伍 出逢い


「……」


東から昇る太陽に、目をすぼめ。

ユウは雲一つない群青色の空を見上げた。

やがて呼吸を二つほど挟むと、軽く被られていたフードの端を摘み、目深にする。



——一年ぶりにまともな物を食べたな。


内心小さく呟いた。

パン一つと、キノコのシチュー。

昨晩の献立だ。

しかし、彼がその舌に味を覚えることは無かった。


別段味を感じなかった訳ではない。

だが、それとこの一年彼が口にしてきた、粗末な、食べ物とすら言えるかも怪しい物——それらとどう差があるのか、彼には理解できなかったのだ。



——魔族は、皆こんな感じなのか…?



小さく考えるが、しかしふと瞳を開けると、溜息を一つ。



——考えても仕方のない事だし、心底どうでもいいな…



声にならない声で、小さくそう呟いたのだった。


早朝、まだまだ人通りの少ない街道のすみ。

そこに建てられた木製の板を見つめる。

そこには、いくつもの模様のような物が描かれていた。


——地図である。

この街の全体像であった。

一番上に記された、“ティミタス”の字を流しながら、図面へと視線を移す。

ユウは、そこへ数秒視線を傾けると、目的地が決まったのか、無言で歩き出した。


「冒険者ギルド…」


小さくそう呟く。


冒険者ギルド——それは、“冒険者”と呼ばれる者達を管理する組織の総称だ。

——彼自身はまだ遭遇していないが、この世界にはモンスターと一括りにされている生物達がいる事を、書物上で確認した。


彼等は個々で様々な生態を持ち、自然の中に生きている。

種類によってその脅威もまた様々だが、いずれにせよこの世界において人類とは必ずしも生物の頂点に君臨するわけではないのだ。


冒険者とは、そのモンスター達を、依頼を受けて討伐、撃退、誘導など、様々な仕事をこなす者達の事だった。

その内容はモンスターに関する事に囚われず、雇われ兵、警備、護衛など…傭兵まがいの活動も行う他、一般人の立ち寄り難い危険地帯に於ける薬草や、その他動植物の採集など、多岐にわたる。


彼らは冒険者管理協会、冒険者ギルドと称される組織が管理、運営しており、この冒険者ギルドに登録を行わなければ冒険者とは呼ばれない。

また、冒険者とは別にモンスターの討伐、撃退、誘導などのみを専門に行う、“狩人かりゅうど”と呼ばれるものも存在する。


そして、ユウは髪の色が落ちない内に、なにかに使えないかとこの、冒険者登録を行おうとしていたのだった。





「……」


冒険者ギルド支部。

その施設に足を踏み入れて早々、鼻をつん裂く様な酒の臭いに、ユウは不快感を露わにした。



……少し、頭がボーッとする…臭いで酔ったのかもな…?

少し頭がボーッとする。



片隅でそう考えながらも、早々に立ち去りたいと、受付へと向かう。


「本日はどの様なご用——ッ!?」


ユウが、目の前まで来たところで挨拶をした受付嬢は彼の瞳に、その目を驚きで丸くした。

しかし、薄暗い青色の髪を見るなりすぐさま頭を下げる。


「も、申し訳ありません!」


「いいや、慣れてる。問題ない。」


「そ、それで本日はどうなされましたか?」


「冒険者登録を行いたい。」


「かしこまりました。少々お待ちください。」


流石プロと言うべきか、赤い瞳はこの世界において、それは顔を見れぬ程に恐ろしいとされる存在のようだが、彼女は何も思わぬ様にまっすぐと彼の目を見てそう言うと、カウンターから一枚の紙を取り出したのだった。


「では、こちらをご記入ください。」


そう言い、渡された羽ペンを持つと、ユウはうろ覚えで自分の名を書いた。

しかし、そこで筆が止まる。


「——代筆いたしましょうか?」


ユウが困っている事にいち早く気がついた受付嬢が優しくそう声をかける。


「——すまない、頼む。」


受付嬢は羽ペンを受け取ると、紙をこちら側に向けた。


「種族はヒュマノ種ハリス族、歳は十七、故郷は…ニホン。」


それを聞き、受付嬢は紙に書き込んでいく。


「ユウ・サキト様で間違いございませんか?」


「ああ。」


「承知しました、それでは——」


受付嬢は再びカウンター下から何かを取り出す。

すると、それをカウンターへと置いた。

それは、一枚の石板と針だった。


「こちらに血を垂らしてください」


その言葉に、ユウは針で指を刺し、そこから溢れた血を一滴、石板の上へと垂らした。

それは小さく光ると、やがて一枚のカードを浮かび上がらせる。

上部に穴の空いたそれに、受付嬢はそこへチェーンを通すと、両手でそれをユウに差し出す。


「こちらが冒険者カードとなっております。依頼での対象の討伐結果や、人数等様々な情報がこちらに記録されます。依頼を受ける際にも提示して頂く必要がございます。また、紛失時の再発行は有料となりますので、ご注意ください。」


その言葉に軽く頷くと、受け取るなりポーチへとしまう。


「冒険者ランクのご説明を致しましょうか?」


「——頼む。」


「かしこまりました。——冒険者ランクは下からR,N,E,D,C,B,A,S,SSの8段階、9つございます。冒険者登録の済んで間もないユウ・サキト様は現在Nランク、こちらは冒険者サービスに大きく規制がかかり、冒険者カードも身分証明証程の効力しかございません。一番最初に達成した依頼の成績によって、最大Cランクまでの昇格が可能となります。Eランク以降は、そのランクに準じたサービスを受けることが可能となります。また、依頼には受注に必要な最低限のランクが存在し、資格に満たない場合は受注できませんのでご注意ください。さらに、冒険者ランクは過去2年以内の成績に準じ降格処分を行う場合があります。Nランクで降格はございませんが、Eランクよりも下に降格した場合はRランクとなります。こちらは、Nランクと大差はございませんが依頼達成に於ける昇格の制限がございません。説明は以上です。その他ご不明な点はございませんか?」


「いいや、大丈夫だ。」


「それでは。」


そう言い、受付嬢はニッコリと笑顔を向ける。

ユウは軽く手を挙げると、早速とクエストボードに歩を進めようとした。

そこで突然肩をぶつける。


「あっ、ごめんなさい…」


先に向こうが謝罪した。

それにユウもすまない、と小さく答えたが、相手は自分の顔を見たまま硬直している。

青い髪をなびかせ、その青い髪と同じ綺麗な瞳をした少女だった。


ユウはそれに、相手に聞こえない程小さく「またか」と呟くと、口を開く。


「なにか?」


「い、いえ、なんでもないです...!」


「そうか。」


軽く答えて、今度こそとクエストボードへと向かう。

そこには、大量の紙が貼られていた。



——確か、ランクに準じたサービスを受けられるんだったか。

髪のこともあるが、それにしても少しでも上に行った方が得か…



そんな事を考えながらボードを見つめるが、しかし一向に決まる気配が無い。



——これもダメ、あれもダメ…受注可能ランクというのは面倒だな…



また少しの時間を要して、数分経った後、彼は一枚の紙に手をかけた。


“ゴブリン3体の討伐”


Nランクが受注可能な中で最も危険度の高い物だった。


「…これだな。」


そう呟いて、紙を剥がすと、受付まで行き、説明を受ける。

そうして、受注手続きを終わらせると、足早にギルドから出て行った。


外に出るなり、深呼吸をする。



——酒の臭いは嫌いだな。



「ッ〜」


軽く蹴伸びをし、歩き出す。

数秒で暗記した街の地図から、目的地に達するに最も近い門を探すと、自然とそちらへと歩を進めていた。

しかし——その歩みは、止められることとなる。



ドスッ…



「ッ…」


途端、何かが…いや、誰かというべきだ。

重量のあるもの、人である事は想像に容易いが、それがぶつかった。

少しバランスを崩したユウだったが、しかし何事も無い様子で立ち止まる。


だが、相手の方はそうもいかなかったようだ。青い髪を驚かせながら、妙な声を上げて転んだのだった“彼女”へ視線を下ろせば、そこにはレザーアーマーを着込んだ、青い髪を持つ少女——先程、肩をぶつけたあの少女がしりもちをついているのがわかる。

視線を下ろすユウに対し、彼女の青い瞳がその顔を見上げている。


「お前は…さっきの…」


思わずそう呟いたのだった。

少女の方も、そう言いたげな顔をしていたが、しかしぶつかってしまった事に対する謝罪をするのみであり、立ち上がると、ユウに背を向け口を開いた。


「と、とにかくあなたがたと一緒に行く気はありません…」


少女がそう言葉を放ったのは、先に立つ4、5名の男達。

どれも筋肉質な体格で、その身体には鉄製の装備を身にまとっており、背や腰にはそれぞれ直剣や大剣、弓などの武器を携えている。


「まあまあいいじゃないかよ....」


その言葉に、少女はまた一歩後退る。

これだけで大体の状況は呑み込めるだろう。

ユウは周囲を行き交う人々に視線を移すが、しかし彼らは関わりたくないと、視線を背け自分達——いいや、ユウはその縁に入っていないだろう、彼らは紛れもなく彼女達を避けて行くのだった。


その視線を、彼は知っている。

——街中で拘束具を取り付けられ、鞭で打たれて歩かされていた自分に向けられていた、あの視線と全く同じ…


かわいそうだ、だとかそこまでする必要はない、だとか。

内心はそう思っていても、自分から動くことは決してない。

面倒事に巻き込まれたくない、自分にまで矛先を向けて欲しくない。

そう思うだけで、動かない。


邪険な眼差しから読み取れる彼等の心情は、しかし彼らは紛れもなくただの“傍観者”。

自ら動く気など微塵もないだろう。

——フードの奥で、ユウはその彼らに、厭悪えんおの眼差しを向けた。

そして、溜息を一つ。

その唇が揺れた。


「——彼女は俺と一緒に依頼を受ける事になっている。連れに何か用があるのか?」


そう言ったのだった。

少女が驚きの眼差しを向ける。


「はぁ?そりゃどう考えたって嘘——」


男が言葉を切る。

フードの端を摘みながら静かにそう言った少年。

その華奢な体格のどこに感じたのか。

瞬間的な恐怖、ただならぬ気迫を。

今度は男が一歩後ずさった。


「まだなにか?」


男のこめかみから汗が滴ったところで少年は——ユウはそう言い放つ。

冷たく言い放たれた言葉。

それに、男はすぐさま視線を外すと、行くぞ、と一言。

仲間を連れて背を向ける。


それを見て、ユウもまた、背を向けるのだった。


「あ、あの…ありがとうございます…」


少女がそう言った。


「——いや、いい。」


そう呟くように返したユウの背を恨めしく見る者達がいた。

——先程、あの少女に手を出そうとしていた男達だった。

ユウの背を見ても、依然彼らはなぜあんな華奢な体格を持つ少年相手に圧されたのかが全く理解できなかった。


男か女かわからないような小さな身体。

あの程度、簡単に黙らせることが出来るだろう。

ではなぜ自分達は怖じけたのか。

安いプライド、しかし瞬間、一人がなにかを思いついたかのように、口角をあげるのだった。


「——魔族だぁ!」


「ッ…!」


突然放たれた言葉、それにユウはピタリと立ち止まる。


「気をつけろー! そのフードの男は魔族だー!」


誰が聞いてもわかるだろう、感情の籠っていないその言葉が、どうしても嘘だと。

しかし、本当かどうかもまたわからない。

目深に被られたフードが、その真偽を曖昧にさせているからだった。



——最近流行りの嫌がらせ…



少女の脳裏にその言葉が走った。

顔の見えないだとかそう言った冒険者、その中で気に入らない者がいた場合、街中でその者に対してそう叫ぶ。

とてもたちの悪い嫌がらせであった。


「ハァ…」


ユウが大きな溜息を一つ。

——彼等に瞳を晒した覚えなど勿論ない。

であればとこれがただの嫌がらせであるなどという思考に至るのは当然だったか。

あまりにバカバカしく、面倒なその行為に呆れた。


そして——


なにを思ったのか、そのフードを下ろした。


「ッ!」


ユウの紅い瞳が大衆に晒される。

しかし、それと同時に薄暗くも青い髪もまた、光を浴びたのだった。


「これで満足か?」


そう呟いて、男達の方を見た。

——この距離である、当然その言葉は男達には届いていない。

しかし、紅い瞳に睨まれた男達は、蛇に睨まれた蛙と言ったところか。

その身体を硬直させている。


「いくぞ。」


「え? あ、は、はい!」


少女はユウの言葉にそう答えると、先を歩くユウに小走りで追い付くのだった。

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