第四十五話「ガルネリの師匠」


「こんなに静かじゃったか」


 自身の工房で久しぶりに一人となったガルネリは、静寂が訪れた部屋を見渡しながら顎髭をつつく。

 久しく商談以外で会話をしていなかったが、この二日間でここ一年分よりも喋ったのではないかと思われた。

 食卓の上にはアリスが没収していた酒瓶がまとめて置かれていた。

 冒険者ギルドの指名依頼とやらで出なければならなくなり、アリスは今日明日と来られそうにないといった理由で返してくれたのだ。


「とっとと片付けて戻ってきます。

 ……今日は飲んでもいいですけど、明日は絶対来ますから、ほどほどでお願いしますよ!」


 と釘を刺して出ていったが……。

 とは言っても長年の習慣であるお酒。

 つい、ガルネリの手は酒瓶を掴む。

 アリスは純粋に早くガルネリが完成させる刀を見たい思いで急かしているようではあるが、ガルネリは別の理由で時間がないことは重々理解していた。

 第一王女からガルネリに宛てられた手紙。

 わざわざアリスが剣聖であることを記していた。

 「アリスに合う剣をつくれ」という無言の圧力としか捉えられない。

 剣の世界では、ガルネリの名は広く響き渡っているが、所詮は王国に暮らす一国民に過ぎない。

 その王族に連なるものの機嫌を損ねるわけにはいかないだろう。

 

(いつものような剣であれば、ここまで苦労することはないのじゃがな……)


 溜息をつく。

 だが、ガルネリ自身、アリスが示した剣――刀には心を躍らせていた。

 最近はただ求められた剣を打つだけとなっていた日々に投じられた一石。

 目を瞑りながら考え、様々な手法、可能性を探る。

 やがて自身の口角があがっていくのを感じる。


(ふん、楽しいじゃないか)


 ガルネリは掴んでいた酒瓶を置いた。


(寝る前にもうひと踏ん張りするか)


 酒はお預け、今はそれよりも楽しいことがあるのだ。

 剣を打つため鍛冶場に戻ろうとする。

 その時、誰もいない空間から声が上がる。


「何だ、飲まないのか。

 珍しい」


 その声に、ガルネリはそこに誰かがいたのが分かっていたかのように、驚くことなく答える。


「飲んでる場合じゃないからな。

 一刻も早く、刀とやらを完成させんとならん。

 それもあんたが打った至高の一本を超えるものを」


 声がした方へと、顔をしかめながらガルネリが目を向ける。

 空間から光の粒子がどこからともなく現れ収束する。

 光が失われると、燃えるような赤い髪を持つ青年が食卓の横に立っており、食卓の上に置かれた酒瓶を無造作に掴む。

 目ざといことに、ガルネリが所有していた一番いい酒だ。

 ここ十年で一番出来が良かったとされる年のもの。

 ガルネリは開ける日を密かに楽しみにしていたのだが。


「おいおい、そう睨むなって。

 俺様がつくった剣を長年想った恋人のように、熱い目で見ていたではないか?

 愛しい愛しい俺様だぞ、うん。

 会いたかったであろう?」

「ふん。

 剣は好きでも、お前さんのことが好きなわけなかろう」

「昔はもう少し可愛げのある奴だったが、会うたびに人相が悪くなっていくな。

 年をとるのは嫌だね」


 おどけた口調で言いながら、掴んだ酒瓶の封を迷わず切ると、赤髪の青年はそれを一気に呷る。

 赤髪の青年の名はアントニオ・ストラディバリ。

 歴史上最高の鍛冶師と言われる、伝説の人物にしてガルネリに剣の打ち方を教えた師匠。

 きっとガルネリが彼のアントニオ・ストラディバリの弟子であるという話をしても、誰も信じぬだろう。

 何しろストラディバリは700年前の人物。

 ガルネリはこの世に生まれてまだ四十年とそこそこだ。

 あり得ない師弟関係ではあるが事実。

 ストラディバリは人の身を捨ててなお、この世に居続ける規格外の存在であったからだ。

 そんなすごい人物ではあるのだが、目の前の青年からはそのような雰囲気を微塵も感じない。

 ガルネリもストラディバリと会うのは数年ぶりであったが、近くで見られていると感じていたため驚きはなかった。


「素晴らしい! 酒は時代と共に美味しくなっているな。

 ジュゼ坊、これはどこで造られたものだ?」

「いい加減その呼び方はやめてくれんかの。 

 あんたが言うように、わしも年をとって、もう坊やと呼ばれる年ではないんじゃが」

「なにを一丁前に言ってんだ。

 髭だけは伸ばしやがって。

 俺様にとっちゃ、ジュゼ坊はいつまで経ってもひねくれたガキだ」

「痛い、やめんか」


 ストラディバリは手を離すと、再び手にした瓶を呷る。


「飲んでみるか?」

「元々はわしの酒なんじゃが……。

 お師匠さんにそんなこと言うても無駄とわかっておるからの。

 それに今は酒を入れるわけに――」


 ガルネリが話してる途中、酒瓶を口に突っ込まれた。

 濃厚で甘美な香りが口の中に広がる。

 確かに期待通り、極上の味。

 

「何をするんじゃ!」

「はっ! ドワーフ族が酒を我慢してどうすんだ。

 飲め飲め」

「完成させるまで酒を飲まんと誓ったわしの誓いを返せ!」

「そんなもの捨てちまえ。

 ずっと言ってるだろ。

 根詰めて鍛える剣なんて何も面白くない。

 楽しく打て。

 それが出発点でもあり終着点でもあり、原点でもある。

 ……今、俺様いいこと言わなかった?」

「自分で言うと台無しじゃ……。 

 じゃが、ええい、もう今日は飲むわ!

 わしが楽しみにしていた酒じゃ、返せ」

「ほらよ。もう空だから次の開けようぜ」

「ぐぬぬ……!」


 ガルネリ工房に二人の声が響き、夜が更けていく。

 


 ◇


 アリスが返してくれた酒瓶はことごとく空瓶となり、床へと散乱していた。

 ガルネリは酔いが廻っていたが、それ以上に飲んでいるはずのストラディバリは変らぬ様子で酒を進める。

 ドワーフ族を圧倒する酒豪。

 人の身を捨てたからなせる業か、元々強かったからかは不明だ。

 二人はさすがに酒瓶から直に飲むのをやめ、互いのコップに注ぎながら飲んでいた。

 コップに注がれた酒を飲み干し、ストラディバリが問う。


「ジュゼ坊はいつから俺様がいるって気付いてたんだ」

「ふん。いつもより火精霊がそわそわしておったのと、剣舞祭最終日も近づいてきた。

 そろそろ時期的に現れてもおかしくないとの」

「なるほどね」

「ここ数日は顕著じゃった。

 お師匠さんもあの刀とやらには興味があるのじゃろう?」

「そりゃそうさ。

 この世に顕現できるのは一年の僅かな間だけではあるが、人の身を捨ててまで俺様が欲したのは剣を探究し続けるためだからな。

 刀と言ったか。

 あれは面白い。

 これまで打ってきて、見てきた剣とはまったく趣が異なる。

 実にいい」

「じゃが、完成させる道筋を考えると頭が痛いのお」

「そんな心配は無用だ。

 明日からは俺が手伝ってやる」

「……本当か?」


 ストラディバリの一言にガルネリは一気に酔いが覚める。

 ガルネリがストラディバリと出会い、もう長い付き合いとなるが、一度も「手伝う」などという言葉を聞いたことがなかったからだ。

 ストラディバリはアドバイスはくれても、己の腕を披露してくれたことなどなかった。


「勘違いするなよ。

 これはジュゼ坊を助けてやるためじゃない。

 俺自身が興味があるからだ」

「本当にそれだけの理由で?

 もしや、アリスがお師匠さんの剣が合わないって言ったのを根に持っているとかじゃないのか?」

「聞いてたよ。

 だがあのチビの言っていることは正しいし、その通りだ。

 あの剣は俺様が俺様の為に俺自身が振るう為に鍛えた剣だ。 

 俺様以上にあの剣を扱える者はいないし、あのチビに合わないのも当然のことだ。

 だから俺様があのチビに最高の剣を与えてやる。

 それもまた俺様の楽しみだからな」


 ストラディバリはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。

 ストラディバリの剣を探求するという意味には二重の意味がある。

 一つは、鍛冶師として。

 もう一つは、剣士として。

 歴史上最高の鍛冶師でありながら、生前その剣はただ自分が振るう為。

 目の前の男は赤髪の鬼神とも讃えられ、初代剣聖アントニオ・ストラディバリとも言われる存在であるのだから。

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