第26話
長い長い不毛な絶交期間が終わった。
思えば無駄な時間だった。
結子はその日の授業中、この三週間のあいだのあれやこれやを思い出して、ひとり思いきり脱力した。自分が知らない無意識のうちにクサレ縁の子に尽くしてしまうという己のどうしようもない性癖を確認し、それをひとに披露してしまい、恥だけをさらした期間だった。
――ああ、疲れた……。
全身に倦怠感をまとう結子とは対照的に、大和は元気いっぱいだった。休み時間になると、まるで三年ぶりに再会した旧友にでも対するかのように、結子に接してきた。炸裂する陽気なマシンガントーク。そのうち肩を抱いてきて校歌でも歌い出すのではないかと恐れた結子は、放課後になると早々に教室を出た。「おい、ユイコ」とかけられた声を無視して、恭介のクラスの前に行き、彼が出てくるのをしばし待つ。
いつもは生徒用玄関で待ち合わせているカノジョが思いもかけず教室前の廊下にいたものだから、恭介はびっくりした顔を作ったが、その顔はすぐに嬉しそうな色に染まった。結子は、つくづく自分の幸運を噛みしめた。大和に感謝することがあるとすれば、恭介という素晴らしい人と友だちになってくれたというそのことである。
「変なのがわたしにつきまとってくるの。助けて、キョウスケ」
結子がせっぱつまった声を装うと、恭介は柔和な表情を引き締めたが、よくよく事情を聞いて変質者扱いされているのが親友であることが分かると表情を緩め、自分のカノジョに軽い批難の視線を送った。結子はウインクでそれを弾いた。
「オレも一緒に帰っていい?」
生徒用玄関で待ち構えていた大和がとんでもないことを言い出した。
「何言ってんの? 片桐さんは?」
「今日は明日香とは別々に帰ることにしたんだ。ちょっとユイコとキョウスケに話があるから」
結子は、恭介の夏服半袖シャツの裾を軽く引っ張った。断ってください、という意を込めて。本来ならば、結子自身が「馬鹿を言うな」と大和に向かって大喝してやりたいところであるが、淑女らしく身を引いて男性を立てた。
「もちろんいいよ。なあ、ユイコ」
恭介の軽やかな声。
結子は男女同権のこの世の中に、「三歩下がって夫の後を歩く」という三世代くらい前の女性像を持ち込んでしまったことを激しく後悔した。何というバカげた考えだろう。大体三歩も下がっていたら、腕を組んで歩くこともできないし、転びそうになった夫を助けることだって難しい。無論、夫に助けてもらうことは不可能だ。ミュールのベルトが切れたとき、横からさっと支えてもらうこともできず、ただ地面に突っ伏すことになる。気づかずに前を進み続ける夫。そもそも恭介は夫ではない!
心を入れ替えた結子は現代女性を代表して、アグレッシブに一歩前に出ようとしたが、
「大事な話なんだ」
と続けた大和の声が思いもかけず真剣な調子だったので鼻白んだ。そうして嫌な予感を覚えた。大和が真面目な顔をしているとき、大抵ロクでもないことを考えているのだということは、これまでの経験から十分に分かっていたことだし、今回の絶交の件にしてもきっかけは彼の深刻な顔だったのだ。
――なにか面倒なことが起こりそうな気がするよ!
そして予感は見事に的中する。
「これからあんたのことを、トラブルメイカー・ヤマトって呼んであげるわ」
親に叱られて今にも泣き出しそうな子どものようにぐずぐずしている空の下、通学路を朝とは逆にたどりながら、大和の話を聞き終わった結子は開口一番そう言った。大和は、変なあだ名をつけるな、と抗議の声を上げたが、結子は無視した。
「頼めるだろ、ユイコ」
「頼むだけなら好きにすれば。でも、答えはノーよ」
「友だち甲斐の無いヤツだなあ」
「何言ってんの? その友だちをやってあげたからこそ、わたしは引っぱたかれたんでしょーが」
「次は引っぱたかれないようにうまくやってくれ」
結子は隣を歩くカレシの肩かけ鞄をひっぱった。
「ねえ、キョウスケ、何とか言ってやってよ」
恭介は秀麗な面を思慮深い色に浸してカノジョを見たあと、にっこりとしてみせた。
結子は絶望した。まさかカレシが自分よりも男の友情を大事にするような汗くさい人だとは思わなかった。
「キョウスケってさ、なに、ヤマトのこと愛しちゃってるわけじゃないよね?」
「ヤマトのことは好きだよ。いいやつだから」
思わず頭を押さえた結子の視界に、瞳にわざとらしい慕色を浮かべて恭介を見る大和の姿が映った。結子は、恭介と大和の間に割って入って彼らの間に距離を開けた。ボーイズラブに興味は無い。
「わたしには無理だって、そういうことはさ。細かいことできないのはあんたも知ってるでしょ。だから、ムリ」
結子は抵抗を試みたわけだが、
「まあ、ユイコがどうしてもダメだっていうなら、キョウスケに頼もうかな」
この言葉で全てを諦めかけた。
というのも、
「アスカと友だちになってやってくれないか」
それが大和の話の中身だったからだ。
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