第45話 保健室のその後

 御門恭介が退室していった保健室には、黒崎颯人と黒崎由美が残り、保健室の主である望月養護教諭は疲れたと言って早々に退散してしまっていた。そのため、保健室では静かな時間が流れていた。ただ、望月養護教諭が颯人のために空気の入れ替えも兼ねて窓を開けていったおかげか、環境音は確かに聞こえてきていた。


 そんな中、颯人は保健室に漂う気配を感じ取り、それが誰のものなのかの検討がついていたからか、その者の名前を唱える。


「何の用だ、死神」

「気配は消していたつもりだけれど、よくもまあ僕を見つけられるものだね」

「テメェは、その薄ら笑いを隠すところからやり直せ」

「はっはっは。それは無理な話だよ。これは僕の性分だからね」


 などと言って、どこかへ消えていたタナトスが姿を表す。しかも、いつも以上にいやらしい笑みは健在である。むしろ、弱り切っている颯人を見つめて嘲笑っているのではないかとさえも思わせる。

 しかし、何かをしそうなタナトスを前にして、颯人は警戒すらしないでいた。なぜなら、タナトスが自分を殺さないという確信を持っていたからである。


 颯人とタナトスは旧知の仲である。それも十年や二十年の仲ではない。

 神は全ての時間軸・・・・・・において知識を共有している。つまり、颯人が救うことができなかった全ての時間の知識を颯人と同じく所持しているということである。ただし、颯人のそれは記憶としてであるが、タナトスのそれは断片的な知識としてであるため、その在り方はまた違うのだが。


 颯人にとっての過去の世界で、颯人は神ヌアザに《銀の右腕アガートラム》を賜った際、タナトスと出会っていた。そして、そこでタナトスの気まぐれで手助けや嫌がらせの数々を受けたことがあった。


「今回の世界でのテメェのおもちゃはあいつってわけか」

「ん? 何のことかな?」

「白々しい。テメェの言葉はいつだってそうだ。だから信用できない」

「まあ、信用してほしいと思ってないから仕方ないじゃないか。それにしても、今日の君はよく話す。なにか良い事でもあったのかい?」

「良い事……」


 ついさっき、この世界での初めての敗北を得たばかりの颯人に嫌味のように言ったタナトスだったが、次の反応に多少は驚きを覚えた。


「ああ、そうだな。とてもいい時間を過ごした」

「……驚いた。ほんとだよ?」

「そうだろうな。俺も驚いてるところだ」


 なにせ、黒崎颯人の敗北はイコール世界の終わりというのが常識であった。それを覆した御門恭介は現状では世界の終わりには直結し得ない。なぜなら、御門恭介には神埼麻里奈という守るべき存在がいるからだ。そういうこともあり、今回の戦いは颯人にとって久しぶりに気兼ねなく本気で戦える相手だったと言えるだろう。


 だが、タナトスは腑に落ちないというふうだった。

 その理由は、次のタナトスの言葉に込められている。


「君は本気を出・・・・していなかった・・・・・・・だろう?」


 一秒の定義を改定する世界矛盾右翼の天使。神ヌアザから賜った希望の一撃を放つ《銀の右腕》。この二つだけでも神を殺すのに圧倒するほどの強さを誇るというのに、他にも颯人には力が存在するというタナトス。そして、それを無言で認めた颯人に、タナトスはもう一度訪ねる。


「手加減でもしてたのかな?」

「んなわけねぇだろ」


 その質問に、即座に否定を入れる颯人。

 では、なぜ。そういうタナトスに、颯人は呆れたように息を吐いてから告げる。


「あの戦いはアイツが世界の敵でないとわかった瞬間に、俺たち個人の戦いに変わったんだ」

「だとしたら?」

「俺たち個人の戦いなら、てめぇの力で勝たなきゃ、そいつは嘘になっちまう。だから俺は、俺の力で、俺が出せる全力でアイツに勝ちに行った。……もしかしたら、その上で負けたから、いい気分なのかもな」


 そういう颯人は、タナトスの答えを待たず、側で看病している由美に声を掛ける。


「姉ちゃん。喉が渇いた」

「え? えっと、お水が良いかな?」

「いや、ブラックコーヒーが飲みたい。買ってきてくれないか?」

「……もう、人使いが荒いなぁ」


 文句を言いつつも、かわいい義弟の頼みを断れない由美は、保健室から少し距離がある場所へとご指定のブラックコーヒーを買いに保健室を出ていく。

 そうして、二人となった颯人とタナトス。颯人は寝かせていた体を起こし、にらみつけるようにタナトスを見る。

 タナトスは由美を追い出した理由に少し宛があるようで、口を開く。


「それで? 義姉を追い出してまで聞きたい事は何かな?」

「追い出したとはずいぶんな物言いだな。少し込み入った話をするから席を外してもらっただけだろ。それよりもだ。お前一体、何を企んでやがる?」

「さっぱりわからない話だね」

「神埼生徒会長のお気に入りだとしても、民間人に変わりないアイツを巻き込んで、何をしようっていうんだ?」

「それこそ君には関係ない話だろう? ああ、そうとも。君には・・・関係のない話さ」


 タナトスは黒崎颯人個人に関係の話だという。それを颯人は、世界の存亡に関係ない話だと捉えると、たしかに自分が深入りする必要のない話だと考えた。

 しかし、御門恭介は自分が生かした命である。そのため、その後のことが少し気になったのだが、どうにもタナトスは口を割りそうにない。こういうとき、タナトスが頑なであることを知っている颯人は、疲労もあって、そうそうに諦めてしまった。


「俺に関係ないなら、別に構わない。ただな、死神。最後にひとつだけ教えろ」

「いいだろう。その質問はできうる限り答えるとしよう」

「お前は、どっち側なんだ?」


 御門恭介を支援する側か、あるいは別の組織の側なのか。返事次第では、ここで決別を意味する質問だが、薄ら笑いを見せるタナトスは怪しげに言うのだ。


「もちろん――さ」


 瞬間的に風が吹く。そのせいでタナトスの言葉が遮られたが、本人は二度は言わないという顔だ。

 風が起きたのは、ブラックコーヒーを買ってきた由美が、保健室のドアを開けたため、風が勢いよく抜けていったのだ。由美も予想外の風で小さな悲鳴を上げたが、髪を押さえながら入室してきた。

 由美の入室とほぼ同時にタナトスの姿は見えなくなっている。気配も、もはや保健室には感じられない。恭介の家か、どこぞへ消えたのだろうと颯人は瞳を閉じる。そして、由美からブラックコーヒーを受け取り、小さく笑うとつぶやくように言った。


「……胡散臭いやつだ」

「え、ごめん。嫌いなメーカーだった?」

「いいや。あの死神の話だよ。こいつは好きなメーカーだ」

「そっか、よかった」


 そうして、由美が再び定位置に座ると、颯人は壁に背を当てて楽な体勢で缶コーヒーを開封する。一口それを飲み込むと、深く息を吐いて、コーヒーの香りを纏う。

 再び静かな時間が戻ってくると、朝日が保健室の中に忍び込んでくるのに気がついた。由美がカーテンを締めると、それが眠る合図だと理解して、颯人が由美に腕を伸ばした。果たして、颯人の腕の中で寝息を立て始める由美を優しく撫でた。


「前途多難だな。まあ、英雄の道ってのはそういうものだ。せいぜい、飲み込まれないように気をつけるんだな」


 ここにはいない人物に向けて、そう忠告した颯人。

 かくいう恭介は今頃、人目のない公園で幼女とキスをしているわけで、そうとは知らない颯人は由美の頭を肩に乗せ、自分は由美の頭に頬をつけるようにもう一眠りを始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る