第六十四話「破壊作戦」

 転移陣が起動したその日、満月に照らされた転移区は多くの人で溢れていた。

 何しろ明日は遂に剣聖が登場する試合が行われる。

 王国外の者にもその話は広く伝搬していた。

 百年ぶりの出来事。

 当事者として、その出来事を目撃したいと思う人は多くいた。

 もちろん王国民も、一生に一度しかないかもしれない一大イベントを是が非でも観たいとの思いから、国外に出ていた多くの人も決して安くはないお金を払い、この日の為だけに転移陣を用いて王都に戻ってきていた。

 そういった事情も加え、王都迷宮で訪れた冒険者とも合わさり、転移区はこれまで見たこともない人数で溢れ返っていた。

 転移区の出口に設置された検問を待つ長い列に、普段ならイライラとするところであるが、今日は見知らぬ人同士、剣聖がどんな人物なのか、明日はどんな試合が繰り広げられるのか、話に花を咲かせていた。

 そんな時であった。

 先程までは月明かりが指していたにもかかわらず、突如頭上を影が覆う。

 はて、月に雲がかかったか。

 人々は何とはなしに視線を上へと向けた。


「な、何だ!?」


 誰かが上げた声。

 その声につられ、さらに多くの人が頭上を仰ぎ見る。

 何とも形容しがたい、巨大な影があった。

 やがて強大な影には両側に大きな翼を生やしていることに気付いた。

 先程までの喧噪が嘘のように静まり返る。

 バサバサと風を切り裂く音だけが響く。

 影はぐんぐんと大きくなり、翼が上下に羽ばたくことにより発生する風がどんどん力強くなっていく。

 遂に影が晴れる。

 月明かりに照らされ、その巨体が衆目を集めた。

 漆黒の身体だ。

 巨大な翼を上下に動かし、宙へ浮いている。

 視線を上へとやると闇に、二つの光が浮いている。

 目だ。

 黄金色の瞳は縦に割れ、ギロリと人々を見下ろしていた。

 恐怖からか、身動きができない。

 誰もが息をするのさえも忘れ、ただただその存在を見上げる。

 あれは何だ。

 皆が疑問に思うと同時に、皆がその存在を知っていた。

 それはお伽噺で。

 そう、あれは竜と言う存在だ。

 やがて静寂も終わりを迎える。


『――――――――!』


 竜がその巨体を震わせ、咆哮を響かせた。

 同時に宙に浮いていた存在は地面へと地響きをたてながら着地する。

 それが合図だった。


「きゃああああああ!」


 悲鳴が上がった。

 止まっていた時間が動き出す。

 生物の本能が逃げろと脳に訴える。

 わけのわからない存在に人々は恐怖し、皆、一目散に駆け出す。

 出口など関係なく、ただただ目の前の存在から距離をとるために。

 だが、その流れに逆らい前に躍り出る者達がいた。

 王国の守護者、騎士団の面々だ。

 隊長と思しき人物が声を張り上げる。


「落ち着け、我らがここは食い止める!

 第五部隊は人々を安全なところに誘導しろ!

 第一、第二部隊は私に続け!」


 その声により、恐慌状態が幾ばくかましになるが人々の平静を取り戻すには不十分であった。



 ◇



 俺は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々を頭上から見ていた。

 正確には竜である赤の頭の上から。

 ただし、今は黒い煤を鱗に擦り付けており、見た目でいうなら黒と言った方が正解か。


『主よ、これでいいのか?』

「ああ、上出来だ」


 赤が着地したのは転移陣の真上。

 俺の狙い通り、人々は転移陣から我先にと離れていく。

 だが、思った以上に竜と言う存在は人の恐怖心を掻き立てるようだ。

 エクトル率いる騎士団の役割は二つ。

 転移陣に人を入れないことと、避難誘導だ。

 

(これで怪我人がたくさん出たら申し訳ないけど、今は手段を選んでられないからな……)


 その辺りのケアはエクトルや騎士団の働きに期待するしかない。

 人はいなくなった。

 ラフィに状況を確認する。


『ラフィ、そっちはどうだ?』

『周囲の魔力の流れを探知する陣は良好。

 うん、妨害の術式もうまく働いてる。

 ……でも私の魔力だとあと3分くらいが限度。

 早くやっちゃって』

『了解っと』


 転移陣を阻害する方はうまくいっているようだ。

 証拠に、転移陣からは新たな人が転移してこない。

 

「じゃあ、赤頼む。

 全力で目の前の転移陣をふっとばしてくれ」

『しかと心得た』


 赤は返事をすると、再びふわりと宙に舞う。

 目標である転移陣から少し距離をとる。


『それでは主よ。

 我の全力をしかとその目に焼き付けよ!』


 軽い調子で張り切る赤。

 だが、その言葉と同時に赤の口に莫大な魔力が収束していく。

 空間が歪むのではと錯覚するほどだ。

 そして、引き絞られた魔力が瞬時に吐き出された。

 青白い光を帯び、その光は転移陣を貫く。

 空気を震わす震動。

 次の瞬間、轟音へと変わった。

 ドゴンっと!

 腹を震わす重音が響き渡る。

 吐き出されたエネルギーは圧倒的な暴力となり、地面を襲う。

 光が止んだ時、地面は抉られ、その場には巨大な穴が空いていた。


『主よ……みたか!』


 赤のドヤっといった雰囲気が伝わってくる。 

 威勢を張ったのも一瞬、蓄えていた魔力を全て吐き出した赤は宙に浮いていることができなくなり落下を始めた。

 俺は慌てて赤から離れる。


(赤、ご苦労さん)


 元が丈夫なのでこの高さから落ちても赤は大丈夫と判断し、地面に落下する赤を俺はそのまま見送った。

 遅れて地面に落下する音が響く。

 俺はラフィへと状況確認を行う。


『ラフィ、どうだ?

 魔力のラインは絶てたか?』 

 

 だが返ってきたのは予想外のもの。


『まだ魔力が流れてる……!

 もっと地中深くを穿たないと駄目!』

『まじかよ……』


 未だ砂埃が舞う、転移陣があった箇所を見つめる。

 俺が見る限り、相当奥底まで貫かれているように見えるが魔力は健在とのこと。


(物理的に破壊するのが無理ということか……?)


 そんな考えが脳裏を過るが、今はこの手段しかない。

 赤にもう一度同じ手段で攻撃してもらうのは無理だ。

 落下した赤は魔力切れで動けない。

 となると、俺しか強力な魔術を使えるものがいないわけだ。

 

(……転移陣を破壊したのは黒い謎の竜だ。

 俺が今から使う魔術はその黒い謎の竜に対して使ったものだ、とか言ってる場合じゃないな。

 時間もない、やるしかない!)


 俺は覚悟を決める。

 赤が穿った穴に向け、片手をかざす。

 目を瞑り集中する。

 普段使うことがない有り余った莫大な魔力を体の奥底から絞り出し、一点に集めていく。

 数を撃つのではなく、赤と同じで一点集中。

 一発限りの全力全開。

 いくぞ!

 目を開く。

 

「吹っ飛べ――!」


 俺の意思に従い魔術が発現した。

 赤が穿った穴から天高く、光の柱が上がる。

 先程よりも、更に大きな轟音が周囲を揺らす。


『さすが主……』


 赤の感嘆の声が聞こえた。


「くぅ……!」


 絞りに絞り、ありったけの魔力を凝縮した。

 もう空だ。

 そう意識した瞬間、身体をどっと倦怠感が襲う。

 立ち上がった光はスッと幻であったかのように消えうせた。

 俺も地面へと落下していく。

 地面に激突する寸前で、ヘルプがなけなしの魔力から《エアクッション》を展開してくれた。

 衝撃は殺せたものの、起き上がる気力は残っておらず地面に転がる。


『ど……どうだ?』

 

 絞り出すようにラフィへと問いかける。

 少し間を置き、応えが返ってきた。

  

『魔力が少し発散してる……!

 けど、まだ足りない。

 ナオキもう一回』

『無茶いうなよ……!』


 と言いつつも俺がやるしかない。

 なんとか立ち上がろうとするが、こてんとずっこける。

 そもそも先程と同じ規模の魔術を行使するのは不可能だ。

 思考を巡らせるがいい案は出てこない。


(まずい、どうする、どうする……!)


 ちらりと横を見る。

 横で倒れている赤も同じ状況。

 この場にいる他に魔術が使えるのはラフィしかいないが、ラフィは元から広範囲を破壊するような魔術は得意ではないと言っていたし、自身の魔術で解決するならば既に行動に移しているはずだ。

 つまり、ラフィでは不可能。

 あと、思いつくのは転移区に来ていた冒険者の中から凄腕の魔術師を探すくらいだが、ラフィ以上の魔術師はいないと断言できる。

 策はない。

 

(せいぜい、王都には何も仕掛けられていないということを神に祈るくらいか)


 そんなことを考えていた時であった。


『……そろそろ、あなたも協力すべきではないですか?』


 ヘルプの声が脳内に響く。

 でも、一体誰に向かって声を掛けているのかと疑問に思う。

 その先は。


「満を期して、ここは僕の出番かな」

 

 腰に吊るす剣から得意気な青の声が響いた。

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