第2話 人生で初めて死にました

 麻里奈の裸を記憶したその日は、特になにもない平凡な日だった。朝から幼馴染の裸を堪能し、美味しい朝食を食べ、学校へは遅刻せず、友人と語らい、そして夕方へ。何一つとして特筆すべきことはない日だった。

 ただし、帰り道にあんなものに出会わなければ、の話になるが。


 部活動に勤しまない帰宅部は、早々に家へと直帰する。麻里奈を待つとしても、麻里奈の帰りの時間が遅いため、その間の時間が暇になってしまう。暇な時間を学校で過ごすより、家で有意義に過ごしたいと思うのは、男子学生ならではのものだろう。とくに、俺みたいに家に両親がいない男子学生からすればなおさらだ。

 もちろん、麻里奈が待っていてほしいと言えば、待っているが、今日はそういうのも言われなかったので、特別待つ理由もなかったので帰ったのだ。


 その帰り道、俺は珍しくいつもの道ではなく、少しだけ近道を通って帰っていた。よほど早く帰りたいと思っていたのだろう。今日という日に近道を選んでしまった。そしてそこで、俺は妙な匂いを感じてしまったのだ。


「……なんだ、この匂い? 焦げ臭いというか、なんというか……」


 家の近くの公園を突っ切ることで近道になるのだが、その途中で、肉の焦げるような匂いがするのだ。普段はこういった匂いは全くしない。今日だけが特別なのだが、どうもおかしい。

 この公園では、焚き火は愚か、煙草すらも禁止されている火気厳禁の公園だ。だと言うのに、焦げ臭いというのは不可解だ。


 気になって、臭いを辿っていく。すると、匂いの元には、一人の男性と、その傍らに横たわる炭のように真っ黒な何かがあった。炭のようなものから煙のようなものが出ているため、きっと臭いのもとは炭のようなものだろうと踏んで、俺は林に隠れて様子を伺っていた。


 高そうな黒いスーツを着込んだ男性は、口に煙草を咥えて一服しているようだ。よく焦げ臭さがきついところで煙草なんか吸っていられるなと思ったが、それ以上に公園でのルールでは火気厳禁なはずなのを思い出して、こんな大人にはなりたくないと感じた。

 やがて、煙草を吸い終わった男性は、横たわっている炭を蹴る。そうすると、炭はゴロンと重量を感じさせる転がりを見せてからひっくり返った。


 そして、俺は理解する。理解したが最後、口を抑えて息を殺す。ひっくり返った炭は、ただの炭ではなかった。全長百七十センチから百八十センチはあるかと思われる炭。その正体は、形から観て多分人間。どうやら俺は人間の焼けたものの匂いをおってきたようだった。


「……っ!」


 思い返せばひどい匂いだ。肉を焦がしたような匂いを詳しくは知らなかったからなんとも言えないが、まさか人が焼けるとこんなにも不快な匂いを発するなんて思いもしない。

 加えれば、そんな死体の横に立って煙草を吸っている男性は、一体誰なのだろう。殺人犯? そう言えば、巷で噂の殺人が今朝方ニュースでやっていたような気がする。もしかして、あの男性が犯人なのか?

 そうじゃなかったとしても、あの男性は普通ではない。まず間違いなく異常者だと思われる。故に、見つかってはならない。犯人だろうと、異常者であろうと、ただの高校生である俺が見つかれば、絶対的に命が危ない。


 静かに。本当に静かな最小限の動きでこの場から逃げようとする。しかし、隠れた場所が悪かった。俺がいるのは林。最悪なことに林には、手入れされたあとに残された枝がいくつも落ちていた。そして、俺はそれを見事に踏んでしまい、体重で枝が折れて音が鳴る。

 やばいと思ったときにはすでに遅く。男性が俺の方に視線を向けていた。


「おい。そこに誰かいるのか」

「……」


 声を殺す。小動物か何かと間違えたのだと思ってもらえれば御の字。もしも、こちらに近づかれたら一巻の終わり。生死の境とは、きっと今のことを言うのだろう。

 ともかく、ここは聞き間違いだと思ってほしい。

 が――。


「誰か居るんだろう? 緊張で鼓動が早くなってるぞ」

「……」


 駄目だった。人間の鼓動が聞こえるなんて、一体どういう耳をしているんだ。異常者じゃなくて、超人なのではないだろうか。ふざけているのもつかの間、男性のイラつきに俺は気がついた。

 こうして、俺は姿を見せざるを得なくなった。このまま隠れ続けて、変に刺激するよりは、さっさと姿を見せたほうが少しはマシな結果になるのではないかという小さな期待を込めた。


 林から出ると、男性は俺のことを見て、残念そうに息を吐く。本当に残念なのは俺の方だ。こんなことに巻き込まれることになるなんて……。

 しかし、俺の不幸はここでは終わらなかった。


「なあ、お前。これが何かわかるか?」


 そう言って、男性が横たわる人間の炭を蹴る。

 俺は、ちょっと何言ってるかわからないぜベイベーという風に肩を竦めて見せたが、どう見ても男性をさらに苛つかせただけだった。


「え……っと。死体、ですか」

「そうだ……ああ、そうだとも。これは人間の死体だ」

「その、それはここに落ちていたんですか? ほら、近頃物騒な事件が増えてるって聞きますし?」

「違うな。これは俺が作った死体だ。ちょっと喧嘩を売られたんでな。つい、殺っちまった」


 つい!? ちょっとこの人、今ついって言いました!? 人殺しをつい殺っちまったぜなんて、語尾にキラーンなんていう効果音が突きそうな言い方で言った!?

 殺人犯なんて、大抵は真面目な人がカッとなってやったか、あるいは異常者が面白半分にやったかの2つくらいしか無い。今回に至って言えば、前者にあたるらしい。


 でも、言い方からして少しはマトモな人っぽくてよかった。

 俺は、安堵の息を吐いて、男性に向かって自首を勧めるように口を開こうとする。が、しかし。


「だから、お前も死んでくれないか?」

「……ごめん、ちょっと何言ってるかわからないんですが」

「だからだな。俺がつい殺っちまった死体を、他のやつに見られたままにはできないんだ」

「に、日本には、自首という刑をある程度軽くしてくれる制度がありましてですね! つまり、俺がここで死ぬ必要はまったくない気がするんですが!」

「違う違う。日本とかいう国のルールは関係ない。お前に生きていられると、天界での俺の立場が危うくなるって話だ」


 天界? 立場? 一体、この男性は何の話をしているんだ?


 わけのわからないことを言われ、理解する暇もなく、俺は男性が人差し指と親指を伸ばして作られた指鉄砲を向けられた。そして、何がどうなっているのかわからないままに、男性の指から青白い龍が放たれる。それは、一瞬にして俺の心臓を貫き、俺の体に電流を流し込む。

 龍の正体は雷のような電撃だったのだ。どういう理屈で男性が指から電撃を放つことができるのかは不明だが、少なくとも俺の命はここで終わりを迎えるようだった。


 白い煙が体中から漏れる。電撃によるショックで体が痙攣している。その様子を見て、男性は仕事を終えたと言わんばかりにこの場から立ち去っていった。

 全身が痛い。指一本も動かせない。死んでいてもおかしくない電撃を受けたのに、死なないどころか、意識を失わないなど、一体どうなっているのだろう。死んでしまうほどの激痛に意識を摩耗させながら、俺は目の前を見続けた。


 助けてほしい。死にたくない。でも、痛いのはもう嫌だ。


 考えるのはそんなことばかり。果たして、俺の目の前に一人の少年が立つ。


「やあ、僕はタナトス。今風に言うなら死の神様さ。ねぇ、ところで君、僕と一緒に世界征服でもしてみないかい?」


 ニッコリと笑う少年は、宙に浮いている時点で普通ではないと、混乱する頭でも理解することができた。

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