトンが繋がるところを見る必要があったから。……陽介は嫌がってたけどね」


 ユッキーは私の方を一瞬だけ見て、困ったように微笑んだ。



 陽介が嫌がっていたなんて言うけど、きっとそうじゃない。

 陽介は確かに流されやすいというか、面倒臭いことから逃げる癖があるけど、ちゃんと自分で決めたことはやる奴だもの。


 だから面倒臭がってるけど、リレーではちゃんと走る気みたいだし、練習もしてた。

 部活を辞める時も、高校で陸上部に誘った時も、断るときの陽介は、言葉こそ柔らかかったけどその決意は固かった。


 だから、陽介が本当にリレーで走りたくないのなら、何といってもあいつは走らないって言うはず。

 でも陽介は走ることを受け入れた。

 それは、私にはユッキーの提案だから受け入れたように映って、私はそのことが受け入れられなかった。


 でも今はそれでもいいと思える。

 たとえユッキーの提案で陽介が再び走るようになったとしても、一緒に走るのは私なんだから。



「確かめたいことってなによ?」


 だからどうして陽介をリレーに推薦したのかが分からなかった。

 単純に陽介が走る姿を見たいってだけなら、アンカーにする必要もないし、私と陽介を前後にする必要もない。

 これじゃあまるで敵に塩を送るみたいじゃない。私に得することを提案して、一体ユッキーに何の意味があるっていうの?


「それはその時になったらわかるよ」


 でもユッキーは、向かいのホームをじっと見つめたまま、そう言うだけだった。


 私も答えを探すように向かいのホームに再び目をやっても、ただ陽炎がゆらゆらと、目の前の景色をぼかしているだけでやっぱり何もなかった。



「あれ、お前たち早いな。おはよう」


 改札の方から聞こえてきた声に振り向くと、体操着姿の陽介が立っていた。

 ほらやっぱり、着替えるの面倒だものね。体操服で来るのはそこまで変じゃないのよ。


 陽介はベンチに座ろうとしたけど、私たちの間の二席しか空いていないのを見て、一瞬迷いから足を止めた。

 それから逡巡の後に結局座らず、立っていることを決めたようで、ちょうど私たちの真ん中に向かい合って立ち止まった。


「おはよう、陽介」

「おはよう、ちょっと遅いんじゃない?」

「あ、ああ……」


 私とユッキーが左右からほぼ同時に挨拶を返すと、陽介は困ったように頷いた。



 それから今日の競技の話とか、これが終わったら中間テストも間近だなんて話をしたんだけど、私とユッキーは陽介にしか話しかけないから、陽介はやりにくそうだった。


 まぁ、私とユッキーは陽介とだけ話をしていて、3話をするということはないから、3話をしようとしている陽介はやりづらいんだろうなぁ。


 しばらくすると、陽介も疲れてきたのか、3人で会話をすることを諦め、私たちと個別に話をするようになった。

 しかし、その顔は何か言いたげに見えた。


 ……わかってるわよ、そんなこと。

 でもこればっかりは簡単に譲れないから。

 だから今すぐには無理なのよ。



 やがて電車が来ると、陽介は少しだけホッとした表情を見せた。


 自動では開かない電車のドアを陽介が開け、中に乗り込む。

 冷房の効いた車内は快適で、その冷えた空気で体を冷やそうと、思わず服の襟を掴んで扇いだ。


 陽介はそんな私を見ると、慌てて目をそらした。


「なーに見てんのよ~?」


 ちょっと揶揄からかうつもりでそう言うと、陽介は悔しそうに顔をゆがめた。


「……見てねぇよ」

「な~にぃ? 見たいなら見せてあげてもいいけど?」

「いや、女の子がそんなこと、するもんじゃない」


 そんな様子がおかしくて、自分の服の襟を掴んでさらに揶揄ってやると、陽介は真剣な目でそう言った。

 そんなこと、今まで言われたこともないし、やけに真剣だったから少したじろいでしまう。


「な、なによ。ちょっと揶揄っただけじゃん」

「それでも、だ。もし俺が本気にしたらどうするつもりだ? 夏希だって女の子なんだから、自分の体は大事にしろ」

「わ、分かったわよ……」


 陽介の気迫にも似た何かを感じて、私は思わず頷いていた。


 な、なによ、急に真面目なこと言って! 今まで私にそんなこと1回も言ったことないじゃない!

 別に、女の子として見てもらえることが嫌なわけじゃないけどさ……。急にそんな風に接されると戸惑うっていうか……。


「そうだよ! なっちゃんだって魅力的な女の子だもん。ねっ?」

「ん? まぁ、そういうことだ」


 ユッキーも陽介の言葉に便乗して、そんなことを言った。

 陽介もそれに相違ないと言った感じで。本当にそう思ってくれてるのなら私としては嬉しい、かな。


 今まで陽介といて女の子扱いされたことなんてなかったし、こうして直接女の子だなんて言われると、むず痒いというか、照れるというか、落ち着かないけど、悪い気はしない。

 夏休みに入ってから、陽介が私のことを女の子として見てくれていることはなんとなくわかってたけど、こうして明確になると、それはそれで嬉しいかも。



 ……でも、どうして陽介は私のことを女の子として見るようになったのかな?

 私は夏休みの間部活で忙しくて、陽介とはほとんど会ってないはず。なにか大きな変化があったわけでもないのにどうして?




 もしかして、またユッキーが……? ユッキーの存在が陽介の意識を変えたとか?


 また。またユッキーなんだ。




 ユッキーは私にできなかったことをあっという間に成し遂げる。

 ほんの些細なことで陽介を変えてしまう。私と陽介が築き上げてきたものを飛び越えて、時間なんて関係ないとばかりに。



 私はユッキーと対等だと、そう思っていた。

 私はユッキーとは陽介と一緒に過ごした時間が違うし、ユッキーみたいに綺麗じゃなくてもまだ何とかなると思っていた。


 でも違う。

 ユッキーは私とは決定的に違うんだ。


 きっとこのリレーも、私の言葉だったら陽介は走らなかった。ユッキーが言ったから、走ることに決めたんだ。

 さっきまではそれでもいいと思っていた。一緒に走るのは私だし、ユッキーが陽介と一緒に走るわけじゃないから。


 でも、問題はユッキーが言ったから走ることに決めた。リレーの選手になると決めたってことなんだ。

 私じゃない、ユッキーの提案だったから陽介は受け入れたんだ。ユッキーだったから……!


 分かってた、わかってたはずなのに……! でもそんなはずないって、私でも同じように陽介を変えられるって、そう思ってた!

 でも、私じゃ、ずっと何年も幼馴染の、友達のままの私じゃ――


「夏希? どうした、駅着いたぞ」

「え……、あ、あぁ、うん」


 気が付くと、もう駅についていた。



 陽介は改札を抜けると、自転車だからと言って駐輪場へ向かった。

 私とユッキーは二人でバスを待つ。




「陽介、なっちゃんのこと大事に思ってるんだね」




 丁度向こうからバスがこちらに向かってくるのが見えたあたりで、ユッキーはそう言った。

 今日はよくしゃべる。どういう風の吹き回しだろう。


 一瞬嫌味を言っているのかと思いユッキーの顔を盗み見るも、その表情からはそんなよこしまな感情は一切見受けられなかった。


「ユッキーが何か言ったからあんなこと言ったんじゃないの? 陽介が私のこと女の子だなんて言ったの、あれが初めてよ。多分」

「ううん、私は何も言ってないよ。あれは確かに陽介の言葉だった。陽介にとってなっちゃんは、ちゃんと女の子なんだよ」


 ……それはユッキーだってそうでしょ? 私だけ特別なわけじゃない。

 それに、私は女なんだから、女の子扱いされたって何の不思議もないんだから。


 あぁ、ダメだ私! さっきまであんなこと考えてたから、余計な事ばっかり考えちゃう。

 なんで素直に喜んでいられないのよ、私は……。




「なっちゃんは、陽介にとって大事な女の子なんだよ」




 そう言ったユッキーの表情は、なぜか寂しそうに見えた。

 どうしてなのか探ろうにも、私自身自分の心を落ち着かせるのに手一杯で、ユッキーのことまで頭が回らなかった。



 結局、それからユッキーとは何も話すことなく学校に着いてしまった。


 そうして体育祭2日目が、幕を開けたのだった。





 ――――





 体育祭2日目は全体的にグランドで行われる競技が多く、全校生徒の注目の中、大いに盛り上がっていた。



 借り物競争では千秋が出ていて、陽介たちと応援していた。


「あっー! 夏希先輩発見しました! ちょっと一緒に来てください!!」

「え、なんで私!?」


 私を見つけると、千秋はとんでもない速さで私の腕をつかみ、審査員の元まで引っ張っていった。


「はい、連れてきました!」

「えーっと、お題はですね。う~ん、まぁそういう形もあるでしょう! オッケーです!」

「やったぁ! ゴール!」

「ちょっと待ちなさい! 何そのお題!?」


 私の疑問に千秋はなぜか顔を赤らめ、上目遣いで囁くように言った。


「……私、夏希先輩のこと大好きですから。きゃっ! 恥ずかしい!」

「何なのよ、もう……」



 その他にもユッキーの出場するムカデ競争の応援もした。


 ムカデ競争は女子種目ということもあって、つい熱を入れて応援してしまった。陽介は固唾を呑んで見守ってばかりで、全然声出てなかったけど。



 そんな風にしてつつがなく進行していった体育祭2日目は、ついにリレー種目の開始に至った。


 1年生のリレーが終わり、次は私たち2年生の番だ。

 ちょっと雲が出てきたけど、雨が降るわけじゃなさそうだし、大丈夫でしょ。


 そんな曇天の下、リレーに参加するメンバーでトラックに向かっていく途中で千秋に声をかけられた。



「夏希先輩、がんばってくださいね! 全力で応援します! 塚田先輩も、がんばってくださいね!」

「うん。応援よろしくね」

「ああ、夏希の足を引っ張らないようにでしょ? わかってるよ」


 私に満面の笑みを、隆平に笑顔を向ける千秋は、打って変わって陽介に無表情を向けた。


「あ、先輩のことは応援しませんから」

「わざわざ宣言するな。まぁ、期待されるだけプレッシャーだからそれでいいけどさ」


 陽介は昨日で千秋の扱いを思い出したのか、ひらひらと手を振ってそれに応えていた。


「なっちゃん、陽介。二人の走り、楽しみにしてるね!」


 少し離れたところから、ユッキーのそんな声が聞こえた。

 それに私と陽介は、軽く手を上げて応えるのだった。



『それではクラス対抗リレー、2年生の部を開始します! 第一走者は位置についてください! そのほかの選手の皆さんはトラック中央に整列してくださーい!』


 放送部のアナウンスがグラウンドに鳴り響く。

 いよいよリレーが始まるんだ。


「第一走者はヒナだね。頑張れ!」

「うん! 行ってくるね!」


 広瀬君の声援を受けて、ヒナは笑顔でスタート地点に向かって行った。

 走る順番は男女交互なので、ヒナ、隆平、結奈、広瀬君、私、陽介の順に走ることになっている。

 ヒナは足がそんなに速いわけじゃないけど、決して遅いわけでもないから、多分大丈夫だと思う。



「それではクラス対抗リレーを開始します! 位置についてー! よーい!」


 スタータがスターターピストルを天に向け、引き金を引く。

 パンッと、乾いた音が鳴り響き、選手が一斉に駆けだした。


 そうして体育祭2日目のメイン種目、クラス対抗男女混成リレーが今、始まったのだった。

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