第40話 変化のない夏は徐々に変わり始めて

 あれから、俺は何度夏休みを繰り返しただろうか。

 気が付けば、夏休みの始まりにいつも刻んでいたスマホの数字は、10に増えていた。


 この数字の数だけ、雪芽は死んでしまったんだ。俺は失敗したんだ。


 飯島さんの指示はいつも何を目的としているのかが明確で、理解はできたけど、雪芽の命が軽んじられているようで納得はできなかった。



 8周目は雪芽の学校案内をしないことが生存に関係してくるかを検証すると言い、雪芽は15日に亡くなった。

 9周目は雪芽の引っ越しを手伝わないように指示され、その結果雪芽は15日に亡くなった。

 10周目は雪芽と二人の時間を増やすように言われたが、雪芽の反応が悪く、2人でどこかに行くことはできなかった。そして無情にも、21日に雪芽は息を引き取った。


 きっと俺があまり積極的に誘わなかったのがいけないんだろうけど。だってさ、なんか恥ずかしいだろ?

 俺がそう言うと、11週目の飯島さんは、


「恥ずかしいという理由で、雪芽さんを救うチャンスを逃してしまってもいいんですか? もう一度同じ様に雪芽さんと二人の時間を作ってください。最低でも2時間以上。どうしても難しいようなら、誰かを誘ってどこかへ出かけてもいいでしょう。しかし、どこかのタイミングで必ず、二人きりになってください」


 と言った。


 冗談でも何でもなく、飯島さんの目は至って真剣だった。



「それにいったい何の意味があるんです?」

「以前の私は説明しなかったんですか? これまでの検証から、柳澤君と雪芽さんとの親密度のようなものが、彼女の寿命に関係しているのではと推測できます。ここまではいいですか?」

「親密度……。それって、仲良くなればいいってことですか?」


 俺が訪ねると、飯島さんは首を振った。緩くウェーブした肩まである髪が、少し遅れて左右に揺れる。


「ただ仲良くなって友達になるだけではだめです。それでいいならとっくにループを抜けているはずだと思います」

「それもそうか……」

「なので、今回はより親密になってもらう必要があります。心を許して信頼し合える仲にまでなることが望ましいです」

「つまり親友になれと?」

「望めるのであれば」


 それは俺の当初の目的と一致している。雪芽を救えないのなら、せめて親友になりたい。そしていろいろなところへ遊びに行きたいと。


 でもそれは難しいことだと知った。

 この約1ヵ月の中で、俺と雪芽が友達になるまで10日かかる。それから雪芽が倒れてしまう第一の壁、12日までは7日しかないのだ。それを乗り越えられても、次に迫った17日までは5日しかない。

 そんな短い期間で親友になるなんて、土台無理なのだ。


 俺がそのことを伝えても、飯島さんは頑なに首を横に振る。


「上手く立ち回れば、親友になるのに長い時間は必要ありません。親友という関係を、互いの内面をつまびらかにできる仲と仮定するならば、互いの相性、一緒に共有した時間の濃さと長さが重要になってくるはずです。そこで共有した時間の濃度を上げるためには、二人きりというのが必要なんです」


 なんだか難しい話でよく分からない。親友ってそんなに難しいものだったっけ?



「あくまで柳澤君の話から推測することしかできませんが、夏希さんと雪芽さんは初めて会った時から随分と仲良がよかったんでしょう? 柳澤君の話を聞く限り、彼女たちは親友と呼べる間柄のように感じられましたが」

「それは、俺もそう思いますが……。でも、あいつらは同じ女子です。男の俺とは訳が違う」

「男女の間に友情はないと?」

「いや、そこまでは言ってませんが……」

「それなら不可能ではない。そうですよね?」

「……まぁ」

「じゃあ、やってください」

「善処はします」


 俺の言葉が納得いかなかったのか、飯島さんは表情を変えぬまま、再び左右に髪を揺らす。


「……なんとか、やってみせます」

「よろしい」


 そう言って初めて、飯島さんは微かな笑みを浮かべるのだった。



 この人、結構強引なところあるよな……。

 そんなところに、俺は少なからず救われているのかもしれない。飯島さんの微笑みを見ながら、そんなことを考えていた。


 だから俺はいつも尋ねてしまう。なぜ俺にそんなに良くしてくれるのか、と。

 この問いかけをすると、飯島さんはいつも決まって、若い男の子が困ってるのを助けるのは当然。こんな経験二度とできないと答えるのだ。


 でも今回は少し違う問いかけをした。それはきっと飯島さんの目が、雪芽を救う未来を見据えていたように感じたからだろうか。


「飯島さんは、どうして俺と雪芽を助けてくれようとするんですか? だって飯島さんは雪芽のことを知らないじゃないですか。俺とも今日会ったばかりですし」


 だからだろうか。飯島さんはいつもと違う回答をした。




「きっと過去の、と言っても柳澤君にとっての過去の私ですが、その過去の私は悔しかったんじゃないかと思って」




「悔しい?」


 飯島さんの口元に運ばれたカップは、ソーサーの元に帰ると、中のコーヒーを微かに波立たせた。

 その中身は、まだ全然減っていない。


「雪芽さんの未来を知りつつ、それを手をこまねいて見ていただけで、何もできなかった。伝えないことが優しさだと思って、干渉しないことが正解だと思って、何もしなかったことが悔しかったんじゃないかと思ったんです」

「それは、確かに俺も最初はそう思いましたよ。言ってくれればよかったのにって。でも、飯島さんにとってあれは仕事だったんですから、仕方なかったんだと、今は思います」

「それでも、私にはその時点で雪芽さんの未来を救う方法を、考えるくらいはできたはずなんです。一度だけでも、雪芽さんの死を減らせたかもしれないんです」

「……」


 話をする飯島さんの表情は、いつもと何も変わらないように見えた。

 それでも、机上で組まれた両の手は、固く閉ざされ、微かに震えているように見えた。


「雪芽さんの未来を知った時点で、あなたを呼び止めて、事情を聞けていたら。そうしたら一周早く方法を試せて、前回の夏休みであなたたちはループを抜けていたかもしれない。そう思うと悔しくて」

「それは……、今言っても仕方のない事ですよ。過去はどう頑張ったって変えられない。まぁ、こんな風に夏休みが繰り返さない限りは、ですが」


 俺は自分で言ったタチの悪い冗談に、思わず苦笑いした。


「そう、ですね。……柳澤君は随分と大人なんですね。私の方が年上なのに」


「ははっ、そんなことないですよ。こうしている今だって、俺は泣きそうで、壊れそうで。この夏休みもダメだったらどうしようか。もう一度雪芽を看取っても、俺は正気を保てるか、不安で仕方ないです。だから、未来にある微かな希望にすがっている。そうしないと前に進めないだけですよ」


「それでも、顔をあげられるのは、前に進めるのは、すごいことだと思います」


 そう言う飯島さんの目は、やけに真剣だった。

 そのまっすぐな視線に、俺は射抜かれて、




「そんなこと、ないです……。たくさんの人に支えられて、俺はこうして立っているんですから」




 少しだけ、勇気をもらったんだ。



 ふと落とした視界に映った飯島さんの手は、もう固く閉ざされてはいなかった。





 ――――





 それから、また同じような夏休みが始まった。

 でも、俺は少しづつ変わっていく。何も変わらないはずの夏休みが、少しづつ変わっていく。



「なぁ、雪芽」

「んー? なぁに?」


 俺は汗ですっかり冷たくなった手を握りこむ。

 早くなる鼓動を押さえつけ、乾いた唇をなめる。


「明日、暇?」

「明日? 家具を買いに行ったり、荷解きしたり、ちょっと忙しいかも」


 振り返った雪芽の目は、まだ少し赤かった。


 結局また泣かせてしまった。

 でも、飯島さんはそうした方がいいと言う。その方が正確な検証になるからと。


 そう言った飯島さんの表情は、やっぱり何も変わらなかったけど、それでも俺は、以前よりすんなりと受け入れられた。



 ……不思議だ。

 少しだけ、緊張が和らいだ気がする。

 俺は握っていた拳を、ゆっくりと開いた。


「いや、明日の夕方。6時からなんだけど、予定ある?」

「んー、何もないと思うよ。なになに? なにかあるの?」


 薄暗い廊下は、窓が開けられていて、遠くから部活に励む生徒の声が、吹奏楽の演奏が、合唱の声が、聞えてくる。

 セミの声と合わさったそれらの喧騒は、こと廊下にあっては遠い世界だ。

 この廊下にいるのは俺と雪芽だけで、まるでこの学校に二人だけのような気すらしてくる。


「じゃあ、さ。花火大会、あるんだけど、一緒に行かないか?」

「花火大会!? この辺でやるの?」


 足を止めた雪芽の顔は、子供のように輝いていた。


 あぁ、そっか、前も言ってたよな。みんなで花火大会に行くなんて経験、ほとんどなかったって。

 笑顔で言うようなことじゃないって、そう思ったんだ。

 でもそれも、何ヵ月も前のことで。今の雪芽には覚えのない事なんだ。


「いや、ちょっと遠い。電車で30分くらいかな」

「へ~、楽しそうっ! 晴奈ちゃんも誘って行こうよ!」


 やっぱりそう言うよな。

 でも今回はそれじゃあダメなんだ。みんなで行く楽しい花火大会じゃダメなんだよ。



 ……決めたじゃないか。雪芽を救うって。

 今その希望が見えてきたんだ。こんなところで足踏みをしている場合じゃない!


 俺は一歩踏み出して、雪芽の目を見つめる。


「晴奈は、誘わない」

「え?」


 雪芽は笑顔のまま固まる。

 やがていぶかしむような視線を俺に向け、雪芽は困ったように笑った。


「どうして? いいじゃん、一緒に行けばきっと楽しいよ!」

「晴奈だけじゃない。夏希も、由美ちゃんも、誰も誘わない。俺は――」



 あぁ、神様。このくそったれな世界に神様がいるなら、どうか聞いてくれ。

 今この瞬間、ほんのひとかけらでいい。俺に勇気をくれ。


 そう願った瞬間、どこからともなく沸いてくる、胸の奥で広がる温かさを感じた。

 そして、喉元で引っかかったセリフは、思いの外すんなりと、外へ向けて飛び出した。




「雪芽。お前と二人で行きたいんだ」


「……え?」




 雪芽は俺の言ったことの意味を理解するのに、少しの時間を要した。

 その時間は、俺にとってあまり心地の良いものではなかった。


 拒絶されたらどうしよう。嫌だときっぱり言われたら?

 そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回って、時間に比例するように不安が増していった。


 以前雪芽に高説垂れていたのに、いざ自分がぶつかっていくときになって怖くなるなんて。笑えないな。



「え? え? どうして晴奈ちゃんは誘わないの? それに夏希って――」

「晴奈はっ……、あいつ出不精だから誘っても来ないだろうし! それにあいつが来ると俺の財布がからっけつにされちゃうからさ」

「で、でも、私浴衣とか持ってないし!」

「浴衣なんてなくても花火大会は楽しめるだろ?」

「わ、私も陽介にたかるかもよ!?」

「それはそれで構わない。一人くらいなら余裕だ」

「じゃあ私は何もたからないから、晴奈ちゃんも連れてこうよ!」

「妹にはおごりたくない」

「なにそれぇ!?」


 問答をするうちに、俺は少しづつ普段通りに戻っていく。

 それに対して雪芽は焦ったように言葉を並べていて、まるで俺の緊張が雪芽に移っていくようだ。


「でもでも、私金魚もすくえないし、射的や輪投げもできないよ!?」

「それ以外で楽しめばいいだろ」

「は、花火とかも! 感想がきれいくらいしか出てこないよ!?」

「うん、それは知ってるし、関係ないだろ」

「うぅ~~! あとはあとは――」

「雪芽」


 雪芽は矢継ぎ早の言葉を止めて、こちらを見る。

 その頬は少し、赤いように見えた。



「俺と二人で行くのは、気が進まないか? それなら無理して誘うつもりは――」

「い、嫌じゃないよ! 嫌じゃ、ないんだけど……」

「だけど?」


 俺が尋ねると、雪芽は何か言いたげな顔で口をパクパクさせていた。

 しばらくして顔を真っ赤にすると、プイッとそっぽを向いて、一言。




「陽介はやっぱり意地悪だよねっ!」




 そのままずんずん一人で廊下を歩いて行ってしまった。

 残された俺は一人、廊下に立ちすくむ。




「……それってオッケーってことなのか……?」




 開け放たれた窓から、心地の良い金属音が、その後に大きな騒めきが聞こえてきた。


 ……きっとあれは、ホームランだな。

 なぜかそんな確信があった。

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