第三十二話「霧の襲撃者」
隊商は道を引き返し、山越えの道に入っていた。
予想外に下の道よりも魔物との遭遇も少なく、また情報通り野盗と出会うこともなかったため、順調に隊商は道を進んできた。
山越えもすでに下り坂へと入っており、予定通りか予定よりも早く王国と共和国の国境線でもあるミルナ川に辿り着くことができそうだ。
だが、順調な三日目の朝は少し、いつもと様子が異なっていた。
「うっ、寒い」
エリーヌは目を覚ますと少し身震いをする。
毛布で覆っていない肌に触れた空気は冷たかった。
(昨日までは暑かったのに)
急な気温の変化に戸惑いながら起床する。
鞄に仕舞っていた服を一枚適当に取り出すと、肩に羽織る。
テントの幕を上げ、外に出ると、一面を白い霧が覆っていた。
この季節には珍しい。
「お、エリーヌおはよう」
天幕を出た所で、ミーシャが声を掛けてくれる。
彼女が今日の夜番であった。
ミーシャは特に疲れた様子は見せず、いつもと変らない笑顔。
「おはようございます。なんだか今日は寒いですね」
「そうなんだよねー。
なんか日が昇るちょっと前から気温が一気に下がってね。寒い寒い」
腕を胸の前で交差させ身震いしている。
ミーシャも上着を一枚羽織っていたが、下は動きやすさを重視した短パンのままであり、やはり寒そうであった。
出発前、いつものように冒険者は隊商を指揮するテオドールと共に今日の目的地、道の確認を行う。
当然、現在の天候についても触れる。
視界不良。
山道ということもあり慎重に進まなければ事故に繋がる。
加えて索敵がしにくい。
弓術士や、エリーヌのような調教師も、目に頼った索敵を行うため、視界が塞がれているのは非常に痛いのだ。
この霧の影響で、すぐ先しか見えない。
もし魔物に襲撃された場合、視界に入った時にはすでに距離がなく非常に危険だ。
隊商護衛に偏った職構成であるため、冒険者の多くを占めているのは後衛職であることが災いした。
索敵からの先制攻撃が非常に難しく、より慎重な行動を心掛けなければならない。
「この時期に、この地域でこれほど濃い霧が出たというのは聞いたことがありませんが、自然のこと。
これも仕方ないでしょう。
日が昇るにつれて霧も解消されると思います。
霧が晴れるまでは慎重に、速度を落としながら進んでいきましょう」
朝のミーティングはテオドールの言葉で締めくくられた。
◇
エリーヌが乗る馬の前と後ろから、カラカラと、荷馬車の車輪が回る音。
カポカポと馬の蹄の音が複数聞こえる。
振り返ってみても、前を見ても視界に映るのは一面の白。
目を凝らしてみれば僅かに黒い影が映り、かろうじて前を行く馬と荷馬車がわかる。
音がなければ周囲からは何もなくなったかのように錯覚してしまいそうだ。
時間はすでに昼時。
しかし、昨日まではじんわりと肌を汗ばませた太陽はいまだ見えず、未だに霧は晴れない。
むしろ霧が濃くなっているのではと思ってしまう。
まだ冒険者を初めて一年。
仲間の姿が見えないというのは、エリーヌにとって非常に心細い。
「ピーピー」
そんなエリーヌの心情を察してか「俺がいるよ!」と言わんばかりにチョコが鳴き、頬にすり寄る。
相棒であるチョコも、この霧では、その並外れた索敵能力を活かすことはできない。
今はエリーヌの肩にとまっていた。
「ふふふ、そうね。あなたがいるんだから、心細くなんかないわ」
チョコの嘴下をいつものように撫でてやろうとした時。
「ピー!」
鋭い鳴き声。
「――!」
これはチョコが敵を見つけた時の警戒音。
つまり、
「敵?」
エリーヌが答えを口にした。
「敵襲!」
遅れて怒声が響いた。
後方からだ。
エリーヌは手綱を引き、馬を停めた。
後方は華月騎士団が担当している。
敵襲の声を聞き、隊列も停止する。
すぐに最前列を先導していた、エリーヌたちのチーム甘味同盟のリーダであるベルンハルトも駆けてきた。
「状況は?」
「わからない」
エリーヌは首を振りながら答える。
「この霧じゃあ無理か。だが敵が来たのは間違いなさそうだな」
後方から戦闘の音が聞こえる。
今いる位置はちょうど隊商の中間に位置しており、甘味同盟の面々がすぐに集まった。
「エリーヌとフロストの旦那はここで待機。
右側面を警戒してくれ。
ミーシャは前と合流。
サーシャは俺についてこい」
ベルンハルトの言葉に頷くと、素早く、指示通り行動を開始する。
エリーヌは前後へと別れていく仲間たちを見送った。
戦闘音が続いている。
「一体何が?」
「野盗がこの霧に乗じて襲って来たというのが考えられますが……、何か違う気がしますね」
エリーヌの何気なく漏れ出た言葉にフロストが答える。
「どうしてそう思うのですか?」
「野盗は狡猾な集団です。
霧に乗じるのであれば、わざわざ守りの固い後方からは襲わないでしょう。
この視界です。
人数把握も困難であるならば、すべての荷馬車を同時に襲ったほうが効率的かつ被害も少なくすみます」
なるほど、とエリーヌはフロストの言葉に関心する。
「フロストさんなら恐ろしい野盗になれますね!」
「それは誇っていいのか微妙なところですね……、っとこっちにも来ましたか」
何気ない動作でフロストが手を払う。
「我らを守りたまえ《
淡く発光し、周囲を守護する盾が出現した。
幾度となく魔物からの攻撃を阻んできた、フロスト得意の魔術。
堅牢なる壁は、害をなそうとこちらへ突撃してきた存在の侵入を阻む。
数は一!
「……っ!」
敵は突如現れた障害にぶつかる。
怯んだすきを逃さず、エリーヌは弓を射る。
この距離であれば外しはしない。
狙いは寸分も違わず、狙った場所へと吸い込まれていく。
霧の色と同化したかのような色の敵。
至近距離で放たれ矢は表面へと突き立つことなく貫通した。
(違う……!)
貫通したのではなく、通過したのだと理解した時には謎の敵とフロストとの距離は零となっていた。
フロストのはった防御魔術は一度の衝突により粉砕されていた。
つまり、フロストを守るものも、再び詠唱を行う時間もない。
「ぬううん……!」
咄嗟にフロストは簡易の魔術障壁をはるが、所詮は即席。
一瞬の交錯のあと、敵がもつ長い得物により、フロストの身体が馬上から吹き飛ばされた。
「フロストさん!」
エリーヌは悲鳴交じりの声をあげる。
だが、フロストの心配をしている場合ではなかった。
ぬっと影がさす。
馬上に乗っているエリーヌの視線は普段よりも幾分高い。
はずだが、影に見下ろされていた。
白い影。
見たことのない魔物。
目とも思える赤い、煌々とした部分がエリーヌを捉える。
(そもそも魔物なの……?)
なにより不思議なのが、これだけ接近されているのに、白い物体からは生物の息遣いを感じないのだ。
だが、右手に握られているのは多分武器だろう。
白い棒のような、先程フロストを吹き飛ばした武器。
馬も、肩にとまるチョコも、エリーヌも、硬直したように動けない。
頭上の棒が振り下ろされるのをただ見ていることしかできなかった。
目の前を風が薙ぐ。
「えっ?」
呆けた声がエリーヌの口から漏れる。
目の前に現れた新たな影はエリーヌを叩きつぶさんとしていた凶器をはじきとばす。
黒い髪を靡かせ現れたのは、エリーヌよりも小さな存在。
「アリスちゃん……?」
だが、不思議とその後ろ姿は頼もしかった。
アリスの手には剣が握られていた。
「はあああああああああ!」
気合一閃。
瞬く間に踏み込み、白い敵を斬る。
エリーヌが矢を射ったときとは異なり、剣は白い敵を確実に捉えた。
白い敵はアリスの剣により、霧散した。
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