第十九話「アニエス、来訪」
「もうこんな時間か」
部屋の隅に置かれている振り子時計を見る。
エルサは自室の机で読んでいた本を閉じた。
一度伸びをし、立ち上がる。
コツコツ。
窓を軽く打ち付ける音が聞こえた。
エルサは窓の方に目を向ける。
一匹の梟が外にとまっているのが見えた。
エルサは窓を開け、梟を部屋に招き入れる。
梟の脚には紙が結び付けられていた。
慣れた手つきでエルサは梟の脚から紙を外す。
「こんな時間に送らなくてもいいのに。ありがとうね」
紙を外し、梟を指先で軽く撫でてやる。
ホーホー♪と嬉しそうに声をあげると、窓の外へと再び飛び立っていた。
エルサは梟を見送ると窓を閉めた。
梟便で届くのはエルサの実家からの手紙である。
もちろん、速達で送られてくる手紙の内容はただのあいさつであるはずがない。
手紙には実家が手に入れた「情報」や「連絡」が書かれているのが常だ。
貴族社会にとって、なにより情報は大切であった。
噂にも敏感でなければならない。
火のないところに煙はたたない、噂にも必ず何かしらの情報が含まれているわけだ。
机にもどり、エルサは紙を広げる。
「さて、何が書かれているのやら」
紙には一族で決められた暗号で書かれている。
目を通す。
(お父様もたまにはいい情報を送ってくれる)
いつもはどこどこの貴族の金銭事情が危ういとか、どこどこの貴族の長男とどこどこの貴族の長女が婚約を結んだといったエルサにとってはどうでもいい情報ばかりである。
今日書かれていた内容は、教室から突然連れ出されたアリスについてであった。
手紙によると、今日は王城で王党派の近しい者だけが集められ、ある人物の国王との謁見があったそうだ。
ある人物とは当然アリスである。
謁見を許された理由も書かれていた。
(先日の王都の危機にて魔物、竜退治と多大なる尽力。って、竜だけじゃなくて外で魔物も倒してたの!?)
父からの情報によると、今は広場で寝そべっている竜退治以外にも魔物討伐に協力して獅子奮迅の活躍をしていたようだ。
(最後にアリスは剣聖の称号を与えられた、と。はい!?)
何分、梟の脚に結べる紙のスペースは限られている。
さらっとアリスが剣聖の称号が与えられたと書かれていた。
簡潔に結論だけが箇条書きだ。
剣聖とはエルサの記憶が正しければ、ここ百年空位であったはずの称号である。
(魔術がすごいのは知ってたけど、剣もなの?
授業でその片鱗は見てたけど、ほんとすごい!)
エルサが持っているアリスの印象は、ちょっと恥ずかしがりやなアニエスの妹であり、友達である。
身近な活躍に素直に喜ぶ。
そして、紙の最後に目を通す。
エルサの口から溜息が漏れた。
アリスに近づけ。
父の筆は最後にそう記していた。
エルサの気持ちは沈む。
(ほんと嫌な役)
入学前に言われた父の言葉に従い、王立学校で耳にした噂も実家に定期的に送っている。
運よく入学初日にアニエスの方からエルサは声を掛けられたが、エルサも元々アニエスに近づくつもりであった。
エルサの父から入学する前に言われていたことは「アニエス様と親しくなり情報を寄こせ」だ。
今では自然とアニエスと話し、仲良くすることができているが、アニエスと会話した他愛ない会話の一部は実家に「情報」として送っている。
(実家の指示でアニエスに近づいたって知られたら、嫌われるだろうな……)
エルサにとって、それが一番怖い。
学校で話す前のアニエスはエルサにとって手の届かない位置にいる人であった。
容姿も相まって、常にキラキラと輝く世界の住人。
でも、全然違った。
普通の一人の女の子。
アニエスはアリスのことを妹のように可愛がり、自分がお姉ちゃんであると主張するが。
王城で大事に大事に育てられたためか、エルサから見ればアニエスもどこか抜けており、アニエスは少し年の近い妹みたいなものと今は考えていた。
今日も少しからかってみたが可愛らしい反応だったとエルサは思い返す。
(お父様に言われなくても、すでにアリスちゃんとは仲いいですよーだ)
読み終わった紙をたたむと、エルサは魔術で燃やした。
ちょうどその時。
部屋の扉がノックされた。
(こんな時間に誰だろう?)
エルサは訝しみながら扉を開ける。
「エルザァ、アリスがででいっちゃった」
ぐすんぐすんとしゃっくりを上げながら。
エルサは来訪者を驚いた顔で見る。
普段の綺麗な顔が台無しになったアニエスであった。
◇
立ち話をするような雰囲気でもないので、エルサはアニエスを部屋に招き入れる。
ハンカチでぐちゃぐちゃになった顔を拭ってやった。
エルサはアニエスが落ち着くのを暫く待った。
少し落ち着いたのを見計らい、エルサはアニエスに改めて事情を尋ねる。
「で、こんな時間に。泣きながら。何があったの?」
「エルサ、アリスがでで……ひぐぅ」
泣き止んだかと思ったら、またアニエスの目元に涙がたまり始める。
エルサは新しいハンカチで目元をぬぐってやる。
一枚目のハンカチはもうべちゃべちゃだ。
「ほら、泣かない。お姫様が夜に一人で泣きわめいてたって噂がたっちゃうよ」
「べつにいいし」
手のかかる妹だと内心苦笑しながら、エルサは静かにアニエスの言葉を待つ。
再びアニエスがぽつぽつと事情を話し始める。
「私が部屋で、アリスに謝ろうと待ってたの」
「うん、それで」
「でも、いつまでも帰ってこないから……」
じわーっとまた目元に涙がたまってしまう。
すかさずエルサが拭ってやる。
「ほら、泣かない。帰ってこないから、どうしたの?」
「ぐすっ、それで、アリスの部屋に行ったの。
わだしが避けてたがら、部屋にいるがもって……そしたら部屋のにもづがなくなっでたの」
そこまでなんとか話すと、アニエスの涙腺は再び決壊してしまった。
「あー、よしよし」
「わたしが、避けてたから……!
アリス、出て行っちゃった、どうしよう……!」
エルサはアニエスを抱きしめてあげる。
泣き止まない。
(あぁ寝間着が……。お気に入りだったのにとほほ)
アニエスの涙で服もぐちゃぐちゃである。
「アニエス、落ち着いて。
アリスちゃんは何も言わずに出て行ったりするような子じゃないよ」
「で、でもぉ。大事にしていた杖も本も何もなくなってたの……」
「部屋をきれいにしなさいっていわれたから片付けただけじゃない?」
その後もエルサはアニエスが落ち着くまで付き合った。
気付いた時には、夜もだいぶ遅い時間になっていた。
エルサは今日は泊っていくように勧め、アニエスも黙って頷いた。
次の日起きると、エルサはアリスと一緒に学校を出ていった校長に話を聞いてみればと提案してみた。
エルサの提案にアニエスは頷き、すぐ行動に移す。
身支度を整えると、さっそく学校へ向かってしまった。
普通、校長には気軽に会えるものではないが、王族特権でどうにかなるだろう。
エルサも一応情報を集めてみることにした。
手紙で実家に「アリスが学校に来ていない」と書いてみたところ、三日後にエルサのもとに欲しい情報が届けられた。
アリス、王都迷宮にて行方不明。
短く記されていた。
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