硝子の殻

琴野 音

それは壁

「私は硝子がらすみたいなものだよ」


深夜。星を沈めたように瞬く学校のプールを背に、淀みのない柔らかな瞳で佐藤 桜花子さかこは笑った。

それを聞いて、僕は二度三度、目を閉じる。“硝子”という表現が言い得て妙だと思うと同時に、どうしても言ってやりたい言葉があったから。


「それは、壁だよね」


決して、彼女はその言葉の意味を分かっていないだろう。でも笑っている。佐藤 桜花子はそういう風に出来ているのだ。

冷たい淵にお尻を置いて星を蹴りながら足を投げ出す彼女は、水面をくるくると回す。その仕草は、お洒落なティーカップを小さなスプーンでくすぐるように悪戯で、そして美しかった。


「ねぇ、くん」


見蕩れていることがバレているのか、センスの欠けらも無い煽りを含みながら僕を呼ぶ。

絶対に返事なんてしてやるもんかと口を固く結び、一応目だけ向けてやる。彼女は真っ直ぐにこちらを見つめ、潤んだ唇をゆっくり動かす。


「帰ろっか」


立ち上がり、僕の隣りを横切る彼女は何もわかっていない。空気に左右されない。他人に左右されない。僕には汚れることのない透明な硝子の壁が見えた。


「やっぱり、壁だ」


後を追わず、別の場所から外に出た。

示し合わすように偶然出会ってしまった僕達は、それから定期的に深夜のプールで巡り会うことになる。

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