第81話

 そういうケアができないとしたら、


「ありのままの、このままのわたしを愛してっ!」


 と迫ることになる。


 そんなことが言える人は幸せだ、と結子は思う。


 しかし、それは子どもの幸せだろう。


 もしも、その「ありのまま」にダイヤモンドの輝きがあるのならばいい。好きになれ、と言う資格がある。でも、そうでなかったとしたら、輝きのない石ころの鈍さであったとしたら、そんなものを好きになれと言われても相手は困るだろう。そういう困らせ方をするのは子ども。


 不幸なことに、結子は、それが分かる程度には大人なのだった。


 石ころを押しつける先が隣家の少年のごとき気安い相手だったらいい。しかし、大事な人にできる所業ではなかった。


 ティーポットを盆の上にした結子は、部屋に帰ると、未だ漫画に真剣な視線を送っている少女の横から、そっと紅茶のお代わりを注いでやった。


「ありがとう」


 まるで下女に対するかのような素っ気なさで言う王女然とした明日香に、


「ヤマトとはいつまで付き合うつもりなの?」


 結子はいきなり訊いた。


 明日香はカップの取っ手を持とうとした手を止めた。そうして、瞳に冷たい色を浮かべると、


「死ぬまで」


 挑戦的な声で答えた。唐突な問いにすぐに反応できるということが、彼女の真剣さを表している。


 結子は羨ましい気持ちを覚えた。


 問いはまだ終わらない。


「ヤマトにはわたしがついて回ることになると思うよ。それでも?」


 問いながら結子は答えが予想できた。


 明日香は漫画をテーブルの上に置くと、すっくと立ち上がって、結子を見下ろした。


「あなたなんか怖くないわ」


 その声にはかすかに震えがあって、それが言葉とは裏腹に恐怖によるものか、それとも怒りによるものか、判断はつかなかったけれど、結子は、明日香のことを愛おしいと思った。


 明日香には覚悟がある。


 結子にももちろんある。


 あるというか決めたというべきかもしれない。


「アスカ」


 結子は立ち上がった。


「なによ。ヤマトは絶対渡さないからね」


 明日香の強い声をかわす気軽さで、


「ちょっと一緒に来てくれる」


 結子が言う。


「……どこによ?」


「いいから」


「まだ紅茶を飲んでない」


「紅茶と親友、どっちが大事なの?」


「ダージリン」


「はい?」


「その紅茶のことよ。自分が何を淹れたのかも分からないの?」


 結子は、お座りあそばせ、という意を込めて、手を明日香の座に向けた。


 明日香は、スカートの裾を払って、正座すると、ゆっくりと紅茶を飲んだ。


 その間に、結子は携帯電話を取り出して、電話をかけた。


「ユイコか」


 聞き飽きたクサレ縁の声である。


 結子は開口一番、


「あんたのカノジョはなかなかのたまだね」


 言って、すぐ近くからギンと恨みのこもった視線を得た。


「女の子に『たま』言うなよ。怒ってるのか?」


「この件は怒ってない。アスカとは親友になったし」


「え、親友?」


 大和の声が弾みを覚えるのがわずらわしい結子は、急いで、


「この件はいいけど、でも、自分とその呪われた運命に対しては怒りを覚えてるの」


 と言葉を差し挟み、


「キョウスケの家まで連れてって」


 本題に入った。


「ヤマトは遊びに行ったことあるんでしょ」


「なんで家まで行くんだよ」


「直接話したいの」


「どこかで待ち合わせればいいだろ。家まで結構あるぞ」


「呼び出したくない。こっちから出向きたいのよ」


「謝る気になったのか?」


「うん。ケリをつけてくる」


「ケリ?」


「十分後に家の外にいて」


 明日香は静かに紅茶をすすっている。


 結子も紅茶を飲んだ。


カレシとどこに行く気なの?」


 明日香は、わたしの、というところに強勢を置いて言った。


「キョウスケのところよ。来るでしょ」


「本田くんにもあなたにも興味無い」


「でもヤマトには興味がある」


 明日香はぐいっとカップの中身を飲み干しすという彼女らしからぬ無作法さを見せると、すっと立ち上がり、


「お手洗い貸して」


 言って、場所を聞くと、座を立った。


 結子は紅茶セットを片づけた。


 十分後、結子と明日香は、隣家の門前に立っており、そばには案内人の少年の姿があった。

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