幕間「雑談」


 よく磨かれた大理石の廊下はコツコツと歩くたびに音が反響する。

 ここは森都、その象徴である世界樹の内郭に唯一建てられている建物、女王陛下が御座す居城だ。

 国外の重要な客人以外では森国の民といえでも一部の者しか入ることを許されぬ場所である。

 そんな一部の者しか入れない場所で、さらに限られた人しか入場を許されない区域をレイは歩いていた。

 やがて一つの扉に手を掛ける。


「失礼します」


 恭しく一礼する。

 彼が敬服する人物はこの国に、いや世界に一人しかいない。


「おや。レイではないか。どうした」

「お食事中でしたか」

「何、構わんよ」


 女王は手に持ったグラスの中身を空気に軽く撫でるように回し、口に含む。

 正しい齢を知っている者は誰もいないが、建国の時代から生きているとも言われる存在。

 だが、未だ見目麗しく、老いは一切見られない。

 その姿を見た者は、女王の姿に見惚れる――いや見惚れるということ自体がおこがましいとさえ思わずにはいられないのであろう。


「王国から土産としてもろうたワインじゃ。なかなかうまいぞ。レイもどうじゃ?」


 ペロリと、唇についたワインを舌でなぞりながら女王は言う。


「せっかくのお誘いですが、まだ仕事の途中ですので遠慮させていただきます」

「何じゃ、相変わらずかたいのう」


 やや、不満気な表情を浮かべる女王。

 森国最大の権力を持つ女王の誘いを断るという行為は失礼にあたるやもしれないが、レイはこの程度のことで女王が機嫌を損ねる方ではないことを十分に理解していた。

 存外気さくなお方だ。

 女王はグラスを手に持ち、横に出し、おかわりを催促する。

 すぐさま側に仕えていた給仕がワインを注いだ。

 どうやら女王はささやかな土産の品である王国のワインが大層気に入った様子。

 注がれたワインを愛おしそうに眺め、机に置く。


「して、お主がわざわざこの時間にここまで足を運んでくれたのじゃ。話を聞こう。

 というても、だいたい察しがつくがのお。王国との交渉についてじゃろ?」

「はい」

「レイはこう思うてるわけじゃな。わざわざわしの時間を割く相手ではないと」


 女王の言葉にレイは首肯する。


「王国は我々の善意に期待しているようですが、あまりにも……。交渉で同じ席につく価値さえもない。

 あまつさえ女王陛下の時間を割くことは損失に他なりません」

「なるほどのお」


 王国からの要請は、王都にある転移陣の復旧支援。

 いや、支援というよりは森国の技術をもって転移陣を再び敷設するというべきか。

 それが可能か不可能かを問われれば、答えは可能である。

 ただし、それを森国が行うかと問われれば、政を行う者としての答えは決まっていた。

 否である。

 理由はいくつかある。

 その中でも最大の理由は、やはり転移陣を施設することは可能であるが、それに見合うメリットが見出せない点にある。

 そもそも転移陣を施設するには膨大な資金がかかるのだ。

 原因は転移陣の紋様を刻む際に必要な触媒――世界樹の樹液である。

 転移陣は世界樹がこの大地に根をはわせる魔力を繋ぐことで各地への移動を可能にしており、触媒は世界樹の樹液以外の代用は効かない。

 世界樹の樹液は高価だ。

 転移陣に必要な樹液は一国の国庫では到底支払うことができない額となる。

 加えて、世界樹に由来する素材は高価なだけでなく貴重な品だ。

 いくら世界樹が森国の財産だとしても、それ以上に神聖なもの。

 むやみやたらと素材を採取することはしない。

 一年で採取する量は厳密に決められているのだ。

 その貴重な素材は魔術の研究に際し、非常に重宝する。

 それを国外へと流すとなれば、それ相応の対価がなくてはならないのも当然だ。

 故に、王国からの要請、そして見返りとして提案されたものは余りにも釣り合わない、交渉材料になり得ぬものであった。

 この二日間は交渉とも言えないやり取りが続くだけであり、それが明日から何か変わるかと言えば、何も変わらない、無駄な時間であると断言できるくらいにはレイは苛立ちを覚えていた。

 二日間も交渉の席に着いたのは慈悲深い女王陛下の寛大な心故に実現したにすぎない。


「女王陛下も此度の交渉は時間の無駄とわかっているのではありませんか?」

「いやいや。わしとしては、この美味いワインを貢いでくれるのであれば喜んで交渉の席に座るぞ」

「ご冗談を」


 ワインは心から気に入ったようだが、女王が国の利にそぐわない交渉に頷くことはありえない。

 でなければ、森国の歴史を一人で長年統治することなど不可能であったはずだ。

 それに席に着くとは言ったが言い換えれば女王もまた、王国の要請に頷くことはないと言っているのと同義であった。 

 王国から見返りとして提案されたのは、主に交易時の関税の撤廃、森国危機の際は王国から無条件での派兵。

 それを盟約として永久に。

 だが、正直に言えば王国と森国が交易をする際は中央諸国を通る必要があるため直接の交易は非常に少ない。

 それに森国危機の際は派兵するという提案も自国の領土さえ満足に守れる兵力が居ないのによく提案できたものだと失笑せざるを得ない提案だ。

 相手も随分と無茶な交渉とわかっているようではあるが、他に何もないというのが現実。

 せめて誠意を見せる意味で、王国の王位継承権を持つ姫がわざわざ訪ねて来たことが伺えた。

 王国の情勢は把握している。

 今回森国に来訪した姫はまだ幼いが、他に適役がいなかったことも。

 王国の状況故に国王が国外に行く余裕はなく、英雄としての名声を手にしている第一王子は帝国復興という名目で北の大地だ。


「まあ、可哀そうな国ではあるが」


 女王はワイングラスを弄びながら言う。


「災厄に引き続いての此度の騒動。王国はわかっておるのかのお」

「分かっているからこそ、中央諸国ではなく我が国に助けを求めたのかと」

「同族であるのに難儀なことじゃ。未だ着々と戦力が削られているようじゃが」


 女王は口にワインを含む。


「案外しぶとい。瀕死の国と思うておうたが。いや、わしらが思っていた以上に王国は強い国なのかもしれんな。こうして、嗜好品に労力を割くぐらいに」

「……女王陛下は王国はこのまま滅んだ方がいいとお考えで?」

「どうなろうと知ったことではないというのが率直なわしの意見じゃな。

 国というものは滅び、新たな国がまた生まれるのも歴史じゃ。

 国が長年栄えることは存外に難しい。

 この国とて一緒じゃし、そうならんようにわしはせめてこの国にとって良い方向に導くよう努力するので精一杯じゃ。

 とても他国のことまで気に掛けるほどの余裕はわしにはないよ」


 それにしても、と女王は言葉を続ける。


「お主の方こそ、さっさと王国を見捨てしまえと提案するかと思えば。存外に王国の肩を持つではないか?」


 レイは交渉の場に女王の出席は無意味とは言ったが、王国との交渉を打ち切るむねの提案は一切していない。


「それは……」

「そういえば何年か前にお主が人の子を弟子にしておったな」


 女王の何気ない一言に、レイは目を見開く。

 それも当然、まさか女王がレイ個人の、それも次期国王に選ばれる前のことを知っているとは思わなかったからだ。


「ご存知でしたか。もう三十年も前のことです」

「ふむ。お主が弟子にするとは、よっぽど優秀だったのじゃな」

「ええ。人であることが惜しいくらいに。我らの同族であれば、いずれ私と同じ位置まで昇れる才覚がありました」

 

 レイはどこか遠い目をし、すぐさま謝罪を口にする。


「私事を持ち込んでいたことはお詫びします。ですが、決して国の利に反する判断は致しません」

「なに。お主のことは信頼しておる。

 私事を挟むなとは言わぬよ。

 生きていく中では時に必要な事じゃしな」

「ありがとうございます」

「さて、レイの提案は明日の交渉の席につくなということじゃったな。

 これに関しては忠告感謝するが、このワインの恩義があるゆえ、明日は出席する。

 じゃが、それ以降はお主に一任しよう。

 異存はあるか?」

「ございません」

「ならよい。そういえば、これは独り言じゃが面白い魔力を持つ者がこの地を踏んだようじゃ」

「それは……」


 女王が面白いという存在にレイは一つ心当たりがあった。


「ラフィのことでしょうか? 暫く会っておりませんでしたが、かなり実力を伸ばしていたようです」

「いや、同族ではないのお」


 レイは暫く考える。

 女王が面白いと称するのは、才能あるものがいると同義。

 今回王国から来た中で魔術の才があると思われる筆頭は次期宮廷魔術師と自己紹介してきた者がいたが、女王を興味をひく存在には到底思えない。

 はて、他に王国の中にそのようなものがいたかとレイは思い出そうとするが、どれも凡庸、それ以下と評価せざるを得ない者しかでてこない。

 あるいはレイが気付けていないだけど、巧妙に実力を隠蔽した者がいたかと考える。


「その者に興味がおありで?」

「なに。年寄りの暇潰し程度の興味じゃ」

「かしこまりました。調査しておきます」

「うむ」


 女王の期待に応えることはレイの務めだ。

 異論など挟むはずもない。

 話は終わり、レイもそれ以上の言葉は告げずに来た時と同じように恭しく礼をし去っていく。


「ふむ。ワインを空にしてしもうたか。

 すまぬが、もう一本取ってきてくれぬか?」


 女王の命を受けた給仕は恭しく礼をし、新たなワインを取りに部屋を出ていく。

 

「異分子は排除せねばな」


 女王の独り言は誰の耳に入ることはなかった。

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