第三十三話「助言」
アリスを目の前にしても、セザールの言葉をアニエスは未だに信じられない。
剣聖は王国最強の剣士に与えられる称号である。
確かに目の前で竜の攻撃からアリスが守ってくれたところは目にし、詳細は知らないが、その竜を倒し支配下に置いているのは事実。
昨日も前剣舞祭覇者であるジンと勘違いからではあるが剣を交えていた。
アリスに所々傷を負わせていたので、あの時はアリスを傷付けるとは何事かとジンを問い詰めてしまった。
ちょっと悪いことをしたと思いつつ、前剣舞祭覇者であるジンの言葉を思い出す。
「彼女は何者ですか?
……確かに俺も大人気ない手で攻撃を仕掛けたが、そうしないと凌げなかったからだ。
あれは、アニエス様の騎士ですか?」
アリスが剣聖であることを伝えてもいいかと思ったが、父セザールが未だ秘密にしていること、そして剣聖の正体を一人でも多くの人に知られると、アリスに伝わる可能性が高まることも考慮し、冗談気に微笑みながら「私の大事な妹です」と答えるに留めた。
ジンもそれ以上は追及してこなかった。
アニエスに剣の腕前を判断する目はないので、せっかくの機会と思い、ジンに一つだけ質問した。
「アリスは、強かったですか?」
と。
ジンの回答は簡潔。
「強い」
前剣舞祭覇者をもって強いと言わしめるアリスの実力は間違いないだろう。
ただ、アリス本人も自分が剣聖だということを知らない様子。
だからといってアニエスから「アリス、あなたが剣聖よ」と教えることはしない。
父セザールからも
「絶対に剣舞祭決勝のその日まで、本人が剣聖であることは知られてはならない」
と言われた。
剣聖本人に剣聖であることを隠す理由は流石に意味がわからず、アニエスが混乱していると、
「一緒の部屋で過ごしているお前ならわかるだろ。
本人に剣聖であることを知られたとしよう。
さて、アリスとやらは剣舞祭という大舞台に立ってくれるだろうか?」
アリスと一緒の部屋で暮らしていることは当然のようにセザールが把握していることには内心驚きつつも、後半の言葉を吟味する。
アニエスは赤面しながら、逃げ出すアリスが目に浮かんだ。
本来であれば「お姉ちゃんである私がアリスを守る!」と息巻くところであるが、国と天秤にかけ、泣く泣くアニエスはアリスを剣舞祭という舞台に立たせることを是とする。
何も知らないアリスを剣舞祭決勝と、優勝者対剣聖の戦いが行われる日に会場へと誘う役割をアニエスはセザールから引き受けた。
誘えば目を輝かせ喜ぶアリスの姿が思い浮かぶ。
多少の罪悪感を覚えつつも、「かっこいいアリスを見たい」と思うアニエスがいた。
そんな思惑をアニエスが抱いているとも知らず、寮に戻ってきたアリスは何やら物思いにふけっている様子であった。
食事を終え、お茶を飲んでる今なお物思いにふけっている。
アリスが鍛冶区に、剣の製作依頼をしにいくことは本人の口から聞いていたのでアニエスも知っていた。
「剣の依頼はうまくいったの?」
上手くいかなかったことは明らかだが、話のとっかかりとして、アニエスは尋ねる。
「相手にしてもらえませんでした」
アニエスの言葉にアリスはがっくりと肩をおとす。
生徒の中でも剣を修める者の多くが鍛冶区でオーダーメイドの剣を依頼することは珍しくない。
アリスと同じ様に校内で剣を吊るしている者もたまに見かける。
故にアリスは休日であるにもかかわらず制服を着て鍛冶区に赴いたのだが。
(やっぱり見た目から、剣を振るう姿は想像できないものね……)
アリスには悪いが鍛冶師の気持ちは理解できた。
学生にしても、アリスはあまりにも幼すぎるのだ。
剣聖である事実を知り、前剣舞祭覇者が実力を認める言葉を聞いたアニエスでも「え、本当に?」と思ってしまうのだから。
アリスを父セザールに売り渡した罪悪感から、少しだけお姉さんらしくアリスの力になりたいとも思った。
「アリスって私のお父様から褒美として剣を渡されたのよね」
何気ない様子でアニエスは問いかけてみる。
「はい。陛下から頂きました」
アニエスの問いに答えると、アリスは腰に吊るしていた簡素な剣を机の上に置く。
正直、どこにでもありそうな剣という感想を抱く。
次の瞬間、簡素な剣の姿がはがれ落ちる。
簡素な剣が溶け落ちるように、現れたのは豪華絢爛、圧倒的な存在感を放つ剣だった。
鞘からして宝飾品で彩られている。
(これが剣聖にのみ持つことが許された剣……!)
ただ豪華なだけではない。
剣の良し悪しなど判断できないアニエスでさえ、思わず息を呑む。
アリスがいかなる方法で簡素な剣に偽装していたのかはわからないが、確かにこれを偽装なしで持ち歩くのは困難である。
この状態で腰に吊るしていたら、多くの人の目が吸い寄せられるだろう。
「さ、触ってもいい?」
本来は剣聖しか持てない剣。
すごく興味がある。
この国の第一王女ではあるが、まだ十三歳であるアニエスは思わずそんな言葉が口から出た。
「元々は王国のものですから、どうぞご自由に」
恐る恐るアニエスは剣の柄を握る。
「お、おもい」
ゆっくりと持ち上げようとするが想像以上の重さであった。
プルプルと両腕で力を込めるが、少し机から浮いたところでギブアップ。
「ア、アリス、いつもこんな重い剣を持ち歩いてたの!?」
アニエスの問いにアリスは苦笑。
しかも先程、腰の剣を片手で机に何とはない動作で置いていたことを思い出す。
机の反対側に座るアリスの横に行くと、問答無用でアリスの二の腕をぷにぷにする。
(ん、やわらかい)
強靭な筋肉に覆われた腕ではなく、細くしなやかな腕だ。
「えと、魔力で補助してるんですよ」
アリスの言葉に取り敢えずアニエスは納得し、次の疑問を投げかける。
「剣のことはよくわからないけど、お父様がアリスに渡した剣、どこか駄目だった?
私にはすごそうな剣に見えるけど」
「いえ、この剣はすごくいい剣です。
たぶん、これ以上の剣はないのではと思えるほどに」
なら、どうして新しい剣を求めるのかと声に出さずともアニエスが感じた疑問をアリスは続く言葉で答える。
「剣が悪いというより、私の問題ですね。
この剣は王国に代々伝わる剣と聞いています。
当たり前ですが、私の身体に合うようにつくられた剣ではありません。
小さい私では、どうしてもこの剣が本来持つポテンシャルを引き出せないのです」
残念そうにアリスは剣を眺める。
確かにアニエスが父セザールから剣聖の名を聞くまで想像していたのは屈強の戦士である。
この剣を作った人間も、まさかアリスのような幼い少女が握ることなど予想できるはずがない。
アリスの説明にアニエスはなるほどと納得すると同時に”剣聖”としての力を思う存分に発揮してもらうためにも、アリスに合う剣を作ってもらう必要性を感じた。
「でも、素人の私でもこの剣がすごい剣ってことはわかるわ。
これを鍛冶師の方に見せたら、少しはアリスを見る態度も変わるんじゃないかしら?」
本来の目的であった、助言をアニエスは口にする。
「なるほど。今まで目立つから姿を偽装してましたけど。
うん、確かにこれを目にすればきっと……!
アニエス姉さんありがとうございます!」
ぺこりと寮に帰ってきて初めて笑顔を見せるアリス。
たまらずアリスを抱きしめる。
「あーもう可愛いな。
アリス、ちょっと待ってて」
名残惜しくも一旦アリスから離れアニエスは自室へと向かう。
自室に入ると一枚の便箋を取り出す。
羽根ペンをインクに浸し、鍛冶師へ渡してもらう手紙をしたためる。
これは保険だ。
自分がこの王国の第一王女であること。
この手紙を持たせた人物アリス・サザーランドが剣聖であるという事実。
そして、このことは他言無用。
アリス本人にも伝えてはならぬこと。
以上のことを書き記すと、便箋を封筒にいれ、王家の者であることを示す蝋印で封をする。
アニエスは一階に戻ると、それをアリスに渡した。
「その鍛冶師にこの手紙も渡しなさい。
きっとアリスの助けになるはずよ」
手紙の内容は知らずともアニエスが書いたものであることは明確であり、その手紙が持つ力をアリスにも十分理解することができた。
「ありがとうございます!」
普段の少し大人びた雰囲気を微塵も感じさせない、無邪気に喜ぶアリス。
珍しくアリスの方からアニエスへと抱き着いていた。
不意討ち。
アニエスが赤面する羽目となった。
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