第3話 仮説
その仮説とは、まず、人魚は人間とかけ離れた存在ではない、という事である。
我々が襲われた人魚は、下半身を覆う膜さえなければ、人間の女とほとんど区別がつかない形態をしていた。従って、生物学的特徴も、人間のそれをある程度適用できるはずである。
生息区域としては、あまり冷たい海には適応できないと考えられる。もし、冷たい海に適応するのなら、分厚い皮下脂肪か、毛が必要なはずだからである。赤道からプラスマイナス30度の範囲。南太平洋付近を一応の目安とする。
だが、もしかすると、人魚は暖流によって回遊する性質を持っているかもしれない。北大西洋海流にのれば、伝説の地デンマーク付近にまでやってくることは可能だからである。いや、いけない。今は各地に残る伝説を、私の追い求める人魚と結びつけてはならないのだった。私が追っている人魚が、世界中に流布している人魚伝説に当てはまらなくてはならない理由はないのだ。
さらに、あれらは、海中での生活に適応しつつあるが、それは人間としての特徴が消える程、長い年月を経たものではない事がわかる。
私が追う人魚は、我々、ホモ=サピエンスの段階を確実に踏まえている。というよりも、ホモ=サピエンスそのものなのである。地上での生活に適応した身体を、再び、水中用に変化させつつある過程なのだ。我々地上人と人魚との分岐点はずっと近代になってから、いや、その変化は骨格的にはせいぜい、一世代百年で可能な範疇に過ぎない。
現代人の体力の低下、姿勢が悪くなった、体格がよくなった、などの統計が、三十年ほどで更新されていくことを考えれば、体格的な違いはその程度しかないのである。
人魚は、雑食性である。
肉を食い、卵を食い、海藻を食う。
コミュニケーションの手段としての言語は失っている。
視力は低く、耳と鼻とが鋭敏となる。骨格的な変化に比して、器官的な変化の度合いは大きい。
第一に、呼吸の問題。第二に塩分濃度の調整法。第三に、生殖出産方法。
これらは、実際に解剖してみるよりほかに実証する方法は無い。肺呼吸のみでは説明のつかない水中運動能力。日本には海女という職業の女性があり、彼女たちは訓練によって水中で五分以上活動できる。血液中に酸素を有効に取り込み、しかも無駄なく使用するスキームが確立しているからである。また、素潜りの世界では超人的な記録を打ち立てる者もいる。計算上では水圧で押しつぶされるはずの人体が、無事生還する事実は、人の身体の驚くべき(再)適用能力を示唆している。海中を生活圏に選んだ人間が、短期間でどのような能力を獲得するかは、未知数である。
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