幕間「密談」
夜遅く、人は一日の営みを終え寝る時間。
だが、ここだけは違う。
十三区歓楽街。
これからの時間が最も人の多くなる時間帯。
歓楽街は東に歩けば十四区の冒険者街、北は五区の闘技場と十二区の商業区にも面している場所に位置する。
歓楽街と名のつく通り、王都で最も酒場や飲食店が軒を連ねている。
そして夜に人が多い理由にはもう一つ。
歓楽街のさらに限られた区画を王都の人々はこう呼ぶ。
娼婦街と。
アレク・ノヴァは一人、リュックサックを左肩に背負いながら、そんな中を歩いていた。
「お兄さん、銀貨三枚でどう?」
露出の多い服を身に纏う女性が、笑顔でアレクを誘惑しながら声をかけてくる。
チラリと伺う。
目に入るのは魅力的な胸。
実に好み。
顔も悪くない。
しかし、立ち止まることなくアレクは女性の前を歩き去った。
無視された女性は怒ることもなく、また次の男性へと同じように声を掛けているのが、アレクの耳には聞こえた。
路地を進んでいくとまた声を掛けられる。
「お兄さん、銀貨五枚でどう?」
新たな女性に笑顔で声を掛けられる。
先程の女性と異なり、露出は控えめ。
ついでに胸も控えめ。
そしてアレクと同族であることを示す頭頂部でピコピコ動く耳。
銀貨五枚と、この街の相場からは少し強気の設定ではあるが、まだ少女といってよい年齢でありながら整った顔だちであり それも頷ける。
アレクは脚を止める。
「銀貨四枚じゃだめか? 生憎手持ちが少なくてな」
「うーん、銀貨四枚にもう少しプラスしてくれるならいいよ。お兄さんかっこいいし!」
「んじゃプラスで銅貨五十枚でどうだ?」
「交渉成立ね」
少女は言うや否や、アレクの腕に胸を押し付けてきた。
見た目通り、あまり膨らみを感じることはできなかったが……。
◇
娼婦街から少し歩き、二人は宿屋へと入っていく。
入口に書かれている値段は近辺と比較するとやや高めではある。
受付に立つ男性に無言で金を払うと、代わりに部屋の鍵を渡された。
書かれた番号の部屋へ入る。
簡素なベッドが奥に置かれ、手前には机と一脚の椅子だけが置かれていた。
本来のようが目的であればベッドさえあれば十分ということであろう。
アレクは無言でベッドまで歩くと腰を下ろす。
部屋にはいった瞬間、先程まで笑顔であった少女は無表情になっていった。
扉を閉めると少女は鍵をかけ、直立不動。
「尾行は?」
「いえ、おりません」
「まぁ、念には念を入れておくか。一応妨害魔術は仕掛けてくれ」
「了解しました」
アレクの指示に従い、少女は詠唱を始めた。
「我らが領域に
《妨害》は簡単な盗聴系の術を防ぐことができる魔術だ。
「それじゃあ報告を聞こうか、レーレ」
レーレと呼ばれた少女は、やはり直立不動のまま報告を始める。
「はっ。指示された通り、例の情報をリットン卿に流しました」
流した情報は王都に仕掛けられたと思われる魔法陣に関するものだ。
アレクにとっても専門外の知識ではあるが、知り合いにはラフィという、指折りの魔術師がいる。
関係各所への事後報告、加えて転移陣を破壊したことに対する説明の為という名目で、ラフィにはわかる範囲での情報をまとめてもらった。
ただし、どの様にその情報を報告するかをラフィには伝えていないが。
リットン卿と呼ばれる人物は、王国において「次の宮廷魔術師」と目されている。
しかし、魔術研究に関しては一定の評価を得ているものの、武功でも名を馳せている現宮廷魔術師リチャード・サザーランドと比べると遥かに見劣りしてしまう。
また先の災厄の際は、魔術の研究費として莫大なお金を国から提供されていながらも現場には赴かなかったことから、世間では「臆病者の金喰い虫」と揶揄されていた。
今のリットン卿は喉から手が出るほど、自身の価値を高める情報を欲していた筈だ。
そして先行して別の経路から流した、調査中の王都に仕掛けられていた魔法陣の紋様。
きっと、渡した情報からは「ラフィ」という名は消えて、仕掛けられた魔法陣の内容は国王の耳に届くこだろう。
思惑通りに事が運んでいる。
しかし、そこに喜びと言った感情をアレクは一切抱かなかった。
「そうか」
レーレの報告を聞いたアレクは淡々と言葉を返す。
「取り敢えず、レーレご苦労様。明日からは護衛の方を頼むぞ」
「心得ております。……しかし、何故私に。
大佐が自ら同行すればよかったのでは?」
「ま、ちょっと面白そうではあったが」
レーレの言う護衛とは、フェレール商会からアレクに話があった荷馬車の護衛依頼だ。
調べてみれば、フェレール商会会長の一人娘も旅に同行するとの理由で強力な護衛をかき集めている様子。
その面子にはラフィとナオキがいることも承知していた。
そして、ラフィがフェレール商会と繋がりがあることも。
ラフィと異なり、アレクはフェレール商会との接点は一切これまでなかったが、アレクは人の出入りが多い酒場によく顔を出す。
故に、勇者様一行の一人アレク・ノヴァを探そうと思えば実に容易であろう。
こうして、明日出発する荷馬車にはAランク冒険者が一チーム、ラフィという強力な護衛、そして気付いてはいないが、勇者ナオキまでも居る強力な布陣であるにもかかわらずアレクにまで声がかかった。
結論から言うと、アレクは護衛依頼を断った。
代わりに、知り合いの腕利きの冒険者を紹介した。
それがレーレである。
「俺はガエルからの連絡待ちで王都から暫く動けない。
それにセザール王の動きもみとく必要があるしな」
少し溜息をつく。
連続して王都で何も起きなければ、アレクは迷いなく旅に同行したのだが。
「そうだレーレ、忘れないうちにこれを渡しておく」
アレクはリュックサックから指輪を取り出し、レーレへと投げ渡す。
「魔力を隠す指輪だ。つけておけ。
今回はあくまで剣士レーレとして振舞い、魔術は一切使うな」
「了解しました」
レーレは受け取った指輪を迷うことなく左手薬指にはめる。
「……そこはやめろ。余計な詮索をされる」
「…………了解しました」
やや不満気ではあったが、レーレはアレクの言葉に素直に従い、右手の中指にはめなおした。
「さて、こんな時間に呼び出して悪かったな。すぐに出たら出たで怪しまれるだろうから、悪いがあと二時間ほどは部屋に居てくれ。明日も早いだろうから、少しベッドで休むといい。
俺も少し仮眠をとる」
アレクは立ち上がり、レーレのためにベッドを譲ると、椅子へと腰をかける。
すぐに静かな寝息が部屋に響きはじめた。
それを、先程までの無表情を崩し、頬を膨らませたレーレが暫く見つめていたことにアレクが気付くことはなかった。
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