或る自殺志願者の見た流れ星
山村 草
第1話
死にたい、という言葉にはその実、死というものへの願望なんて含まれていないと考えている。苦境からの脱出こそがその言葉の裏にある真の願いだ。
例えば死にたいと言う人が何に悩んでいるのかを考えてみよう。
お金が無いから死にたい。簡単な話だ。金に困っていて死ぬよりほか苦しみから逃れる術が無いから死にたいと思うのだ。この人が全ての借金を無くした上で十億円手に入れたとしてそれでもまだ死にたいと思うだろうか?
苦しいから死にたい。病気、或いは怪我で苦しみを味わっている人がいるとしよう。現代の医学では解決出来ずただ苦しみ続けるしかない。その苦しみから逃れるには死ぬより他に方法がない。だから死にたいのだと言う。この場合の死は苦しみから逃れる手段でしかない。その真の望みは苦しみからの解放であり死ではない。
何もかもが面倒だから死にたい。何もかもと言いながら食って寝て糞をする。もはや価値観の問題だ。これは面倒だからやりたくない。これはそこまで面倒とは思わないからやってもいい。面白そうなゲームは喜んでやる。単に怠惰なだけだ。決して、死にたい、わけではない。
では私はどうか。これははっきりと言える事だが、私こそ真の自殺志願者である。
自殺に興味を抱いたのはつい三ヶ月前の事である。ふと、自殺をする時人間は何を思うのだろうか?などと考え出したのである。
別に何か特別な事があったわけではない。
生活は至って順調、ローンを含め借金は一切なく貯金は数年は遊んで暮らせる額はある。仕事も順調だ。私など必要ないという事もなく、私がいなければ回らないという事もなく、ストレスはあまり感じずやりがいは程々、給料は平凡だが生きていくには十分だ。理想的なサラリーマン生活である。
趣味はない。特にやってみたいこともない。でもそれが悪いとは思わない。帰宅し家事をしていれば寝る時間になる。他に何か出来る余裕はない。だからちょうど良いのだ。
彼女はいない。何人か付き合ってみたが、ただ面倒だったという印象だけが残っている。然程性欲も強くないので必要性は感じなかった。
家族もいない。元々、両親と私の三人家族だったがその両親は数年前に自動車事故であっさりと逝ってしまった。親戚付き合いも殆どなく、おじおばに当たる人達が合わせて何人いるのかさえも定かではない。
友人は会社でたまに飲みに行く程度の仲の人間が数人いる程度だ。大学時代の友人は殆ど地元に帰りそれっきりまるで付き合いがない。それ以前となると今生きているかも分からない。
こんな人生を悲観しているわけではない。生きて行けるだけで十分だ。それで満足だった。
だから自殺に対する興味がなぜ自分の内に湧き出てきたのかは分からないのである。
自殺をすると決めたところで私はその手段を検討した。
手首を切る。これは良くない。致死率は低いし、それを上げようと思うなら湯船に張った湯の中で行わなければならない。成功したとしてブヨブヨにふやけた半土左衛門のような遺体になるだろう。あまりにも見苦しい。
では頸動脈はどうか。これは致死率が高いのは良い。ただし私がこの死に方に最も興を唆られるのは切り口から勢いよく血飛沫が上がる光景だ。だがそれは第三者にしか見ることが出来ない。自殺する当人はその様を見ることが出来ないのだ。最も関心のあるところを味わえないのだから却下した。
それでは定番中の定番、首吊りはどうか。これは良くない。これを発見した人は先ず天井からぶら下がった人という異様なものを目にすることになる。そして次にその下に溜まった糞尿を見るのである。人は死ぬと排泄物を堪えている筋肉の働きがなくなり垂れ流しになる。これが足から出ればまだマシだが出る場所は股間だ。それは足を伝わり地面へと滴るのである。なんと汚い死に方であるのか。それが気に障るのでこの案も却下となった。
死体の美しさというなら薬物が良いのだと聞いた。だがこれも却下だ。理由は単純だ。私は薬の類が大の苦手なのである。サプリメントですら駄目だ。
残ったのは飛び降り自殺だった。死に至るまでの刹那私の内にどんな感情が催されるのだろう。そこに興味を持った。
だから私はこうしてビルの屋上に立っているのである。
この期に及んでこんな事を言うのは妙なのだが私は人に迷惑を掛けたくないと考えている。それは今までもそう生きてきたのだし、この先、あと僅かになった我が人生に於いてもそれは変わらない。
だから当然これまで私が散々お世話になった電車に飛び込むなんて真似は出来なかったし、住んでいた賃貸のマンションの室内で死のうとは思わなかった。そんな事をすれば多くの人に迷惑が掛かるのである。
とは言え死ぬのだから遺される物は出来てしまう。だから私は必要最低限の荷物を残し持っていた物の殆どを処分した。これは実に心地が良かった。なるほど、断捨離などというのはこういう事か。そして部屋は引き払い最低限の荷物を持ってビジネスホテルを転々とする生活を始めた。たまには漫画喫茶やラブホテルも利用したが中々新鮮な体験であった。
会社の方も私一人が消えても差し支えないように調節しておいた。むしろ居なくなっても却って丁度良い案配となるだろう。その点抜かりはない。
だが飛び降り自殺の性質上墜落した後の事を考えなければならない。下に誰かいたらその人をも道連れにしかねない。だから落下地点は出来るだけ人の来ない所を選ばなければならない。そんな事情があってこのビルを選んだのである。侵入は容易だしここからなら丁度ビルとビルの間にポッカリと開いた路地裏が見下ろせるのである。こんな路地裏に入ってくる人間はそうそういないことは調べがついている。
だが一つ懸念される事がある。それは落下の結果地面に血と脳みそを激しく撒き散らすことである。場合によっては他の部位が衝突により折れ曲がったりもするかも知れない。私の死体を見た人間はさぞかし気の毒な思いをするだろう。どうかこの背中に張りつけた詫び状一つで許して欲しい。
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