ハッピー・クリスマス・イン・アーリー・サマー(長編)

南雲 千歳(なぐも ちとせ)

序章 『クリスマスと縁遠い男子は、クリスマス女子に翻弄される』

第1話 『 クリスマスと縁遠い男子は、クリスマス女子に翻弄される』

「はあ? 『クリスマスと縁遠いもの』に付いて、その内容をまとめてレポートで提出し、教室で発表する!?」 

 県立東浜高校に通う3年の男子生徒の俺、こと成海隆一なるみりゅういちは、同級生である有栖川ありすがわすみれの口から聞いたそのが耳を疑うような言葉に、思わずそう聞き返した。

 この女子生徒、有栖川ありすがわすみれは、県立東浜ひがしはま高校で俺のクラスメートでもあり、今年の4月からこの学校に転入して来た帰国子女である。

 更に、彼女は俺と同じ推理小説研究部に入っている部活の仲間であり、更には、俺が3年の春から始めたバイト先の仲間と言うか職場の先輩であり、そこの指揮命令系統の中では、一応、俺の上司でもある。

 つまりは、有栖川は幼馴染の松原奈々美と同様、この俺とは学校生活ばかりで無く普段の生活でも顔を合わせる事の多い、そんな複雑なポジションにいる奴だ。

 6時限目が終わってしばらく時間が経とうと言うこの校舎の廊下には、殆ど人気ひとけは無く、放課後の校庭で活動している運動部の連中の出す大小様々な音が聞こえて来る他は、ほぼ静まり返っている状況である。

 そんな中ではからずも発せられた俺の大声は、騒がしさの中心とは無縁でありたい俺自身の願いとは裏腹に、どこかしらでとどまる事など無く、廊下の隅々にまで響き渡って仕舞ったようだ。

「あ……。急に大きな声を出して、済まん」

 そんな風に謝る俺に対し、有栖川の方はと言えば、そのそこそこ目鼻立ちの整った顔に浮かべている笑みを絶やさず、こう応える。

「あははっ。今回の研究課題のテーマが意外で、驚いちゃったかな?」

 ああ、本当に意外だ。

 意外過ぎるぐらいだぞ?

「ま、まあな……。って言うか、その『クリスマスと縁遠いもの』って、それ、本当に俺達のグループに与えられたテーマなのか?」

「うん。そうなるかなあ……」

「そうか、マジでか……」

 そんな困った調子で途方に暮れる俺を見て、有栖川の浮かべられた笑みが更に増す。

 俺は廊下に立ったまま、しばし思案した挙句、念の為に、追加でこうただして見る事にした。

「なあ、有栖川ありすがわ。所で、そのクリスマスと言う語にくっついている『縁遠いもの』って、何なんだ? それって、単なる『クリスマス』の聞き間違いじゃ無いのか?」

 すると、有栖川は即、

「うーん、違うなあ」

 と返事を寄越して来る。

「それじゃ、課題のテーマは、『クリスマス』に付いてじゃ無くて、『クリスマスと縁遠いもの』に付いてで合ってるって事か……」

 すると、有栖川は再び笑いを浮かべ、怪訝けげんに問い掛けるそんな俺の疑問に答えたのであった。

「うん。そうなるかなあ」

「マジか。なら、いんだが……」

 その事の一体何が良いのだか自分でもさっぱり分から無かったが、とりあえずの流れで俺はそう言った。

 すると、有栖川はそんな俺の様子を見て、何故だかは知ら無いが、その顔をほころばせてこう返して来る。

「うん。マジ、マジッ」

 この反応に、俺は深々とした溜息を吐いた。 

 ……全く、これからその課題をこなす為に色々と大変な苦労をするかも知れ無いと言うのに、お前は他人ひとを見て、良くそんな嬉しそうな顔が出来るな?

 これが一体どう言う状況なのだか、本当に分かっているのか?


 俺はそんな楽し気な有栖川の様子に若干のイラ立ちを覚えつつ──。

 平日の授業の後でほどほどに疲れており、更に、これまでに聞いた事も無い様なグループ・ワークの研究課題のテーマに混乱してぼんやりとしている自分の頭にムチを打ち、考えを巡らせ始めた──。



 それは6月の終わり。

 丁度、プール授業が開始された初夏の頃。

 何だかんだで過ぎ去って行った高校生活最後の3年生の第1学期の春が完全に終了し、袖を通したばかりの制服の夏服もようやく板に付いて来たそんな頃の、る日の放課後の事であった。

 俺こと成海隆一は、自分の部活、つまりこの県立東浜高校の歴史の中で最も新しい文化部である、推理小説研究部、略して推小研すいしょうけんの部室に行く為、学校の校舎内を歩いていた。

 今は授業も終わったので、各教室の窓の向こうに見える校庭には、そこで部活をしている運動部の生徒達の姿がちらほら見える。

 そんな風に部室に向かっている時に俺の頭にあったのは、特別授業で月に1度ほど行う、例のグループ・ワークの課題の件だった。


 この東浜高では、我が校独自の教育の一環として、グループ・ワークと呼ばれる、クラス内の少人数で班を組んで与えられた研究課題の研究活動をし、先生とクラス全員の前でその結果を発表するカリキュラムが存在している。

 4~5名程度の生徒達で組織的行動を取り、一定の成果を出すと言う、一種の体験学習だ。

 そのグループ・ワークにおいて、俺達のグループが今回『クリスマスと縁遠いもの』に付いて研究し、来週の水曜日6時限目に発表する──。

 これまでに出された事のあるテーマ内容は、かなり具体的なものだったので、そうした過去の経緯からすれば、それはにわかかには信じ難い話ではある。

 が、しかし、今の有栖川の言葉を否定するべき証拠は、単にそれを俺個人が信じられ無いと感じていると言う事以外、皆無かいむなのも確かであった。


 くだんの特別授業は、毎週水曜日の最後の時限である、6時限目に予定されている。

 時間割を見て見れば、その水曜6時限目の箇所にはLHRロング・ホームルームと記載されており、本来ならば、その時間はクラスでの話し合いなど、朝の始業前や放課後直前の帰りのHRの時間には出来無い、何がしかのクラス全体で行うべき用事をこなす為の時限だ。

 そう、本来ならば。


 しかし、この東浜高の様な普通の公立高校で普通の高校生として学生生活を送っている限り、そう毎週の様に学園祭などの催し物を決める議論を行う必要があったり、合唱コンクールの練習をしたりす事が必要な事態はまず無いので──。

 ……常日頃つねひごろの場合、そのLHRロング・ホームルームの時間は、特別授業と称して、日本語字幕の付いた英語音声の洋画を見たり、近くの海岸に出て行ってそこにいる生物の観察をしたりと言った、通常授業では出来無い、或いはそれを補うような教育内容を補完する授業に置き換わるのがつねなのだった。


 そして最近の事。

 俺が3年生に上がってすぐくらいの頃だが、そんなLHRロング・ホームルームに行っている特別授業の一環として、月に1回、クラス内の4人ほどの人数でグループを組み、その時々で違う各科目の担当の先生から出された課題の研究をこなす新たなカリキュラムが、新たに導入される運びとなった。

 そう、その新たなカリキュラムこそが、前述のグループ・ワークなのである。

 グループ・ワークで行う研究活動においては、生とはこれまでの様に、ただ受動的に授業を受けていれば良いのでは無く、所定の成果を挙げる為に、自ら積極的に動いていく必要がある。


 各グループには、次の週の特別授業を担当する先生から、その1週間ほど前に、研究すべき課題となるテーマが与えられる。

 グループ内のメンバーで、そのテーマに付いて共同研究を行い、指定された期日までに──多くは発表の前日に当たる火曜日の放課後だが──レポートを提出し、課題を出した先生がその授業を担当する次のLHRロング・ホームルームの時間、自分のクラスの壇上に立ち、テーマに沿って研究した内容の発表を行わなければならない。


 そんなグループ・ワークの成績結果は、個人の授業態度や定期試験の成績を評価するこれまでの授業形式とは違って、各グループ単位で評価される。

 グループを構成しているおよそ4人のメンバーそれぞれの細かい貢献度などは、全く評価の対象では無く、成績は全てそのグループ単位で査定されるのである。

 発表の前に提出するレポートの出来と、クラスでの発表結果は、全てそのグループの連帯責任とされるので、グループ・メンバーはその各自の成績の評価において一蓮托生いちれんたくしょうの関係性を持つ。

 そんな具合なので、通り一遍の授業をそこそこ意欲的かつ真面目に受けて、テストで点を取っていさえすれば良い通常の授業とは全く異なり、望ましい成績を得る為には、各グループとも、それなりに良い研究結果をレポートとして出し、発表出来る様、努力せねばなら無い。

 特に、クラスメート全員の前でプレゼンテーションを行う、教室での研究結果の発表は、各グループの個性が出易く、各グループの構成メンバーの持っている実力が真に試される場なので、注意が必要だ。

 レポートの内容がそこそこでも、声が小さいとか図表が全く用意されてい無いなど、発表の仕方が悪かったりすれば、高い評価を得る事は出来無い。

 要するに、内容の充実したレポートの提出は勿論の事、発表の前にきちんとプレゼン用の資料を用意して、クラスメートと先生を前に、分かり易くその要点を説明し無ければ、駄目なのである。

 良く頑張っていたグループは、黒板にチョークでグラフを描いたり、図面を用意してそれなりの発表をするものだが、反対に全く力を入れていなかったグループは、提出されたレポートの厚みも薄く、発表も貧相かつ悲惨そのもので、各グループのメンバーは、そこでまさに自らの天国と地獄を見る事になる。

 そんなクラス内発表の出来の良し悪しは、クラスメートの誰の目にも明らかなだけに、成績は個人情報なので誰がどんな評価を受けているのかこそおおっぴらにはされ無いものの、その発表中に派手な失敗をするなどすれば──それに対する成績の評価を気にするかは人によるとしても、その張本人は、それから数日の間は面白おかしい噂話の主人公として話題の寵児ちょうじとなって仕舞う為、非常に恥ずかしく、かつ、いたたまれ無い思いをする事になるのである。

 そんなクラスでの発表後に担当の先生方から各グループに返される評定の差も、極めてあからさまだ。

 更に、場合によっては、発表の時間までにレポートの中身が完成しておらず、再提出を求められる場合がある。

 発表の期日にレポートの提出が間に合わ無かったと言うのは、要するに、テストで言えば赤点を取った事と同じであり、後日の再提出は言わば追試の一種な訳だから、遅れて提出したその完成したレポートの出来が幾ら素晴らしいものであったとしても、学校側の付ける成績の評価としては、かなりの減点がなされる事は言うまでも無い。

 つまり、グループ・ワークは、自分や他のメンバーの能力やその時に発揮出来た頑張りがどの程度であれ、レポートとその発表で全てが決まると言う、非常に実践的でシビアな教育カリキュラムなのであった──。


 ……以上が、この地方の公立高校である県立東浜高等学校が、生徒の自主性を重視した教育活動と称して独自に実施している、グループ・ワークの説明である。

 テーマの研究その物に付いては、通常授業で出される宿題と同様、放課後や休み時間、それでも時間が足り無い場合には学校が休みの日にもわざわざ集まってそれをやらばならず、面倒なので、とりあえず一通りこなして置けば良いかと言うグループが現状では大半だ。

 単に宿題をきちんとやって提出したり、定期試験で点を取るのみならず、こうした学校独自の特別授業に置いても高い内申点を獲得して、国公立大学への学校推薦枠を獲得したいこの俺に取っては、そんな周囲の状況は、実に好都合な事である。

 だが、これは大学や短大、その他の教育機関への進学希望者の多い、俺の所属する3年6組だけに言えるかも知れ無いが、俺の様に優れた成績評価の獲得、若しくは体育祭や合唱コンクールの様な生徒同士の競争を好み、そのグループ・マッチへの参加を目的として、或いは純粋な学問的興味から、妙にやる気のある上位グループがクラス内にも2、3存在している。

 そして、それらはお互い、明確に競っている。

 そう言う意味では、このカリキュラムは全く、グループ対抗の優れた成績争奪戦ゲームと言えるだろう。


 先月、つまり今年の5月は、数学の教科の先生がそのグループ・ワーク授業を担当しており、俺は他3人のクラスメート達と、一応それらしい程度の研究をしてレポートにまとめ、発表もそれなりに上手くやる事が出来た。

 何しろ、後でグループに返って来た評定には、クラス内では1番出来が良かったとまで書かれていたからな。


 しかし、6月も終わりになろうと言うこの時期、今回のグループ・ワークの課題として与えられる研究テーマは、先月行われた前回の発表の成果を踏まえて、各グループごとに個別に与えられる事になっていた。

 そんな具合なので、放課後、俺は同じ学校に通っている1年生の妹に少し用事があった俺は、今日の放課後に担当の先生から下達かたつされると言うその課題の内容を、同じ課題グループの一員である有栖川すみれに聞いて来て貰う事にしたのである。

 そうして貰い、妹の教室から部室に向かっている途中で彼女と合流した結果──俺は、その難易度としては、前回に出された『数学に関する研究で、高校までの授業で習う範囲よりも高度なもの』を遥かに超えるその抽象的な研究テーマに頭を悩ませながら、部室へと向かっていると言うざまなのであった。


 確かに、俺達のグループは先月、5月に出された課題で、先生からの評価として、堂々の1番を獲得する事が出来た。

 だが、そのせいか今回、俺達のグループに与えられた課題の内容は、前回よりも難易度がぐっと上がっているので、上手くまとめて発表する事が、課題を知ったばかりの俺には酷く難しいように思える。

 幾ら考えを巡らせても、来週水曜の6限目に大勢のクラスメートを前に発表し無ければなら無いであろうそのレポートの具体的な内容が、さっぱり浮かんで来無いのである。


 ……全く、何てこった。

 クリスマスと縁遠いものとか、そんな変な課題を与えた、学校では変わり者で有名な自分のクラスの社会科を担当する教師の事を恨めしく思いつつ、心の中でそう悪態を吐く。

 頭を悩ませても、これと言った物は何も思い付かなかったので、俺はようやく、隣を歩いている有栖川との会話を再開する事にした。

「……で、さっきのグループ・ワークの話の続きだなんが、良いか?」

「うんうんっ」

 有栖川は、そこで待ってましたとばかりに、興味津々の笑顔で頷く。

「それにしても、今度の研究発表のテーマは、クリスマスと縁遠いものか……」

「そうなるなあ」

「まあ、分かり易いと言えば、分かり易いテーマだが……。しかし、それって何だか、えらい抽象的なテーマだよな?」

 すると、そのテーマを聞いて来た本人である有栖川、思い悩む事など何ひとつ無い様な様子で、こう答える。

「あはっ、それはそうかも知れ無いなあ。成海君には、もっと具体的なテーマの方が良かったかな?」

 有栖川はそう言い、閑散かんさんとした放課後の校舎内の廊下を意気揚々いきようようと歩を進める。

「ああ、そうだな。全くだ。武田の騎馬軍団に付いてとか、流行はやりのスマートフォン・アプリに付いてとか、そう言う具体的なものの方が、よっぽど発表内容の出来上がりが想像し易いしな。クリスマスでと縁遠いものなんて色々あるから、その具体的なテーマ選びに、迷って仕舞いそうだ。これはまず、具体的な研究対象の選定からして、かなり時間が掛かりそうだぞ?」

「そっかな? クリスマスと縁遠いものと言う事なら、基本的にはどんな物を研究テーマに選んでも許される訳だから、むしろ、楽なんじゃ無いかなあ?」

 そんな、あっけらかんとした調子の有栖川に、俺は顔をしかめて答える。

「いや、それは逆だろ。……なあ、有栖川。お前って、料理はした事あるよな?」

 俺の問い掛けに、有栖川は何故だかは知ら無いが、若干自慢げな笑顔で答える。

「それは、勿論もちろんっ。無論の事だけどなあ」

「じゃあ、これから俺が言う事も、少しは分かるんじゃ無いか。例えば、これから誰かの為に、自分自身で何品かの料理を作らなければならないとする」

「うんうん」

「そこで問題になるのが、料理を提供する相手の食の好みや、腹のき具合だ。単に『料理を作れ』って言われただけだと、そうした調理に当たって必要な情報が、全く無いから、どうしたら良いのかが分から無いじゃないか」

「そうだなあ……」

「分量にしたって、フルコースなのか一品料理だけで良いのかが分から無ければ、食べる側と提供する側とのミスマッチが起こる。そんなミスマッチで、分量を多く、或いは少なく作り過ぎたり、アレルギーや思想信条や好みの違いで苦手な物を作ったりしたら、調理の手間も材料も無駄になる。そうなったら、それは市場の失敗だ。限りある資源の配分が、全く合理的リーズナブルじゃ無いな」

 この俺の話に、有栖川は、

「成海君は、エコロジストなんだなあ……」

 などと妙な感心を述べる。

「俺は無駄な事が嫌いなだけだ。地球環境の保全とか絶滅危惧種の保護とか、そんなのには、あまり、関心は無いぞ?」

「近々ある学校のボランティア活動には協力して貰えそうに無くて、残念だなあ……」

「あ? ボランティア活動? そんなのがあるのか……。まあ、そいつは後で検討して置くから、帰ったらメールでもしてくれ」

「うん。明後日あさっての早朝6時に実施するから、是非、前向きに検討して欲しいな」

「それって、有栖川が入ってる放送委員会と、関係あるのか?」

「特に無いけど、前のクラスで知り合った子との付き合いがなあ……」

「そっち関係か。まあ、善処はしてみるが……朝6時だと、ちょっと時間が早いな。期待しないでおいてくれ」

「うん、分かったかな」

「……と言う訳で、料理を作る側に取っては、良く作って貰う側の言うその『何でも良い』って言う台詞と言うか注文が、1番困るんだ。材料を揃えて実際の調理に取り掛かる前に、色々と考えなければなら無い事が山ほどあるからな。その人が直前に何を食べたのかとか、ピーマンは嫌いかとか、季節の物が良いのかとか……後はそうだな、その日の天気とか気温とか、アレルギーは無いかとか、まあ、そんな風に色々だ。要するに、その人が何が食べたいのかが分から無いと、そうやっていちいち、相手と会話したり、自分で頭を使いながら、これから作る料理の献立こんだてを慎重に考えないとなら無いだろう」

「それはそうかもなあ」

「だったら、最初からカレーだとかパスタとか、食べたい物の種類を具体的に言ってくれた方が、面倒が無いし、お互いに楽だろ? 肉が良かったとか魚が嫌いだとか、そう言うミスマッチも発生し無いしな」

「ああ、なるほど。確かに、それはあるかもなあ。私も友達に本やゲームを貸して欲しいって言われた時に、一体どんなものが良いか分から無くて、悩む時があるからなあ」

 そう言って、有栖川は笑いを浮かべる。

「まあ、確かに、そう言ったシチュエーションも似たようなもんだな」

 うんうんと有栖川は頷きながら、こう答えた。

「それで、さっきの成海君の肉と魚の話だけど──。それなら、両方作れば良いんじゃ無いかな?」

「は?」

「だから、相手の食の好みが分から無いのなら、両方作って出せば良いんじゃ無いかな?」

「それで、分量はどうするんだ」

「分量も、足り無い事が無いように、少し多めに作れば良いんじゃ無いかな? ほら、大は小を兼ねるって言うからなあ……」

 微笑みながらそう言う有栖川の、その平均よりは一回りほど大きい胸元が何故かムカ付いた俺は、そこを絶対に見無いように用心しながら、この意見に反論する。

「それが許される状況なら良いんだがな。それは随分と勿体もったいい話だぞ? 農作物も海洋資源も調理に必要なエネルギーも、無尽蔵むじんぞうじゃ無いんだ。相手の都合も分からず、肉料理と魚料理を多めに用意するとか、そんな事をして食べる相手が菜食主義者ベジタリアンだったり、肉と魚アレルギーだったらどうする? アレルギー体質だったら? フランス料理のフルコースだと、サラダとデザート以外の全部が、全て無駄だ。つーか、それのどこが経済的なんだ。有栖川、お前、さっきした俺の話、ちゃんと聞いてたか? そうやって料理を作る側を、生ゴミ製造機にするなっ」

「あはっ、これは失敬だったかなっ。ちょっとした冗談の積もりだったんだけどなあ」

「ああ、そうか。ならいが……。兎に角、そう言うのは極力、最初から詳しく具体的にして貰った方が、お互いに効率が良いんだ」

「そうだなあ……」


 そして俺は、グループワークの課題のテーマに話を戻す。

「……さて、困ったな。今回のグループ・ワークで、『クリスマスと縁遠いもの』とか言う抽象的なテーマで、どのグループもバラバラなテーマを独自に選んで研究活動をするとなると……。今回は一体、何を研究テーマに選べば俺達のグループが上位が取れるのか、分から無いぞ?」

「それって、そこまで考えなきゃ行け無い事なのかなあ……?」

「当然だっ。沢山あるクリスマスと縁遠いものの中から、適当にテーマとなる研究対象を選んで、どうしてそのテーマが上位を取れると分かる? 今の段階では、俺はそんな確信は持てないな。俺達のグループがヒラメに付いて調べて、他のグループがキカレイに付いて調べていたとか、そんな似た様なテーマのかぶり何てものが発生すれば、それは最悪だ」

 有栖川はちょっと困った様な顔をしながら少し黙り、それからようやく、こう切り出した。

「うーん、じゃあ、他のグループに探りを入れて見るとかは、どうかなあ?」

「は? それって要するに、まず最初に他グループをスパイして、俺達はそれを超えるようなテーマを考え出して研究しようって事か?」

「うんうん」

 俺はこの有栖川のひねり出した、優れた成績を上げたい俺に取っては妙に蠱惑こわく的な提案に、善と悪のあいだはさまれて若干迷った挙句──。

 あからさまに怪訝な顔で、その提案を否定する事にした。

「……いや、流石に今回、そこまではし無くて良いんじゃ無いか? そんなクラスメートを裏切る様な事を考えて、良く平気だな?」

 全く、お前は自分のクラスメートを何だと思っているんだ?

 踏み台か?

 良い成績を取る為の捨て石か?

かなしいけど、これって競争だからなあ」

 そこで、俺は廊下の真ん中に立ち止まって、この有栖川の、学校の成績に対する、オポチュニティーに溢れた機会主義的な考え方を、正しい方向に矯正して置く事にした。

 もしそんな提案が、これから向かう推小研の部室で待つ奈々美の耳にでも入ったら、奴はこの有栖川と結託して、今の提案通りの事を本当にやりかね無いからな。

「おいおい、先月に続いて今回も上位に食い込む為とは言え、そんな密偵みたいな真似は、幾らなんでもアンフェアだろ? 今回、クラス内の全グループがあらかじめ自分達の研究テーマを公表しているってのなら兎も角だ。俺達のグループだけ、そんな卑怯事ひきょうごとをして他のグループを出し抜いたとすると、仮にそれで上位の成績を取る事に成功したとしても、後でクラスのみんなから総スカンを食うのは、火を見るよりも明らかだぞ?」

「そうかなあ?」

「そうだっ。明らかな不正行為であるカンニングほどでは無いにしてもだ。何らかの非難を受ける事は、必至ひっしだろうな。第一、もしこの俺が他所よそのグループからそうされたとしたら、これはどう考えてもその件に付いて、良い印象なんてものは持て無いしな。と言う訳で、その他のグループに探りを入れるとか、そう言うのは絶対に無しだっ」

 もしかすると、有栖川が留学していた先のイギリスでは、グローバル教育とか何とかで、そう言うやり方をしても別に非難され無かったのかも知れ無いがな、生憎あいにくと、ここは日本だ。

 そう言う自分達だけ周囲を利用してのし上がる様な、波風の立つアンフェアな真似はするべきじゃあ無いと言う事を、厳に教えて置かねばなるまい。

 すると、俺に続いて立ち止まっていた有栖川は、俺の話に納得したのか、こう言った。

「うーん……自分で言い出して置いて何だけど、私もそれに賛成かな。クラス全員に謝罪する為に、教室にある黒板の前の壇上で土下座するとか、そう言う公開処刑みたいな事になるのは嫌だからなあ」

「俺だって、そんな地獄絵図、遠慮したいのは同じだっ」

「あはっ、気が合うなあ……。それじゃあ、私達はどうしたら良いのかなっ?」

 俺は先程から自分の頭の中で思案していた事を、そこで少し口に出す事にした。

「なら、カエルとか消しゴムとか、そう言う色々な事物では無く、クリスマスと縁遠いものと言う抽象概念その物をテーマに、研究活動を進めるのはどうだ? 俺達のグループにクリスマスと縁遠いものと言うテーマが与えられたと言う事は、複数ある他のグループの内、少なくとも1つのグループは『クリスマスに関係するもの』とか、あるいは、クリスマスそれ自体をテーマとして与えられた可能性がある」

「なるほど……。成海君は実に鋭いなあ。確かに、他のグループに出されたテーマの状況としては、私の観測も同様かな」

 なら、話は早い。

「所で、一応確認しとくが、研究課題のテーマ選びは、『クリスマスと縁遠いもの』そのものを研究対象にするとか、そう言うやり方でも良いのか?」

「その辺は、抜かり無いかなあ。さっき、私もそれを先生に聞いてみたんだけど、先生は『クリスマスと縁遠いもの』も『クリスマスと縁遠いもの』の1つって言うか、要するにイコールで結べる等しい概念だから、問題無いって言ってたけどな? つまり、私達のグループの研究テーマは、クリスマスと≒で無ニアリー・イコールく、かつ、≠な事ノット・イコール物なら、何でも可だと言う事」

「あ? そうなのか? それは、良く聞いて来てくれたな? でかしたぞ」

 流石さすがは有栖川だ。

 こいつが自分のグループのメンバーで無かったら俺は、そいつらが自慢出来る様な学校の授業科目と言えば体育しか無い様な他の2人の面子めんつの頼り無さ、その余りにもの戦力外っぷりから己の置かれている状況を悲観し、そんなかんばしい結果など望むべくも無いグループ・ワーク活動にやる気など出せ無かったかも知れない。

 『クリスマスと縁遠いもの』イコール『クリスマスと縁遠いもの』と言うのは、ごく一般的な普通の論理で考えるならばそうなるが、俺が有栖川から聞いた課題のテーマの詳細はその時点で既に伝聞でんぶんなので、先生がどう言う意味でそれを言ったのかと言う事までは、判然とし無い。

 テーマを与えられたその場で、この有栖川が先生に直接それを聞いて来てくれた事によって、俺達のグループはクリスマスと縁遠い具体的なテーマ選びに関する色々な議論をすっ飛ばし、今の俺の提案がすぐに実行に移せる段階にまで、時間を節約出来たと言う事になる。


 それにしても……。

 さっきから、有栖川は何をそんなに可笑おかしそうに笑っているんだ?

 取るもとりあえず、来週に予定しているLHRロング・ホームルームかんばしい成果を出す為には、どうしても、本日、担当の先生から出された課題となるテーマの、その正確な意味内容を把握して置かねばならないだろう。

 そう思った俺は、ご機嫌な有栖川に再度質問する。

「なあ、有栖川。そのクリスマスと縁遠いものと言う言葉の縁遠いって部分だけどな? 正確な所を言うと、それって、どう言う意味なんだ?」

 有栖川はその俺の質問に対し、即座に明快な回答を投げて来る。

「それは、読んで字の如く、文字通り、縁が遠い、と言う意味なんじゃ無いかな?」

 ──全く、何の説明にもなってい無かったが。

「あ?」

 俺はそんな疑問形を返し、この有栖川の余りにもな循環論法じゅんかんろんぽうの回答に覚えた腹立しさを僅かに語気に交えつつ、その言わんとする所を改めて問いただす。

「いや、だから、それがどう言う意味なのかと言う事を俺は聞いてるんだっ。今回、先生に課題の内容を聞いて来たのは、有栖川、お前だろう。そう言う役目を任されたからには、俺を含めて、グループを組んでいる他の奴に、もう少し課題の内容が分かる様に説明してくれ無いか?」

 全く、俺のクラスには、こう言う風に他人をイラつかせる様な女子しかいないのか?

 兎角とかく、そう言う傾向の高い有栖川や松原に比べれば、1年生の時からずっと一緒のクラスの、真面目で人当たりの柔らかい桧藤朋花ひとうともかが、俺の目には天使にすら思える。

 有栖川は後ろ手を組んで歩き、少し思案した挙句、こう答えた。

「うーん、そうだなあ……。つまり、そこで言う縁遠いって言う言葉の意味は、関連が薄いとか、結び付きが弱いって意味じゃ無いかなあ?」

「ああ、そうか。それなら分かる。お前の言葉の最後が疑問形なのが、俺としては若干、気にはなるんだが……。まあ、普通はそう言う意味だろうから、それはそう捉えて良いだろう」

「それから……後は、人間の性質を表す言葉として、結婚にえんが無い、出会いにとぼしい、などの意味もあるかな。あ、もしかすると、こっちの意味かも知れ無いなあ」

「確かに、そんな意味もありそうだが……。しかし、今回の課題のテーマにある縁遠いと言う言葉の適用解釈としては、結婚とか出会いに乏しいみたいな、そっちの意味の方は、却下だろうな」

「ん? どうしてかなあ?」

「人間の性質がどうとかって言うが、そもそも、クリスマスは人間じゃあ無いだろう。有栖川に対して、今更その由来を説明するのは釈迦しゃか説法せっぽうだろうが、あれは12月の後半、24日のイブから25日に掛けて行われる、聖人の誕生を祝うキリスト教の行事の名称だ」

「日本語だと、降誕祭こうたんさい、とも言うかなあ。単なる生誕や誕生では無く、天から降りて生まれたから降誕」

「そうなのか? まあ、つまり……行事やら日付ひづけと結婚するとか、そんな珍奇ちんきな事をする奴が、幾ら世界広しと言ってもだ、普通に考えて、この世の中に、存在するか?」

「それも、そうだなあ……」

「よって、その課題の文章は、有栖川が最初に言った『クリスマスとの関連性が薄い』と言う方の意味で捉えていはずだ。論理的な事を言えば、そう捉えるしか無いな」

「なるほどなあ……。日付と結婚する人はいない、か。まあ、4月1日と書いて四月一日わたぬきさんとか、12月と書いて十二月しわすさん何て名字みょうじも聞くけど、十二月二十五日と書いてクリスマスさん何て、私も聞いた事無いからあ……。うんうん。じゃあ、私としても、そっちの捉え方で、全く文句無いかなっ」

 有栖川はひたすら上機嫌でそう言う。

 なら、お前が先生から聞いたと言う課題の内容を又聞きしているこの俺を、更に混乱させる様な事を言うな。

「自由に決められる下の名前の方なら、万一、ミス、或いはミスター・クリスマスと言う事も全くあり得無い訳じゃ無いだろうが、上の名前と言うか、姓名の姓の方では、そう言う人は多分、いないだろう」

「そうだなあ……」

「じゃあ、縁遠いと言う言葉の解釈に付いては、それで決まりだ。しかし、クリスマスと関連性が薄い物か。それだと何だかやっぱり、課題のテーマとしては、まだ漠然ばくぜんとしてるな?」

「そうだなあ」

「例えばだ。ここに事物じぶつ……。そうだな、例えば、使い掛けの消しゴムがあったとしよう。で、それと縁遠いと言うか無関係な何て、考え付こうとすれば、それこそ幾らでも考え付けるぞ? 校庭の樹木じゅもくとか、日光とかだ。他にも例えば、バレーボールとかカニカマボコとか、色々沢山あるな。どうせレポートにしてまとめるんだ。俺としては、課題のテーマは、何て言うか……もっと、こう、具体的な物にして行きたいんだが……」

「う~ん、それは、今の段階では、ちょっと、難しいんじゃ無いかな?」

「そうか……。まあ、別にその『クリスマスと縁遠いもの』と言うテーマをそのままでも良いのなら、聞き取りのアンケート調査にして研究活動を済ませて仕舞えば、レポートにして提出する事が出来無い訳じゃ無いが。しかし……困ったな。そんなふんわりしとた、どうとでも捉えられる様な曖昧なテーマじゃ、質問された方も何だかキョトンとして仕舞って、折角アンケートを実施しても、その収穫は実り薄い気がするぞ。そんな事じゃ、俺達のグループが、のちの発表で優位に立つのは難しいんじゃ無いか?」

「成海君は、今度のクラス発表、そんなに勝ちに行きたいかなあ?」

「当然だっ。前回だって、俺達のグループは、クラスで1番を取ったんだからな。俺だって内申点は気にしてるんだ。来週の水曜の発表会までは時間もある事だし、やるからには、とことん突き詰めて、その可能な限り最大の成果を出すべきだろう」

「あははっ。競争心が旺盛おうせいだなあ、成海君は」

 有栖川は、あたかも他人事の様に笑う。

「呑気な奴だな、有栖川は。今の時期、そんな事で良いと思ってるのか?」

 全く、お前も俺と同様、4年制大学を受ける受験生だと言うのに、社会科の特別授業で与えられた課題をないがしろろにして、俺の性格を批評してる場合か?

「なあ、有栖川。何だかいつに無くご機嫌うるわしい所を悪いんだがな? お前も俺と同じ課題グループの一員なら、提出すべき課題に付いては、もっと真剣に取り組むか、そう言う気持ちになれ無ければ、せめて表向きだけでも、ちょっとはそう言う様子を見せてくれ無いか」

「あはは、そんな風に見えたかなあ……? そう言えば、私も君と同じグループだったな。あはっ、これは失敬」

「はぁ……。まさかとは思うが、発表内容を多くの先生方におめ頂いた、先月の事を忘れて仕舞ったんじゃ無いだろうな? お前も都内の名門大学に推薦で入学したいのなら、その入試で見られる内申点を稼ぐ為にも、俺達のグループはこの調子でクラスのトップを走り続けるべきだろう? 頼むから、もう少ししっかりしてくれ」

「ああ、それもそうかもなあ……。今のは、ちょっとした冗談だから、真に受け無いで欲しいな」

「何だ、ジョークか」

 変なタイミングで、冗談とも本気とも付か無い事を言うなっ。

 俺は事の成り行きに安堵し、さっきから止めていた歩を進める事にした。

「さて、成海君がそこまで本気を出す積もりなら、じゃあ、私も、もう少し真剣に取り組んで見ようかなっ。大事なグループ・ワークの研究活動と発表を、とお一遍いっぺんに、適当かつおざなりに済ませて、内申点を低くされるのは、嫌だからなあ」

「なら、最初からそうしてくれ」

「あははっ」

 全く、高校生活は、特に決まった終わり何て無い様な長い人生とは違って、基本的に3年間きっかりしか無いんだぞ?

 そう言う意味では、お前はやる気を出すスタートが遅過ぎる。

 課題も終わっていない内からそんな風なら、権中納言げんちゅうなごんである水戸光圀みとみつくにをモチーフにした旅の一行が登場する、時代劇のオープニング・テーマでも聞いて、そのたるんだ精神に気合いを入れていろ。

 長い人生、重ねて努力をする時がもしあるのなら、それは自分達が来春に大学入試を控えた受験生の身である、この今じゃ無いのか?

 若い時に流さなかった汗は、いつか涙となってその身体から出るんだ。

 俺は目の前の有栖川に強くそう言ってやりたかったが、我慢してその言葉を飲み込む。

 少し前を歩いていた有栖川は、クルリと振り返った。

「じゃあ、グループ・ワークの研究課題に付いては、とりあえず、部室に奈々美もいるだろうし、そこで、テーマを具体的に詰める話でもしよっかな?」

「ああ、俺としては、そうしてくれると大いに助かる。テーマが曖昧なままだと、いつまでもレポートの作成に取り掛かれ無いしな」

 有栖川はうなずく。

「うん、そうだなあ。でも、私としては、さっき成海君が言った様に、『クリスマスと縁遠いもの』、これをそのままテーマとして、アンケート調査をするのも面白いと思ってるんだけどなあ」

「ん? そうか? なら、俺が最初に質問するのは──。有栖川、まずはお前からだっ」

「え? 最初は、私からなのかな?」

 と、有栖川は立ち止まってそう聞く。

「そうだ。アンケート調査をするなら、今、そのリハーサルをして置こう。面倒だから、今、ここで答えてくれ。ああ、他の人にも聞くから、特に考え付か無ければ、適当でも良いぞ?」 

「そうかな? じゃあ、お言葉に甘えて、適当な回答で許して貰おうかな」

「じゃあ、早速さっそく質問だ。クリスマスとは縁遠いものを1つ答えて、それに付いて自分なりに思う事を話してくれ無いか?」

 有栖川はそこで立ち止まり、考え込む。

「うーん、クリスマスと縁遠いものかぁ……。そんなもの、この私にあるのかなあ?」

「おい、最初から適当に回答するな」

「適当って言うか、むしろ真剣に答えたんだけどな」

「ああ? じゃあ、お前は一体何なんだ? 年がら年中、家の中でサンタクロースのコスプレを着て過ごして、暖炉だんろの前に置かれたもみの木の下で生活しているとでも言うのか?」

「いや、そう言う意味じゃあ無くて……。ああ、日本語って難しいなぁ」

「お前は、如何いかにも海外から来たばかりで、まだ日本の事を良く知ら無い留学生か帰国子女の様な事を言うなっ」

「私って、これでも一応、帰国子女なんだけどなあ?」

「ああ、そう言えばそうだったな。だが、俺は以前、お前は中学生の頃まで日本で生まれ育ったと、お前の口から直接聞いた記憶があるんだが、あれは嘘か?」

「いや、それは本当の事何だけどな……。そもそもクリスマスって、12月には世界中で行われるから、必ずしも冬の行事とは限ら無いからなあ……」

「どう言う事だ?」

「うーん……英連邦王国、コモンウェルス・レルムの中でも、カナダとグレナダを除く殆どの国は南半球に属してるから、オーストラリアでクリスマスを迎えた事のある私には、例え今みたいな夏場の時であっても、南半球で過ごしたクリスマスの思い出を語る事が出来るって言うか」

 ユーカリの木の前で、コアラを抱き抱えて笑顔を作っている有栖川の姿が、ありありと脳裏に浮かんで来る。

 全く、有栖川は感心する程、インターナショナルな奴だ。

「ああ、なるほど。そう言う事か。確かに今、夏だしな。海外旅行をした事の無い俺には少々嫌味いやみだが、割と、面白そうな話だ」

「うんうん」

 そう言うと、不意に有栖川は、『ひいらぎかざろう』、英語でDeck the hallsと言う題名の曲を、楽し気に鼻歌で歌い出し、背を向けて歩き出した。

「ラン、ラ、ランラン、ラ、ラ、ラン、ララララ~ラ、ラ、ラ、ラ、ランッ」

 全く、お前は何を楽し気にクリスマス・ソングを歌ってやがるんだ。

 俺とお前は、学校での生活やオフでのバイトで気心きごころの知れた知り合いだからまだ良い。

 だが、しかし、この俺の様な付き合っている彼女などい無い、どちらかと言えばリアじゅうに属する男子生徒の前で、いたずらにそんなふざけた真似をしていると、場合によっては、そいつから逆ギレに近い怒りを買う事があるから注意しろ。

 俺は鼻歌を歌う有栖川の背中を見てそう思うと、何か馬鹿にされている様で妙に腹が立って来たので、自分も歌う事にした。

 普段の授業中ならば、学校の中では絶対にやら無い事だが、校則でも放課後は電話機の自由利用が許されているので、俺はスマートフォンの画面の電源を入れ、楽曲の購入サイトで検索して、その曲と歌詞をダウンロードする事にした。

 俺がそこで見付けたのは、同じ曲のロック・バージョンだ。

 片耳にスマフォに接続したイヤホンを差し、歌い出す。

「Deck the halls with bought of holly、Fa la la la la la、la la la la! Tis the season to by jolly、Fa la la la la la、la la la! Don we now our gay apparel、Fa la la, la la la, la la la~」

 すると、有栖川は可哀想な小動物でも見る様な顔で、こちらを向いた。

「……ああ、成海君。課題研究はちゃんとやる積もりだから、そんなにヤケクソになら無くても、良いんじゃ無いかなあ?」

 俺は歌うのを止め、イヤホンを外す。

「あ? 俺、そう言う風に見えたか?」

「って言うか、それ、途中でDeck the hallsから、パッヘルベルのカノンに成ってるけどなあ……」

 俺は断固として反論する。

「良いんだっ。俺が今ダウンロードした曲はな、元々、そう言うアレンジ何だ。何しろ、曲名の最後に、括弧かっこきでロック・バージョンって書いてあったからな。そのカノンとやらがどんな曲だか知ら無いが、間奏かんそうの部分をクラシックで繋いでいても、曲としてちゃんと出来てるのなら、それはそれで結構な事じゃ無いか」

「ふぅん、そっかなあ。あ、そうだ、半年先のクリスマスには、君のアルバイトのシフトを入れて置こっかな。ああ、これで今年はきっと、これまでに無い楽しいクリスマスになるだろうなあ……」

 そんな事を言いながら、有栖川は朗らかな微笑を浮かべながら再び歩き始める。

 あ?

 何だって?

 クリスマスに、バイト──?

 ……何てこった!

「あ……。なあ、有栖川。その、何だ……。さっきの件だが、済まなかったな?」

「ん? 君は何か、私に謝る様な事をしたのかなあ……?」

「お、おい、そんな事を言わ無いでくれ。俺とお前の仲だよな? 何だ、つれ無いじゃ無いか」

「何だか、良く分から無いなあ……」

「ああ、ええと、そうだな……。済まん。気分良く歌ってた所を邪魔して悪かった。頼むから、先程の俺の非礼な行為を、許してくれ無いか?」

「私は全く怒っていないから、とりあえず、バイトには出てくれるかなあ」

 この初夏の頃に、季節外れなクリスマス気分を味わって楽しんでいた有栖川は、それを邪魔された事で怒り心頭の様である。

 これは、今から土下座して謝った所で遅いんだろうな。

 有栖川は変わらず鼻歌を歌いつつ、廊下を楽し気に歩いて行く。

「なあ、有栖川。頼む! 話を聞いてくれ! そうだ、許してくれるなら、何でもするから」

 ん?

 今、俺、何でもするって言ったか?

 そう聞いた有栖川は立ち止まる。

「ふぅん? 成海君、何でもしてくれるのかあ」

 くそっ、勢い余って、とんでも無い失言をして仕舞った。

 俺はこの立腹中の有栖川が、今しがた言った俺のその言葉を額面通りの意味に受け取って無茶苦茶な事を要求し来無いかどうか不安を感じつつ、次の言葉を待つ。

「さぁて、どうしようかなあ……?」

 彼女はそんな事を言って、ニヤニヤしながら思案する。

「あ、いや。何でもって言うのはな」

 と、俺が言葉のあやを解説し様としたその時。

「じゃあ……。私の気分を害したお詫びとして、イギリスはウェールズ地方の16世紀の歴史に付いて、詳しく話を聞いてくれるかなあ? 後で、電話でも良いから」

 お前は何を言っているんだ。

 そんな話を俺が聞く事に、お前の自己満足以外に何の意味があると言うんだっ?

 しかし、その内容が、今すぐここから飛び降りて死ね、とかじゃ無くて助かった。

「え? お詫びって、そんなんで、良いのか?」

「君が嫌なら良いけど……歴史は、嫌いかなあ?」

「いやっ、歴史は好きだ、大好きだ。お前の言うその16世紀のウェールズ地方に付いて、物凄く興味が湧いて来たぞ! 早く、その話を聞かせてくれ無いか!?」

 窮地きゅうちに陥った俺は、そんな心にも無い台詞を吐いて仕舞う。

 すると、彼女は嬉しそうにこう言う。

「そんなに聞きたいなら、しょうが無いなあっ。じゃあ、私はこの先数日、用事があって忙しいから、アンケートを聞いて回る仕事は、君がやって貰えるかな」

 てか、課題テーマの研究方法って、もうアンケート調査で決まり何だな……。

 しかし、それもまあ良いだろう。

 そこでダレそうになっていた俺は、何とか空元気からげんきを出し、ようやくこう言った。

「ああ、任せてくれ。きっと、満足する調査結果を上げてやるからなっ!?」

「そう。じゃあ、よろしく頼んだかなっ」

 そんな会話をしつつ──ようやく俺達2人は、自分達の所属する推小研の部室の前へと辿り着いた。

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