第39話 右翼の天使
片翼をはためかせて、颯人は堂々とした立ち姿でいた。しかし、俺にはどうにもその姿が物悲しげに見えてしまう。片翼では空へは羽ばたけない。まるで颯人は、大空を切望して一歩も動けない鳥になってしまったかのよう。現状を守ることで精一杯で、身動きの取れない鳥は、今もなお、ともに歩む片翼を探しているのだ。
哀れだな、颯人。俺よりも長生きしているはずなのに、未だに答えが得られないのか。
一歩、また一歩と俺は前進する。もちろん、颯人と戦うためだ。本当の本当に本気を出したらしい颯人に、勝ち目があるのかと言えば、試してみなくてはわからない。けれど、俺は颯人と違って、やる前から諦めたりはしない。決して、障害を壊すだけの人生にはしない。
「行くぞ、颯人」
「よーいどんで始まるような戦いじゃないだろ、これは。来るなら来いよ、テメェを殺して、俺は俺の正しさを証明するだけだ」
歩みの速度は上がっていく。やがて、それは走りに変わって地面を駆る。右拳を振りかぶり、思いっきり振り抜いた。しかし、そこには颯人の姿はいない。一瞬にして、一秒の世界へと潜り回避したのだろう。俺は《終末論》の新たに獲得された
俺の背後へと回り込んだ颯人に合わせて、俺は背後へと振り向き、再び拳を振るう。だが、それも拳ひとつ分で避けられて、俺の懐へと沈んだ颯人の体からとんでもない威力の拳が放たれた。
常人の目で見て、一瞬にも満たない時間で、俺が吹き飛ばされた。実際には数秒の攻防であるが、一秒の定義を崩せない麻里奈やクロエでは、目で追うことは絶対に不可能だ。つまり、クロエや麻里奈、イヴ、奈留の支援も得られない。
手助けを求められないことに加えて、俺はあることに気がついてしまう。一秒の世界で振るった拳が自分の血液で血まみれになっている。攻撃を受けていないのに、だ。
まさか……一秒の世界に対応できるのは目だけなのか……? 体は反応できなくて、無理に動かしてるから、逆にダメージを負ってる……?
これはハンデなんてものではない。自滅もいいところの最悪の手なのではないか。力の差も歴然な上、こっちは攻撃するだけで手傷を負うとなれば、戦いに時間を掛けることは不可能だ。
「……どんなハードコアゲーだよ」
「諦めろ。見たところ、《完全統率世界》を完璧に扱えるわけじゃないんだろう?」
「はっ。こちとら回復力だけが取り柄らしくてな。諦めるにはまだ早いってやつさ」
言う通り、さきほど颯人に攻撃された腹部はとっくに回復している。右手に関しても、回復が完了しつつある。ゾンビアタックではないが、気絶さえしなければ負けることはない。でも、勝てる見込みも先程の攻防で失った。
どうする……。一体どうすれば、この戦いを終わらせられる……!?
焦る俺に考える余裕はなかった。再び一秒の世界に潜った颯人を追いかけるため、自分の体が破滅することをわかっていても《終末論》で《完全統率世界》を再現する他ない。けれど、さらに早くなった颯人の動きについていけず、俺は簡単に頬を弾かれる。
さっきよりも早い……一秒の定義を伸ばしたのか? だとしたら、俺もそれに合わせないと……。
しかし、一秒の定義を引き伸ばすということは、さらに早くなった世界の中で動かなくてはいけないということだ。勉強がおろそかな俺でも、一秒の定義を引き伸ばした世界で動くことがどれだけの被害を生み出すかは直感でわかった。まず間違いなく、先程の傷ではすまないだろう。
というよりも颯人の目的はきっとそれだ。俺に自滅させて、負けを認めさせたいんだ。
決して、弱音を吐くつもりはないが、これは少しまずいかもしれない。
現実に戻った颯人が、傷だらけになった俺を見てあざ笑うように言う。
「どうしたどうした。俺はまだ傷一つないぞ。対してお前は……控えめに言っても死にかけだな?」
「い、言ってろ……勝負は、ここからだっつーの」
言ってはみたが、正直お手上げだ。傷は治るが、勝機は遠のく。颯人の速度に追いつけるが、その代償に心が折れる。初めからわかっていたことだが、颯人はえげつないほどに強い。俺なんか、到底勝てるはずがないと、その行動の全てが語っている。何をとっても圧倒されている。
俺に、こいつが倒せるのか? 主義主張も、俺を倒そうとする颯人の行動も、何もかもが正しい颯人に、俺が勝てる見込みがあるのか。
必死に隠してきた思いが吹き出す。それは徐々に体を沈め、戦意を刈り取っていく。やがて、俺の体の動きが鈍くなる。脳天を殴られ意識が霞む。その度に、心の底で眠ってもいいんじゃないかと囁きかける自分がいた。
颯人の攻撃は止まない。むしろ悪化するように棒立ちの俺を殴り続ける。どうにかしてそれを止めようとするイヴや奈留だが、横やりの尽くを《右翼の天使》によって一秒の世界に潜ってかい
ゾンビアタックをしたところで、攻略法のない戦闘では無駄死と同義だ。所詮、俺はただの高校生で、颯人から見れば遊び相手にすらならないサンドバックでしかない。
ああ、そうだ。俺に正しさなんて何一つない。俺が欲しかったのは、麻里奈がいる日常で、イヴや奈留がいる日々だ。女の子に囲まれるというリア充の生活だったはずだ。決して、
サンドバックのごとく殴られ続けた俺は、血を吐き出しながらその場に倒れそうになる。だが、回復速度が早いのと、心の奥底で倒れることを拒否したかのように、俺の体は心とは正反対に強情で倒れなかった。
その様子を見ていた颯人は、拍手をし始め、本当に褒めるように謂う。
「見事だ。俺と戦って、ここまで生きてたやつも、諦めの悪いやつもいなかった。本当にお前は面白いやつだよ。……認めよう。お前は強い。だが、相手が悪かった。相手が神なら……あるいは他の最強であれば勝機は十分あっただろう。でも、俺が相手ならそれはない。そう
ああ、これはどうやらまだ奥の手があるっぽい言い方だな。俺が本気だと思っていた颯人はまだまだ全然力を出していなかったのか。
参った。正直なところ、これ以上強くなるなら、俺はもう無理だ。いや、それ以前に、今の状態でも勝ち目が無いんですけどね……。
回復速度が早いと言っても、颯人の攻撃を受けすぎた俺は、倒れないだけで動ける力が残されていなかった。それをわかっているらしい颯人は、右翼をはためかせた。何をするのかと思えば、颯人はご丁寧にも説明をつけてくれた。
「もう終わらせよう。肉片すら残さずに木っ端微塵に吹き飛ばす。俺の持てる全身全力を以て、お前の時間を停止させる。恨むなら、自分の弱さを恨め。お前は結局、何も守れはしなかった」
右翼が颯人の手に巻き付き、神々しい右腕に変わる。さながらそれは、神が下す最大級の神罰が如く。触れれば、言葉の通り肉片すら残さないだろう迫力を放つ右腕を構えて、颯人は言う。
「これが俺の本来の力。人として過ごした最初で最後の世界で契約した、神ヌアザから受け取った全てを救う希望の右腕、《
とうとう、奥の手っぽいのが発動された。これは防げない。神罰どころか、神の戯れを防げるほどの余力はもうないのだから。結局、俺はここまでのようだ。
全てを諦めた俺に、全てを終わらせる鐘を叩こうと颯人が地面を駆ける。迫る颯人が《銀の右腕》を振りかぶった。最後くらい格好良くしていようと、俺は動かなかった。結末を受け入れる。そういう面持ちで待ち構えると、颯人の右腕は俺の前で停められた。
唐突に晴れた空から極大の雷が降り注いだ。それが、颯人の振り抜いた右腕に直撃して拮抗する。本来なら直撃した瞬間に雷は霧散、あるいは地面へ流れていくはずなのに、その雷は異様にも長時間眩く光を放っていた。
果たして、雷撃と《銀の右腕》のせめぎ合いが始まり、颯人は雄叫びを上げる。
「う、おおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」
雷撃が消され、爆音が鼓膜を破るかのように雪崩のように聞こえる。けれど、雷撃を打ち消すのに大半のエネルギーを使ったような颯人は大きく肩で息をしながら、俺の方を睨む。
「俺の《銀の右腕》を打ち消した……だと……? ニャロウ、まだ戦えるってか」
動けない俺の前に、女の子の後ろ姿が映る。雷撃、しかも神罰級の《銀の右腕》を打ち消すほどの雷を唐突に打ち出せる人物など、俺は一人しかいない。
「いい加減にしてください」
「奈留……」
「はい主様、私ですが何か?」
奈留は俺の方を見なかったが、俺を守ろうとしているのはわかった。颯人も、その存在を忘れていただけあって驚きを見せていた。そして、もうひとり。俺の前に立ち、俺の傷ついた右腕を取る女の子がいた。
「イヴ……」
微かに硬直した場で、イヴは何を言おうかを迷っているように見えた。
それでも傷ついた俺の体を見て、悲しそうにするイヴは意を決したように口を開く。
「ますたぁ」
その手の温もりを感じて、いつの間にか俺の中で巣食っていた悪感情は消えていた。
戦場に一陣の風が吹く。果たして、イヴが出した答えは俺の心を震え上がらせることとなる。
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