第56話 始まる朝
《幽王》が現れて二日が経った。あれ以来、例の旅の芸術神とやらも《幽王》の不穏な動きは見聞きしない。世界を終わらせると言っていたが、同時に少し調節をしなくちゃいけないとも言っていた。それがどれだけの時間を有するのかはわからないが、何もできないまま二日が経ってしまった。
ともあれ、今日も今日で卒業式の練習がある。在校生の練習は少ないが、それでも三度目ともなれば登校が面倒だと思えてならない。それに、俺はそんなことをしている余裕はないというのに。
朝。朝食の用意を済ませた俺は、春の陽気が徐々に現れているせいで寝坊が多くなる麻里奈が起きてくるのを待っていた。テレビを点けて、スマホでニュースを確認しながら異変がないかどうかを調べてみる。しかし、これといって問題はなく、世間は今日も平和なものだ。
一通り調べ終わる頃。俺の背中に温い柔らかいものが伸し掛かった。それは麻里奈だった。
「……起きたなら起きたって言ってくれよ。びっくりするだろ?」
「おはよ~」
遅い……。
朝に弱い麻里奈は春と秋は特に頭の回転が鈍い。こうやって甘えたような行動をするのもそのせいだ。
先日の颯人たちの強襲で、ようやく起きたら服を着るという習性が身についたようで、珍しく上着を着てリビングに現れていた。だが、ずいぶんと大きい服を着ているようでぶかぶかな袖で焼いてから少し経ったトーストに手を伸ばす。
けれど、その手を掴んで麻里奈を注意した。
「服を着るようになったのは嬉しいけどさ。それは俺の制服で。その袖でバターを塗ったトーストを掴むのはやめてくれないか?」
「ほぇ~?」
「ったく……」
別に怒っているわけではないが、来年度から社会人、あるいは大学生になるという女の子がこうもだらしないと呆れてくる。かといってせっかく着てくれた服を脱がすわけにもいかず、仕方ないので袖を折りたたんで綺麗な手を出してやる。
すると、今度こそトーストを食べ始める麻里奈。しかし、俺にのしかかりながら食べるものだから、ポロポロとパンくずが俺の体に降り注ぐ。
「あのなぁ~……」
「ふにゃ?」
「さっさと目を覚ませって。一応俺より年上だろ?」
「にゃ~」
すりすりと頬を擦りつけてくるあたり、未だに夢と現の間にいるのだろう。
こういうところが可愛らしいといえば可愛らしいのだが、どうも男として見られていないようで癪である。だから鼻を掴んでやると、それを嫌がった麻里奈が力ずくに俺の膝に座ってきた。そこで俺は気がついた。
ま、麻里奈のやつ、下を履いてないんじゃないか……!?
薄い生地の長ズボンを履いていたせいで、麻里奈が下を履いていないような感覚が訪れる。咄嗟に退こうとするが、全体重を乗せている麻里奈を持ち上げるには脇に手を回すかしないといけない。けれど、後ろから見るにどうも俺の制服しか着ていないようだ。つまり、麻里奈は今、俺の制服の上着しか身に着けていない……!!
「わ、わかった! 俺が悪かった! だから退け! 麻里奈? 麻里奈さん!? あのぉう!?」
「うるさぁ~い」
こいつ、もう起きてやがる。完全におめめパッチリだぞ!?
いつから麻里奈が完全に起きていたのかはわからない。だが、俺が慌てふためく姿を見て笑っているに違いない。もしもそうだとしても、全てを受け入れた俺は何かを言えるたちではない。というより、俺としては女の子の柔らかさを感じられて、本当は少し嬉しい。
けれどせめてものやり返しとして、食べる邪魔にならない程度に麻里奈の肩くらいまで伸びている綺麗な髪の毛先を触る。そうすると、それが存分に効いたようで、麻里奈が嫌がった。
「ぞ、ゾワゾワするからやめて……」
「じゃあ俺の膝から退いてくれない?」
「……だって、椅子冷たいんだもん」
確かに、リビングにある椅子はソファを除けば木製のものでクッションなんかも乗せていないため、直接ひんやりとした感覚が襲うだろう。だからといって、俺の膝の上でご飯を食べていいというわけでなく、そもそもズボンを履くなりすればいいだけの話で。
なんだと言い訳を続ける麻里奈は一向に退かないため、そのまま髪や首元を撫でる。そこが麻里奈の弱点であるのは幼馴染であるゆえよく知っていた。
うなりながら嫌がる麻里奈が俺の方をうるうるとした目で見つめている。
「やめてぇ……」
「……………………はぁ。わかったよ。ほら、ほっぺについてるぞ?」
言うなり、手近にあったティッシュで麻里奈の頬についたバターを拭き取ってやると、麻里奈は再びゆっくりと朝食を食べ始める。ご機嫌な麻里奈は鼻歌を交えつつご飯を食べていた。
特に麻里奈は重くもない。だから、とんでもなく退いてほしいわけではないが、俺の胴体を背もたれにしているものだから非常に邪魔なのだ。かといって許可した以上、やっぱり退いてくれと言えば麻里奈は激怒して下手をしたら一ヶ月以上拗ねる。それはそれでめんどくさいのでここは我慢することにした。
それから約十分ほどして朝食を食べ終わった麻里奈が俺の上から退いた。満足したような麻里奈がそのままリビングを後にする。少ししてシャワーの音が聞こえてきたから、きっとシャワーを浴びるのだろう。
全く自分勝手な幼馴染であるが、それを慣れきっている俺はとんでもなくどうしようもないのだろう。
「そろそろクロエたちも起こさないとな……」
麻里奈が居なくなったことで、未だに眠っていると思われるクロエたちを起こして朝食を食べさせなくてはならないことを思い出して腰を上げる。
その矢先、俺のスマホに一本の電話が入る。
「……誰だ?」
普段なら麻里奈くらいしか電話をかけてくる人はいない。ごくごく稀に両親から電話が来るが、ろくなものじゃない。けれど、今回俺のスマホの画面に浮かんでいるのはそのどちらでもなく、登録されていない電話番号だった。
先日のことがあるため、何か良からぬ輩からの電話ではないかと思い、恐る恐るスマホにかかってきた電話に出る。
「………………はい?」
「遅ぇ。電話には一瞬で出ろ」
電話先で聞こえたのは颯人の声だった。いろいろと文句が出そうになるが、どうして俺の番号を知っているのかが気になった。
「なんで颯人が俺の番号を……?」
「高校には個人の携帯番号くらいあるだろ。そこから拝借した」
「プライバシーもへったくれもないな、おい……」
ホント、そういうとこだぞ高校。勝手に携帯番号を教えるんじゃありません。俺みたいに迷惑を被る人が多々いるんだぞ。
「んなことはどうでもいい。おい
「は? 一体どういう――」
「説明はあとでする。いいから早く来い」
そこで通話は強制的に切られた。わけがわからないまま呆然と立ち尽くす。
プライバシーの侵害をどうでもいいと言わしめる颯人に憤りを感じつつ、焦ったような口調が聞き取れたので、朝食のときとは別の嫌な予感が過る。スマホをテーブルに置くと、すぐに俺は動き始めた。
シャワーを浴びている麻里奈に電話があったことをドアの前で叫ぶと、すぐに支度すると返事が来た。可哀想に思えたが、眠っているクロエたちを起こし訳を説明して着替えさせた。聞いているかどうか微妙だが、虚空に向けてタナトスに話しかけるが姿を見せないあたりついてこないつもりだろうか。
とにかく、急いで俺自身も支度を済ませると、玄関を出た先でみんなを待とうと外に出る。
すると、空には衝撃な光景が広がっていたのだ。
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