第三話「赤面のアニエス」
休憩時間も終わり間際に俺は教室に辿り着いた。
中に入ると注目こそ浴びたが、クラスメイトの驚きはなく、「ああ、来たんだ」といった冷静な様子であった。
というのも、ここ何日間も悲痛な面持ちを浮かべていたアニエスが原因である。
授業も上の空に窓の外を眺め、隣の席に目を移すと溜息。
教室内は何とも言えな雰囲気が続き、教師も本来は注意したいが校長より「アリスの後遺症」という事情を知っていた故に、友達を心配する心優しいお姫様と映り注意できず。
……本当は迷宮で行方不明になっているというアリスの身を案じていたのだが。
その事実を知る者はほとんどいない。
結果として生徒は「何かわからないがアリスの身に何かあり、姫様は上の空」という事実だけが残った。
それが今日は一転。
ご機嫌に、今にも鼻歌を交えそうな様子である。
アニエスの様子からクラスメイトはアリスが今日は来るのだと確信に至っていたわけで、アリスの登場は驚きもなく迎え入れられたのである。
復帰最初の授業は歴史であった。
一週間以上休んでいただけに、内容はチンプンカンプン。
歴史は俺にとって最も頭を悩ませている授業だ。
何より今まで生活していない異なる国、異なる世界の歴史である。
俺がこれまで培ってきた知識が全く役に立たないわけだ。
地名も名前も全てがただの記号でしかなく憶えるのに一苦労。
授業内容もツラツラと語られる歴史に耳を傾けるしかない。
最初は興味深くもあったが、理解できない内容が続くというのは苦痛以外の何物でもなく苦手意識を持つのも時間の問題であった。
授業を行っている教師には悪いが、教室に顔を出すのは昼からでも良かったかもしれないと少し後悔した。
◇
そんな復帰最初の授業を終え昼休み。
俺はアニエスとエルサと共に食堂で食事をとることにした。
久しぶりに自炊でない食事だ、と思いながら一口目を口に運ぶ。
「そういえばアリスちゃん、迷宮での生活はどうだったの?」
「えっ!ッツ! ゴホゴホ!」
エルサの突然の一言に驚き、むせた。
何でエルサは俺が迷宮に行ったことを知ってるのか。
その疑問を口にしようとしたが、あっさりとエルサが種を明かす。
「ふふふ、お忘れかもしれないけど私はこれでも貴族の娘。
情報収集は貴族の嗜みよ!」
「その多くが碌でもない噂だけどね……」
「あれ、アニエス様そんなこといっていいのですか?
アリスに嫌われたって泣きついてきた私に?」
「そ、その話はいいでしょう」
エルサはニヤニヤと笑いながら、アニエスは顔を真っ赤にしながら抗議する。
二人の間でどんなやり取りがあったのか、俺も少し興味はあるが。
「アニエス姉さんに私が迷宮で行方不明って情報を教えたのはエルサだったのですね」
てっきりアニエスは校長あたりから情報を手に入れたものと思っていた。
「私も言いたくなかったんだけどね……。
別の意味でアニエスはひどい有様だったから」
「エルサ!」
「別の意味?」
「もう大変だったんだから。
アリスに嫌われた!ってわんわん泣きながら」
エルサの言葉に俺は首を傾げる。
「私がアニエス姉さんを嫌う? どうして?」
俺がアニエスを嫌うようなことはない。
確かに迷宮で行方不明となる前アエニスとのすれ違いは多かったが、あれはアニエスの方が俺を避けていたためだ。
アニエスは口を尖らせながらぼそぼそと。
「だってアリスったら、突然いなくなって帰ってこなくなるし。
部屋には荷物もなくなってて」
「アニエス、ほら言った通りでしょう。
アリスが突然出ていくなんてことはしないし、あなたのことを嫌いになるわけないじゃない」
俺には何のことを言っているのか、いまいちついていけない。
(出ていく?何のことだ?)
疑問は口に出していないが顔に出ていたようで、エルサは面白そうに俺の様子を見ていた。
その姿に満足したのか、苦笑しながら答えを教えてくれる。
「アリスちゃん、部屋の荷物片づけたでしょう?
それを見たアニエスはアリスが寮を出ていったんだって勘違いしてたのよ」
そういうことか、と今更ながら理解する。
確かにタイミングとしては最悪だった。
俺としては人が住む部屋でないとまで言われた部屋を収納ボックスの検証ついでに片付けたくらいの軽い気持ちであったが。
部屋は空っぽ、そのまま何日も帰ってこない。
確かに逆の立場だったら怒って部屋を出ていったと勘違いしても不思議ではない。
「それはその、アニエス姉さん本当にご心配おかけしました……」
再度謝ることにした。
「無事もどってきたからよし!」
言葉を言い終わると、アニエスに抱きしめられた。
俺はごはんが食べられないと抗議したいところだが、お詫びも兼ねて今日は気が済むまでアニエスの好きにさせることにした。
そういえばと、俺は口を開く。
「結局、アニエス姉さんが私を避けてる理由を教えてくれなかったんですが。
エルサ、何か知ってます?」
待ってました、と言わんばかりにエルサは笑顔で答える。
「それはね、アニエスがアリスちゃんのこと好きすぎて近づくと胸のドキドキがとまらなかったからだって」
「違う! エルサ! 違う!
というか朝、言わないでって約束したじゃない」
抱きしめていた俺から離れ、抗議すべきアニエスはエルサに迫る。
「いいじゃない。アリスちゃんのことが好きなのは本当でしょう?」
「違う!」
「アニエス姉さん、やっぱり私のこと嫌いなんですか?」
エルサの悪ふざけに俺も便乗。
目をウルウルと、可愛い少女の姿を存分に生かしアニエスを見つめてみた。
その様子にアニエスは慌てる。
「違う!うぅ、違うアリスのことは好きよ!
でもエルサのいう意味ではなくて!」
今日のアニエスは目まぐるしく表情が変化する。
「はいはい、わかってるわよ」
エルサは適当にアニエスをあしらいながら言葉を続ける。
「でも、私も迷宮で行方不明って聞いた時はさすがに肝が冷えたわよ。
心配をかけたアリスちゃんには、私にも謝罪を要求します!」
「う、すみません。エルサにも心配かけました……」
「謝罪だけではこの数日間の私の苦労は報われないな~。
主にアニエスを宥める苦労に……!」
「私関係ないでしょう!」
「な、なにを俺、じゃなくて私に要求する気ですか?」
「それはね――」
エルサが突きつける要求に俺はごくりと唾を飲み込む。
「迷宮での話を聞きたいかな!
どんな冒険だったのか興味ある!」
目をキラキラさせながらエルサは要求を突きつける。
何とはない要求。
俺はほっとする。
「それくらいでしたらいくらでも」
食堂の喧噪の中、俺はここ数日間の冒険譚をアニエスとエルサに披露するのであった。
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