第二十一話「最後の贈り物」

 ミシェル・フェレール、それが私の名前。

 私は恵まれている、と思う。

 貴族の家ではないが、商才で財を築き上げた父の下に生まれ、優しい母に育てられ、そして――

 私には自慢の兄さんがいた。

 王立学校を首席で卒業し、二十手前で国家魔術師の資格を手にした。

 魔術師としての地位を確立しながらも、父の才能を存分に引き継いだ優秀な兄。

 また、父譲りの話術で多くの人を魅了し、「フェレール商会の未来の将来は安泰だ」と周囲の者は口を揃えて言った。

 誰もが兄は近い将来、父の跡を継ぎ、フェレール商会にさらなる発展をもたらすと確信していた。

 父にとっても自慢の息子であり、その才能は贔屓目を抜きにしてもずば抜けており、「うちの商会を継いで道を閉ざしてしまうに惜しい」と贅沢な悩みを口にしていたくらいだ。

 いつも柔和な笑みを浮かべ、皺のない服を身に纏い、ぴしっと背筋を伸ばしていた姿が今でも瞼を瞑れば思い起こされる。

 いや、皺がないというのは間違いだ。

 一カ所だけ。

 兄さんの後ろ、腰の辺りだけは常に皺になっていた。

 兄さんの後ろに隠れ、私がぎゅっと右手で握っていたからだ。


「いつまでも僕の背中に居たら、可愛いミシェルの顔を皆に見せられないじゃないか」


 優しい兄さんは、苦笑交じりによくぼやいていた。

 私は何て返していたのだろうか。

 無言。

 または一言。


「いい」


 何の疑いもなく、今もずっとこの先も、兄さんの後ろを付いて歩いて行くのだと。

 それでいいと思っていた。



 ◇



 手を繋いだ私の少し前を、頬を膨らませプリプリ怒ったアリスちゃんが歩いている。


(少しからかいすぎたかな)


 くすくすと漏れてしまうそうな笑い声を必死に押し殺す。

 本人は本気で怒っているのかもしれないが、その怒りに怖さはない。

 残念なことに、どこか微笑ましい姿に見えてしまう。

 アリス・サザーランド。

 王国最強の証である『剣聖』の称号を十歳にして手にした少女。

 その実力は本物であることを、私は知っている。

 見た。

 私を救ってくれた姿を。

 私に「大丈夫」と声を掛けてくれた頼もしい瞳を。

 私は知っている。


(大人と話している時は、何だか私よりも大人びて見えるけど)


 とはいえ、先日のパーティで再会するまで、私は勘違いしていた。

 私とは違う世界の住人。

 そんなふうに考えていた。

 だってそうだろう。

 十歳にして、王都の誰もが異議を唱えず、剣舞祭の終了と共に、剣聖アリス・サザーランドの名声は響き渡ったのだから。

 つまり、それだけ剣舞祭でみせたアリスちゃんの実力は疑いようないものであったというわけだ。

 だから再会した私は、緊張からまともにアリスちゃんのことを見ることができず、萎縮し、ちゃんとお礼を自身の口から発することができなかった。

 それはとても、私の胸の中にしこりとなって残った。


(結局、私は兄さんみたいになれない)


 もう私には隠れる場所がない。

 私自身が変わっていかなければ、兄さんには追いつけないとわかっていた。

 ちゃんと私自身の口でお礼を言わなければ、私も何も変われていない。

兄さんの背中に隠れていた私はもういないのだ。

 そんな思いで私はパーティ会場でアリスちゃんにもう一度話せる機会をうかがっていた。

 そこで私が目にしたのは不思議な光景だった。

 今思い出すと、笑いが漏れ出てしまいそうだ。

 それは、必死に、こっそりと、パーティ会場で料理をせっせと皿に載せている少女の姿であった。

 周囲の大人は誰も気付いていない。

 私だけが何故か見ていた光景。

 多分、何かの武術、あるいは魔術を使っていたのだろう。

 見られていないと油断した姿に、私はほっとした。

 無邪気に料理を選ぶ姿は何も私と変わらない。

 アリスちゃんが私と違う世界の住人なんかじゃないと知った。

 その姿を追った。

 見つけた。

 驚かれた。

 私とお話するアリスちゃんはちょっと背伸びしているだけの女の子だった。


「ミシェルちゃん、ぼーっとしてどうしたの? もしかして疲れちゃった?」


 声を掛けられ、思考から現実に引き戻される。

 いつの間にかこちらを振り向ていたアリスちゃんが、暫くの間だったため、私を心配して声を掛けてくれた。

 年齢も身長も私の方が上なのに、何だかアリスちゃんのほうがお姉さんみたいだ。 

 先程まで膨らませていた頬はもう見られない。

 どうやら機嫌は戻ったようだ。


「うんうん、ちょっと考え事してただけ。アリスちゃんは大丈夫?」

「私は大丈夫」   


 飄々とした口調でアリスちゃんは答える。


「目的地まではあとどれくらいなの?」

「うーんと」


 ポケットから地図を取り出す。

 発動していた《光明ライト》を手元に引き寄せる。

 光球の位置が悪く、私の影が地図に大きく写ってしまっていた。

 少し位置をずらし、改めて目を落とす。

 歩いて来た道を指でなぞりながら点を探す。

 この地図は只の地図ではない。

 兄さんが残してくれた魔道具だ。

 地図上に現在位置が表示される優れもの。

 アリスちゃんも横から地図を覗き込んでくる。


「この点が私達がいるところ?」

「うん、そう」

「へー、カーナビみたい」

「かーなび?」


 初めて聞く単語。


「あっ、いや昔そういう名前の道具を見たことがあって……」

「ふーん。かーなびっていうのかは知らないけど、この地図は兄さんが魔術の趣味でつくったものよ」

「趣味でってすごいな。どういう仕組みなんだろう?」


 アリスちゃんが驚き、地図をまじまじと見る。


「それは私には分からないかな、ごめんね。

 でも、結構こういった位置がわかる地図は出回ってるから、ラフィ様に尋ねれば教えてくれるんじゃないかしら?」

「へー、そうなんだ」

「そうそう」


 剣の腕は言わずもがな。

 魔術も相当の腕前と聞いている。

 そのアリスちゃんに兄さんが褒められるのは何だか誇らしい。

 饒舌になり、少し口を滑らせてしまった。


「この地図はね、兄さんが私にくれた最後のプレゼントなの」


 私の言葉で会話に沈黙が落ちる。

 多分聡いアリスちゃんのことだ。

 これまでの会話から、兄さんが既に死んだことには気づいていたであろうが……。


「さぁ、あと少し! 早く行きましょう」


 私はアリスちゃんの手を引き、目的地まであと少しの道を先導していく。



 

 

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