第三十話「油断大敵」

 調理場で食材の下ごしらえを終えた俺はフィオナから次のように言われた。


「アリスちゃんはよく働いてくれたから、お昼までの間休んでもらってて大丈夫よ」


 料理を手伝ってもいいかと思っていたが、勝手を知らない俺が調理場にいてもこの先足手まといと判断し、大人しくフィオナの言葉に従うことにした。

 ただ、せっかくなので屋敷の中を見て回りたいと思い次の提案をした。


「一階を探索しててもいいですか?」


 俺の提案に一瞬フィオナは思案する。


「うん。でも、調度品をむやみに触っちゃだめよ?」


 壊したら大変なことになっちゃうからというフィオナの言葉に頷く。

 こうして俺は屋敷の探索に繰り出したわけだが、早々に飽きた。

 というのも一階は食事をする食卓の間、調理場、洗濯場、風呂場、応接室といった部屋で構成されており入ったことがない部屋は応接室くらいのものだ。

 その応接室も過度な装飾はされておらず、ソファーと机、それとは別に丸机を挟むように二脚の椅子が置かれ、冬場に活躍すると思われる暖炉が設置されているだけであった。

 まぁ、もちろん人を招く部屋であり、多少の美術品と思われるものが置かれてはいたが芸術分野に明るいわけでもない俺は近くで左から右からと眺めて、「何だか高そう」程度の感想しか抱けない。

 そういうわけで早々に飽きた。

 誰も見てないのをいいことにドカッと中央に置かれておるソファーに腰をおろす。


「暇つぶしに魔術の練習でもしようかな……」

『やめた方がいいかと……』

「冗談だよ」


 制御の甘い俺の魔術をこんな密閉された空間で行使すれば、何が起きたかわかったものではない。

 さすがにそれくらいはわきまえていた。


「まぁ、大人しく本でも読んでるか……」


 収納ボックスから本を取り出す。

 取り出したのは魔法陣について記された百科事典とでもいうような代物。

 沢山の魔法陣の図柄と共に解説が記されており、全二十巻で構成されている。

 なぜ、この本を選択したかと問われれば、何となくとしか答えようがない。

 敢えて理由を述べるのであれば、アニエスがラフィから魔法陣について教わっていたことを思い出し、アニエスが勉強しているということは、そのうち王立学校の授業でも魔法陣を扱う授業があるのではと思ったからだろうか。

 そのうちの一巻をパラパラと捲っていく。

 今読んでいるのは火系統の魔術を中心に記されているものだ。

 すでに貰った時に本に触れており、書かれた内容の魔術は習得済みであるが、魔法陣を描く知識というものはまだまだ俺には不足していることを自覚している。

 以前、義父のリチャードにある程度魔法陣に関する知識は叩き込まれている為、魔法陣に関しては未学習というわけではなく、おそらく王立学校の同世代と比較すれば、そこそこできる方ではないかと自負していた。

 魔術の詠唱句を理解することよりは自信がある。

 ただし、魔法陣における知識は趣味に偏っていた。

 それに細かい陣の構築はリチャードが行い、俺の描いた魔法陣で破綻した部分は修正してくれていたので、やはり細かい知識が俺には不足している。

 なのでせっかくの時間、足りない知識の補填に使う時間というのは非常に有意義な時間の使い方であろう。 

 本に目を通しながら、そういえばと思い出し口にする。


「学校に入ってからヘルプを召喚する魔法陣の研究が止まったままだったな……」


 そう、元々魔法陣の研究をしたのも精霊召喚をしたいと考えたことがあったから。

 そんな中で俺が身近に接することができる精霊ヘルプを召喚できないかと考えたわけだ。


『……憶えていてくれたんですね』


 何となく、いや、間違いなくちょっと拗ねたような口調でヘルプが言う。


「いや、ちゃんと憶えていたよ? ただ、最近魔術の研究する余裕がなかったから、あはは」


 言い訳である。


「でも、あれから何だかんだで魔術に関する知識は増えたから、うん」


 以前は意味の分からなかった記述内容も、何となく意味を理解することができるようになっていた。

 捲っていたページを進めていき、だんだんと複雑怪奇な幾何学模様が増えていくにつれて、背筋を伸ばし座っていた身体はいつの間にか横になり、最後にはソファーの上で寝転がりながら本を読む姿勢になっていく。


「うーん、ここがわからない」

『申し訳ありません、私にも魔法陣に関する詳しい知識は……。精霊語であればお役にたてるのですが』


 わからないところを指さしながらヘルプに問いかけてみるが流石のヘルプも全知全能というわけではない。


『私にはわからないですが、駄竜に聞いてみたらどうでしょうか。あれでも魔術に関しては少し詳しいですよ』

「青か……」


 なお、この屋敷で青は庭に放っている。

 放竜だ。

 屋敷の中に連れ込むと色々ややこしくなりそうだったので。

 今頃屋敷の庭のどこか日あたりの良いところで寝てるに違いない。


「まぁ大人しく、あとでラフィに聞いてみよう」


 後はわかるところは「ふむふむ」と読み込み、わからないことは流し読みしという作業を繰り返していく。

 前の世界で流行っていた曲を鼻歌交じりに読書に耽っていた。

 と、唐突に。


「あー、コホン」


 背後から知らない人の咳払いが聞こえ、驚き振り返る。


(えっ、誰!?)


 全く気配に気づかなかった。

 振り向くとそこには長耳族の男が立っていた。

 青味がかった色素の薄い髪は日に照らされ、銀髪のようにキラキラと輝いており、何やら難しい表情を浮かべていた。

 そしてイケメン。

 俺はこの男を知っていた。


(確か、レイとかいったか……)


 ラフィの同僚であり、森国で二番目に偉い人のはずだ。


(ど、どうしてこんなところに!?)


 そこまで思考が至って初めて、今の俺の恰好と態度を思い出した。

 メイド服を着ているのだから、俺がこの屋敷で仕えている者であることはわかるはずだ。

 そんな者がお客様を出迎えるソファーを占拠し、挙句の果てに寝転がりながら読書。

 慌てて立ち上がり、にこりと、ぎこちない笑みを浮かべて一言。


「い、いらっしゃいませ?」


 俺の挨拶を聞いたレイは、より眉間の皺を深めた。

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