第33話 星天の下
どこから俺の連絡先を手に入れたのか、黒崎颯人のメッセージはその日のうちにやってきた。内容としては簡潔としていて、戦いの日時と場所のみを伝える内容だけが送られてきた。それについて気になることと言えば、戦いまでに四日ほどの時間が存在することだろうか。
しかし、現状では到底手も足も出ない俺からすれば、この時間はとても貴重なものとなるに違いない。黒崎颯人が俺に譲歩を与えたとは考えにくいため、きっと私事による時間設定なのだろう。四日という成長するにはあまりにも短い時間の中で、俺は黒崎颯人と同等以上にならなくてはならないわけである。
黒崎颯人との戦いについての情報を麻里奈ほかみんなに伝えると、麻里奈は確認したいことがあると自宅へ帰っていき、カンナカムイもそれについていくように家から消え去った。タナトスは自分勝手なものでいつの間にかいなくなっており、残されたのは俺の家に居候しているイヴと
夜も更け、明日も普通の学業が待ち構えている。今夜は早々に眠りにつきたいものであるが、何がどこにあるのかもわからないクロエにこの家について説明しなくてはいけないという仕事を思い出した。
「そう言えば、クロエは朝シャン派か? 夜風呂派か?」
「え? あ、あさしゃん……よるぶろ……?」
「あー。朝にシャワーを浴びるか、夜に湯船に浸かるかを聞いたんだ」
どうも言葉の壁というか、時間の壁というか、言いたいことが伝わらなかったクロエにもう一度質問をすると、クロエは自分自身を思い出すように
それにしても、幼女に見えても、中身は1700歳を超える老女だとは。とても考えられない事実だ……というか、信じたくない事実である。とにかく、仕草が小さい子供のそれなのだ。声のトーンは言わずもがな。多少思うことがあるとすれば、今の子供にでも通じる言葉が通じないときがあるくらいだろうか。それも、箱入り娘だと言えばそれでおしまいになってしまうレベル。
本当に、こんな子が世界を震撼させた大量殺人犯だというのだろうか。気になる。気になるが、それを聞くことはできない。教えてくれるはずもないだろうし、もし教えてもらったとして全面肯定なんてされた日には目も当てられない。
クロエに関して色々と考えることはあるが、今回の件についても少し疑問に思うことがある。黒崎颯人との一件が終わり次第、俺はそちらを調べる必要がありそうだ。
などと、すでに黒崎颯人との戦いの後のことを考え始めていた俺に、ようやく決めたクロエが目を見て答える。
「アタシ、目覚めたのが一週間以内だし、最後に眠らされたのが多分百数年前だから、現代の生活についてよくわからないの」
「……つまり?」
「アタシをおふろ……? ってやつに入れてよ」
「……へ? いやいやいや……はい?」
「だから、おふろ? に入れてってば」
それは流石に常識がなさすぎというものだ。しかも、相手は見た目が幼女のご高齢だ。風呂に異性と入るのがおかしいことくらいわかっているはず……。見れば、クロエの顔には小悪魔みたいな笑みが。明らかにわかって言っていることを知ると、俺は小さく息を吐いて。
「よし。入るか」
「え、ちょ、ちょっと!?」
「ん? どうした?」
Tシャツを脱ぎ捨て上半身が裸になる。そのタイミングでクロエが顔を赤くして止めに入った。どうも俺に悪戯を仕掛けたかったようだが、残念だったな。週三以上のペースで起きたら裸の美少女がいたり、冗談で済まされない悪戯を高頻度で仕掛けてくる神様と過ごしているんだ。もう小悪魔程度の悪戯で、俺は動揺したりしないぜっ。
勝ち誇るように笑みを見せつけるが、それが裏目に出たようだ。負けず嫌いだったようなクロエも、負けずと服を脱ぎ捨てた。耳までほんのりと赤くなっていて、小刻みに震える肩が恥ずかしさを象徴していた。
そんなに恥ずかしいならやめればいいのに、と思いながら、俺はこれ以上クロエに恥をかかせるわけにもいかないと脱ぎ捨てたTシャツを拾い上げた。
「冗談だよ。奈留を呼んでくるから、一緒に入ってこいよ」
「そ、そう……ふぅ」
安堵の息が聞こえる。でも、それに一々ツッコミはしなかった。
クロエと奈留が風呂に入っている間、俺は一人ベランダに出ていた。空には雲ひとつ無い星天が広がっている。凍るような風が吹くが、お構いなしに本日何杯目かわからない淹れたてのコーヒーに口をつける。
すると、そこにタナトスの姿が現れた。
「よう。どうした?」
「別に、どうということはないさ。ただ、君の話し相手にでもなろうかと思っただけだよ」
「そりゃずいぶんと気前がいいじゃないか。良いことでもあったのか?」
「言っただろう? どうということはないさ」
本当に掴みどころのないやつだ。思えば、出会ったときからタナトスには困らされることばかりだった。全部が全部こいつが仕掛けたことではないにしても、裏では大体を把握しているように思わせるタナトスが、不気味に思えなくもない。
しかし、恨むに恨めないのだ。弱み云々ではなく、人柄……タナトスの場合は神柄というべきか、それがとてもいい。人生で一人はできる悪友に近い。
そんな変な神様に向かって、俺は訪ねる。
「俺に黒崎颯人の正義をねじ伏せる事ができると思うか?」
「全く」
「だよなぁ……」
わかっていたことではあったが、こうも真正面から言われると自信というものがなくなる。雷神を倒した。龍神を倒した。人ならざる力を手に入れた。それでも黒崎颯人には手も足も出る気がしない。当たり前だ。相手は俺の何百倍も生きながら、不老不死と渡り合ってきたというのだから。
俺に勝ち目があるとすれば、それは黒崎颯人が自ら敗北を認めたときしかないだろう。
果たして、黒崎颯人が敗北を認めるにはどんな条件が必要だろう。
俺が先行きの不安に駆られていると、クスクスと笑いながらタナトスがふと呟いた。
「でも、君にも彼に勝らずとも劣らないものがあるだろう?」
「なんだよ、それ?」
「正義の心さ。君の掲げた正義は、彼が携える正義と同等だ。正義の矛先が違うというだけでね」
「正義の心でどうにかなるなら、俺はこんなに困ってないっての……」
実際問題、黒崎颯人を打倒するのに、正義の心など必要ないのだ。クロエを守るには、そして俺自身を守るには黒崎颯人を倒す以外に道はない。しかし、残り四日という猶予で大きく成長するには、あまりにも時間が足りない。
八方塞がりの現状で、熱いコーヒーだけが脳を活性化させる。
何を心配することがあると言いたげなタナトスは、俺の目の前を舞う。脳天気なタナトスを見ながら、俺はもう一つ訪ねた。
「俺が倒されたら、困るのはお前も同じだろ?」
「そうだね」
「じゃあ、助けようとかそういう考えは無いのかよ?」
「ないよ。そもそも、その必要がない」
「……は? 勝てない相手を前にした俺に、助けが必要ないってどういうことだ?」
「知りたければ
未来視。そのまま、未来を見ることができる能力だ。だが、それは数秒先の話であって、四日後の未来など……見られるはずがないと、一体誰が言ったのだ?
俺はカンナカムイの戦いで未来視が数秒先の未来しか見えないと思っていた。でも、それは数秒先の未来が見たいと思っていたからだ。そもそも、数秒先の未来が見えるだけであれば、それは予測視と何が違うというのだ。未来視というのだから、その時間に限りはないはず。
「……じゃあ?」
「もちろん、タダで見られるとは考えられないけれどね。でも、そんなに気になるなら視てみればいい。君が負けるのか、彼が負けるのか。一体、正義がどちらの手にあるのかを」
「お前は勝敗を知ってるみたいだけど?」
「知らないよ。全く知らない。ただわかるのさ。未来なんて見なくても、君と彼の戦いの勝敗がね」
「わかる……?」
頷いて、タナトスは俺を指さして三日月の如く口が釣り上がる。
悪魔も逃げ出すような笑みのまま、タナトスの言葉は俺へと届く。
「君は、僕たち神々を戒める機械。人の身を捨てた機械仕掛けの神。どういう形であったとしても、勝利を得ることを確定された存在だ。だから、
まるで、お前が勝つことが当たり前みたいに聞こえるのだが。今回は勝てないから困ってるんですよね、俺。
そんなこと聞いてないと言うように、タナトスは答えを求めた。俺に、その荷を担げるかの意思確認だった。乗りかけの船だ。終着港は依然伺えない。どこへ連れて行かれるのかもわかったものじゃない。それでも、俺は頷いた。理由など、考えるまでもない。
「常勝の化け物なら、勝たなくちゃな。正直、世界に選ばれたとかそういう難しい話より、よっぽどわかりやすい」
「そうそう。そうでなくちゃ君じゃない。なに、簡単さ。カンナカムイとの戦いと同じだよ。大敵が目の前にいる。君から奪おうとする敵がいる。なら君は――? いつもの君ならどうする?」
「……勝てば良いんだろ。どんなに惨めでも、どれほど格好悪くても」
そうだと言いたげだ。わかってるじゃないかと笑みが漏れている。嫌味にも程がある。無理にも限度というものがある。けれど、俺はすでにその無理を乗り越えてしまっていた。
勝ち目の戦い。圧倒的格差。でもそれはもう、カンナカムイという神との戦いで、俺はそれを経験している。一度できたことが、二度目にできないなどありえない。
自分の不安が吹っ切れた。すごく癪だがお礼の一つでもしようかとタナトスに向けて口を開くが、瞬きほどの時間でタナトスの姿が消えていた。
神出鬼没な悪戯神は、俺にお礼の一つもさせてはくれないらしい。いや、礼は勝利で示せってことなのかもしれない。
見れば、ちょうどコーヒーが無くなっていた。家の中からクロエの声も聞こえる。頃合いだと思い、俺は凍えるほど寒い外から、温かい家の中へと入っていく。
ふと、左目に痛みを感じたが、きっとそれは気の所為だろう。
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