第三十一話「焦るアリス」
やばい、失敗したみたいだと、レイの反応を見て俺は肝を冷やす。
そりゃそうだ。
レイは王国で例えるならば、王子と同等の立場にあたる。
そんな貴賓をソファーで寝ころびながら相手するメイドがどこにいるであろうか。
機嫌を損ねても仕方がない。
(ど、どうしよう……!)
止まらぬ冷や汗、色々と策や言い訳を考えるが何も出てこない。
その為、俺は立ち上がり挨拶をしたはいいものの、強張った笑みを顔に張り付けたまま立ち尽くしていた。
無言。
非常に居心地が悪い。
沈黙に耐えられなくなり、何でもいいから次の言葉を発しようと決意した。
それよりも先にレイが口を開く。
「その本は面白いか?」
「本? ……っデスカ」
予想していない質問が飛んできたために、そのまま言葉をオウム返しにしてしまい、慌てて言葉を付け足す。
(この状況はまずい! 俺の礼儀作法なんて見様見真似のものしかない!)
敬語を使いこなせる自信はゼロ。
(ヘルプさんヘルプさんヘルプ)
ヘルプは何だか教養がありそうなので、俺が何か言葉を発する前に、ヘルプにお手本の言葉を発してもらい、それを復唱しようと画策するが。
『マスター、私の言葉を復唱する間に生じる間のほうが失礼にあたりますよ』
至極真っ当な意見で却下された。
つまり、俺は第三者を介せないこの状況で、森国で二番目に偉い人の対応をしなければならないのだ。
『レイ様をガエル様と思えばいいのでは?』
ヘルプの助言に、なるほど確かにと頷きかけたが。
王国の第一王子であるガエル。
だが、思い出してみると実は最初の出会いでガエルの身分など気にしたことがなかったため、同じ年齢くらいの現地人感覚。
周囲には不敬と思われていたのかもしれないが、敬語で会話した試しがない。
つまり今の場面においては何の役にも立たないのであった。
アニエスとのやりとりも同様である。
レイは難しい表情をして、俺の態度を見極めるような表情をしていた。
すでに失態は犯したが、これ以上の失態を演じるわけにはいかない。
そんなことを考えている間、レイは質問に対する答えにならない答えを返して沈黙した俺を訝し気に眺めていた。
やがて何か原因が思い当たったようで、腕を組みかえながら表情を和らげた。
「そう緊張しなくともいい。何、暫く君の姿を見せてもらっていたが真剣に本を読んでいたもので声を掛けるタイミングを計りかねていてな。驚かすつもりはなかったのだ」
どうやら俺のあまりの態度に怒った、というわけではなかったようだ。
王国と森国の外交問題にまで発展していたら笑えない事態だったのでレイの言葉に少し安堵すると同時に、レイの発言から暫く俺の様子を見ていたことが伺えた。
「い、いつから見ていたのですか?」
「確かこのような歌を口ずさんでいたあたりかな」
俺が無意識のうちに奏でていた曲をレイが同じように鼻歌で奏でる。
何故だか俺がしっているポップ調の曲はどこかの格式高い曲のようにアレンジされて聞こえたが、それよりも重要なのは無防備にくつろいでいる姿を第三者に見られていたこと。
(あぁあああ……!)
非常に恥ずかしい。
感情がすぐに表情に出てしまうこの身体、感情のままに顔が沸騰したように熱くなるのを自覚する。
さらにとどめとばかりに。
「寛ぐのは構わないが、誰かに見られているかもしれない場所であまり無防備な恰好はしない方がよいぞ。その……先程の恰好ではスカートの中が見えそうになっていた」
「も、申し訳ありません」
ばっと九十度の角度で礼をしながら謝罪。
緊張感が吹き飛んだ変わりに、羞恥心で今すぐどこかに隠れたい気分であった。
(何でこんな事に……)
他人の家で、さらには自室でもないところで寛いでいれば当然であったと自らの行動を反省する。
だんだんと、もうどうにでもなれと俺の中では思い始めた。
この先、失態の一つや二つ重ねたところで変わらないだろう。
意を決して口を開く。
「何故、レイ様がこちらに?」
「ふむ。私のことを知っていたか?」
「は、はい。そのラフィ、様からお話を」
最初、普段のようにラフィを呼び捨てにしそうになるのを修正する。
「そうか。では、やはりラフィが連れていたのは君だったのだな」
レイの発言に今度はきょとんと首を傾げる。
「私のことをご存知だったのですか?」
「転移陣で挨拶したときに見かけたからな。君のような美しい少女は一度見たら忘れなどしない」
「ありがとうございます」
涼し気な顔でレイは発言するが、女性が耳にすれば胸をときめかせたことだろう。
残念なことに男の俺には「うへ」くらいにしか感じないが。
それでも褒められたことに対しては悪い気はしないので、お世辞であろうと笑顔でお礼を述べる。
「名を聞いても?」
「アリスと申します」
他のメイドと同様に名だけを名乗ることにした。
「ふむ。アリスはてっきりラフィの弟子か何かかと思っていたが、どうしてこの屋敷でメイドをしている?」
「ええと、アニエス様と縁がありまして。暫くの間お手伝いをさせて頂いております」
あまり細かいことを説明する必要はないと判断し、簡潔な答えを告げる。
「なるほど。事情は理解した。道理であまりメイドらしくないと思った」
「も、申し訳ありません」
「すまない、責めているわけではないのだ。だが、そうだな。
この屋敷のメイドであるならば、一応は客である私の相手をしてもらっても構わないかな?」
「はい、もちろんです」
「そうか。それは僥倖。では、先程の話の続きをしよう」
はて、先程の話とはどれのことだろうと思い出そうとすると、何を指すかレイが告げる。
「アリスが大事そうに抱えている本、どうだ。面白いか?」
そういえば聞かれた質問に対して答えを返していなかった。
俺が今抱えている本、さっきまで読んでいた魔法陣の本のことだ。
レイの質問に即答を避ける。
単純に面白いですと返して良いものか。
年相応に応対するのであれば「内容はよくわかりません」で済ませればいいのだが、どのタイミングからレイが俺を見ていたのかわからない。
無意識のうちに魔法陣を読みながら「へー」「なるほどなるほど」「これは使えそう」とか独り言を漏らしており、それを目撃されていた可能性は否定できない。
厄介なことにレイが目撃していた直前読みこんでいたページはなかなか難解な魔法陣が描かれていた。
ラフィにも口を酸っぱくされるほど「あまり目立つな」と釘を刺されている。
なので、ここで「とても為になります」「とても面白いです」という答えは目の前のレイに向けて発する言葉ではないように思えた。
(ここはもっと無難なことを言うべきだな)
がんばれ俺と、自分を激励しながら無邪気さを装い発言する。
「はい! 魔法陣ってとっても綺麗ですよね!」
内容はよくわからないが綺麗。
複雑な幾何学模様には美しさがある。
表面上な見た目にのみ言及すれば、陣が示す意味を介しているかといった意識から反らせれるのではとの考えだ。
俺の答えを聞いたレイは、やはり予想外の答えであったのか目を瞬く。
「そうか。綺麗か」
何やら俺の発言がいたく気に入った様子で、満足げにレイは頷くと、子供をあやすように俺の髪を撫でてくれた。
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