カジュマルの樹の下で

サーナベル

第一章 英雄に憧れる少女

熱風により細い岩石でできた橋が揺らめく。

マグマが根強く上から降ってくる獲物を狙っている。

4人の使者は命がけの戦いに挑もうとしていた。


エルフの男、クレイシャは咄嗟によろけた想いを寄せる人間の娘、ストニーノを抱き寄せた。熱い外界からの温度に2人共、汗が迸るように流れ、お互いの色気に一瞬の恍惚を許した。

「何をやってる?ストニーノ!!早く来い!」

フレイマーナはストニーノの兄だ。強引で勇敢な兄に似て妹のストニーノも勇敢だった。この世の果てのような煮えたぎったマグマの上の橋をサッと軽く渡りきる。

岩石の破片がマグマの海に沈み消え行く。大きな音を立てて橋は崩壊しようとしていた。

暑苦しい洞窟の出口で待っていたラスターがクレイシャを嘲笑い挑発する。

「まだか?臆病エルフ!」

マグマの洞窟の中、その声はガンガン響き、マグマのグツグツ音と入り交じって、不愉快感を倍増しにした。

クレイシャは崩壊前の橋を渡ろうとして致命的な躊躇を行った。

「イヤ!!!クレイシャ様!」

ストニーノが手を伸ばす。落ちそうな妹をフレイマーナは必死に押さえなくてはならなかった。

クレイシャは辛うじて崖に捕まっていた。エルフ特有の身軽さでフレイマーナ達と反対側の崖をよじ登り、困った様子のジェスチャーをする。

「私の冒険はここまでのようだ」

マグマの方へ確実に橋は傾いていっていた。

「持って行きなさい」とクレイシャが光の精霊をストニーノに遠くから譲り渡す。眩しい光にクレイシャ以外の者達は皆、目を閉じた。

「エルフの笑われ者として私は生きる」

クレイシャのその言葉に対し、フレイマーナは軽やかに笑った。

「きっと私はここで死ぬ。勇者として英雄として眠りに就くのだ。恐れはある。しかし、友を泣かせるだけの私ではあるまい」

ストニーノが暖かい光を抱き、尊敬の目で兄を見た。

「兄様、行きましょう」

ラスターが空気を読まずヘラヘラ笑っていた。

「臆病エルフ、マジかよ」

クレイシャは愛する人を最後に一瞥するとエルフ語でワープを意味する呪文を唱えた。

背後で洞窟全体が崩れる轟音がした。




夢の中で氷の花を詰んでいる。少女は銀色の世界で踊った。

煌びやかな光に視界が慣れずチカチカと点滅する。

雪は降っていない。だが、ガラスのような世界で少女はたった1人でいた。

「テ…ミ…」

思い出そうとして何度も失敗を繰り返す。その内、銀色の花を次々に叩き潰し始めた。

「違う」

少女は探している花を見つけられずに困っていた。


リース・バトスは目を覚ますといつの間にか出ていた涙を拭う。

きっと勇者の武勇伝を聞いて寝不足になっていたのだろう。

夢の中の氷の花。銀色の宝物。

そんな物より働き者のパッカーさんの葡萄畑の方が魅力的だ。

では、何故探していたのか。

夢の中の彼はきっと私のことを忘れている。

リースは清々しい程の大きな溜息を吐いた。

ライバルと皇帝の存在を消すために武道を習っているが、まるで話にならない。元々、努力して手に入れるものより、生まれつきの能力の方が簡易に使いこなせる体質だ。かと言って努力を怠っている訳ではない。ただ、ライバルのラウル・バトスには到底適わないのだ。皇帝のドラゴンランド37世の動きも気に食わない。

結婚?

リースは苛立ちを顕に顔を歪める。

男の物になるような女のつもりはない。

リースは14歳で身長130センチという小柄な体付きだった。それを可愛いと思う男はゴキブリのようにうじゃうじゃいる。皇帝ドラゴンランドも例外ではなかった。

--私と結婚したい野郎共なんか嫌悪感が湧くだけだ。

リースは皇女の座に夢の欠片も感じない奇行種だった。誰も理解を示さない。誰も救いの手を指し伸ばしはしない。

魅力を感じるのは父のグランドール・バトスや古い叔父のラスター・バトスのように人々に讃えられる業績を成すことである。

リースは長いオレンジ色の髪をサッとポニーテールに結わえて、黒を貴重としたロックなファッションに着替えた。パジャマをベッドに放り出し、カーテンを思いっきり力を込めて開ける。

窓を開けると微睡んでいた雀鳩達が驚いてバサバサと飛び去っていった。

中庭を覗く。

ラウル・バトスの赤髪が見えてリースの胃が拒絶反応を示した。それでも思わず苦情を口にする。

「朝から熱心だな、ラウル!!」

ラウルは竹刀を振り回しながら、皮肉の1つを喰らわせようとして成功した。

「応援ありがとよ!リース、お前なら俺より強くなれるはずなんだけどな!」

リースの殺意は充分ラウルに届く。ラウルは嘲笑してそれを楽しんだ。

ラウルの契約精霊ロードクライが人のなり損ないのような姿をして、ラウルを軽く叩いて戒める。ロードクライは主人と異なる性格をしていた。

リースにも契約精霊はいる。だが、ただの光の小さな玉だ。フューと名付けられたその精霊は自己主張を全くしない存在だった。

「リース!!」

階下から名を呼ばれ振り返る。おっとりとした口調からして、母フィーリス・アリア・ザカンだ。

リースは母が嫌いだった。それでも、胃袋は母を求める。朝食ぐらい食べてやるかと意地悪な気持ちで思った。

螺旋状の階段を降りていく。このまま地獄まで降りていきそうで恐怖した。そうなのだ。今のリースには地獄のような未来しか待っていないのだ。

愛されることが女の幸せ?

リースは思う。

愛なんか自己愛で足りる。

階下に降りていくと、フィーリスが食事を用意して、待っていた。

カニ風サラダとチーズケーキとシャチのスープが卓上に並んでいる。

父、グランドール・バトスはリースが5歳頃、戦死した。素晴らしい功績だった。父の遺産で裕福な暮らしが約束されている。

バトス家は貴族の名門として有名だ。唯一残った勇者の家計として民間人に親しまれている。そのため、大柄な男のパッカーさんは自分の葡萄畑をリースに委ねてくれていた。

食事を無作法に貪るとリースは立ち上がる。

高級料理を意識しない娘の様子にフィーリスは慌てて窘めた。

「リース、貴女は礼儀を知らないといけません」

リースは微かに苛立ちを覚えた。

「礼儀より自分の心配をするのが人間だぞ、母さん」

テーブルの上のスイセンの花の上をフューが浮遊して、母と娘の言い合いの観戦を決め込んでいる。

リースは限界だった。

「母さんがこんなだから、ラウルになめられるんだ。臆病者め。一族の恥知らず」

憂いのある女を演出するフィーリスは少し言い淀んだ。娘を傷付けても何の得にもならない。

「リース、時として臆病になることも賢い選択なのよ」

リースには理解の模中に入らない言葉として耳に入る。

「バカみたい。自分を正当化したいだけじゃん、母さんは」

娘の突き放すような調子にフィーリスは心の中で嘆いた。その嘆きも娘には届かない。

リースは至って自分勝手な女の子に育ってしまっていた。フィーリスの甘やかし放題と無責任主義が彼女を歪めた。

フィーリスは後悔するにはまだ早いと考えている。まだ14歳だ。まだまだ子供だ。自分で何もかもできるようになるまでに性格の矯正を行えばいい。

リースはサッと母の元を去った。言うべきことは何も無かった。そう、何も。

母と娘の心は決別していた。


「ラウル、今日こそ本気でかかって来やがれ」

リースは中庭にいた。

ラウル・バトスが小さな子供を宥めるようにリースを見下ろす。風がゆったりとラウルの髪をかきあげた。リースのポニーテールも揺れ、サラサラと音を立てる。

ロードクライとフューは仲良く追いかけっこをしている。バトス家の血筋を持つ者は勇者の血筋と同時に光の精霊を所有させられた。

ラウルには余裕があった。リースとの大きな違いはそこにある。

「お前、負け戦を何度経験すれば気が済むんだ?それとも何度も忘れる頭してるのか?おめでたいヤツだな!」

全てが悪い方向に走っている訳ではない。それでもリースの心の闇は複雑化して滞りを知らなかった。負け戦をしにラウルの傍にある竹刀を手に取る。

リースは八つ当たり程度にしかならないことを自覚していた。

「本気でかかって来ないなら顔に傷を付けてやる」

ラウルはそっとため息を吐いた。ラウルもストレスフリーという訳にはいかない。次期精霊騎士団長と勇者を継ぐ者としての風格が求められるのだ。

「淑女が泣いて呆れる。野蛮な小娘は皇帝と結ばれて幸せに暮らすのがシナリオなんだぜ」

リースの歯軋りは獣に似ている。リースは小さな頃から野生児的に生きてきた。

母フィーリスとは真逆だ。亡き父グランドール・バトスは酒場でバカ笑いするのが似合う大男だった。娘のリースのノリもグランドールに似たのだろう。リースは色々と致命的な女の子だった。

「ラウル、このアタシを侮辱するなら許さん」

ラウルの顔が歪む。リースの挑戦的な態度に面白半分だった心も怒りに似た面持ちに変わった。

「ガキが!どんなにいきがってもガキはガキのまんまなんだよ。それは今も昔も変わらねえ。本当にガキだな。痛いの痛いの飛んで来ますよ〜だ」

リースとラウルはライバル同士、和やかに笑い合った。ラウルの発言がおバカ過ぎた。

だが、次の瞬間睨み合う。勝負は始まっていた。

ラウルの竹刀がリースの両肩を軽く叩く。パシッパシッという軽い音がして、それだけでリースは体のコントロールが効かなくなった。よろけて初めてバランス感覚を取り戻し、カッと目を見開いてラウルの胴体を突く。

ラウルは咄嗟に防御の姿勢に入った。虫唾が走った男の目でリースを見る。

リースの体中に悪寒が駆け巡った時にはリースは呆気なく捩じ伏せられていた。


「言わんこっちゃねえな」

サンモクセイの植木鉢の上でリースはジタバタする。

勝負の数分の時間数よりリースの傷跡の数の方が上回った。

ロードクライが大急ぎで治癒の精霊魔法を使う。

ロードクライの階級は中級に対し、フューの階級は下級だ。優秀な人材としてラウルは期待されている。

そんなラウルも友達の1人もいなかった。リースとラウルは普通の国人とは違う。だからと言って子供誰一人関わろうとしないのは彼らからしても酷な話だった。

リースとラウルは幼馴染みとして、屈託なく笑う。

リースが息を荒らげて中庭で寝そべり目元を隠した。ラウルに負け犬の目を見られたくなかった。

「ざまあないな」

ラウルも隣で転がる。息は清らしい程整っていた。

「みっともないぜ?全く成長してねえ」

雲がゆっくりと頭上を通り過ぎる。大きな竜の形に似ていた。今日はカンカンに晴れるだろう。

暑い。

フィーリスが布団を干す姿を確認するとリースは慌てた。枕の下の『連続殺人鬼目録』という本を母に見つかるとまた小言を言われるかもしれない。

リースは残虐なものが好きだ。性格の歪みもあったが、血と涙の戦場で消えていった父の面影を追っていたからかもしれない。

ジャミールという男の話を特に気に入っていた。彼の生き様は神として崇められたゼウスより奇抜だ。彼は4歳で殺人を覚えた魔族だった。

12歳で殺した人数は100を越える。殺人方法は安定していて、ターゲットの心臓を抉り出すというものだった。

当時人々は夜を恐れるようになっていた。一夜また一夜と死体は山のように嵩張るのだ。

無色の精霊がジャミールを食べたという噂が流れてから人々は安眠を約束された。

リースは『連続殺人鬼目録』を持って立ち竦むフィーリスを見て、遅かったと判断する。

フィーリスは泣いていた。

「貴女、どうしてこんなもの持ってるの?サディアさんのとこの図書館で借りて来たのね。でも、自ら借りたのかラウル君に貸してもらったのかで大きな差があるの」

リースは母の腕から本を奪って脱兎の如く逃げ出した。

母の呼び戻す声が頭の中でガンガン響き、鬱陶しさをフューで胡散晴らしする。

より惨めな気分を味わった。


街中を我が物顔して女子力の欠片もない歩き方でぶらつく。

リースに声をかけるのはほぼリース・バトスをアイドル化したオッサン達だ。リースに子供が好きそうな物を与え、ニッコリ微笑んだ。

リースもキャンディやチョコやフリフリの服は嫌いではない。ただアルコールを呑ませて拉致ろうとする男を警戒した。

女性は「可愛い」を連呼して、近付きたがらない。貴族に絡むとろくなことがないと教訓を得ている。

リースはパッカーさんと楽しく噴水前で如何に葡萄を上手く育てるか討論していた。

パッカーさんが「気に入った」と言い、リースの頭を撫でる。薬用果実と無添加果実の差を理解している貴族は早々いない。5歳の自分の娘にも教えていないことだ。

リースはオネダリの視線でパッカーさんを見た。パッカーさんの隠していた葡萄の香りに気付いていた。

「目敏い娘だわい」

パッカーさんの手の平の上の葡萄は生々しい紫で〝宝玉〟あるいは別名〝アメジスト〟と呼ばれるのも納得がいくぐらい煌めいている。

リースは無邪気に大はしゃぎした。リースが人前で邪悪なオーラを見せないのはこの瞬間だけかもしれない。流石に可愛げがあった。ラウルが見たらギョッとして「お前誰だ?」と問うぐらいの差がある。

極端な話だ。

リースは〝アメジスト〟を皮ごとむしゃぶりついた。人の大好物は大抵その人の舌とマッチして虜にする。リースも例外なくパッカーさんの葡萄を毎日食べられるのなら、皇女になってもいいとさえ思った。むしろ、寡夫のパッカーさんの後妻になれば、簡単に葡萄が食べられて幸せなのかもしれない。

リースは亡き父と同い年ぐらいのパッカーさんに抱き着いて嬉しそうに言った。

「おじちゃん、大好き!!」

パッカーさんが目を細め、満足げに頷く。

「リースちゃん、おじちゃんはリースちゃんの笑顔が大好きだぞ」

またしばらく葡萄哲学に浸った。

陽が降りてくる。

リースの髪と同じオレンジ色の世界でパッカーさんは微笑みながら、去った。


リースはぼんやり噴水を見ていた。

突如、水中に綺麗な女の子の顔が映る。彼女の長い黒髪が水面中広がり、タコの足のように蠢いた。ミステリアスな雰囲気の美少女はどんどん水面に上がって来る。まるで幽霊のように色白で、リースは恐怖した。

「な、何だ!?」

リースより35センチ程高い美少女がびしょ濡れ姿で噴水に足を漬けて立ち上がった。不思議な衣類を身に纏っている。

声が穏やかな歌を歌うように優しい。

「驚かせちゃってごめんなさいませ。それより--」

少女(リースより歳上だろう)は辺りを伺った。何かを探しているようだった。困惑した様子で言葉を繋げる。

「ネメシスはどこに行ったのでしょう?困りましたわ。私、帰れませんの」

こんな時、どうするべきかリースの辞書に載っていない。困惑を困惑で返した。

「ネメシス?君、どこの種族なんだ?人間なのか?」

少女はリースをマジマジと見つめた。いきなり顔を輝かせる。

「貴女、貴族なのですね!だったら、話が早いですわ。しばらく一緒に居させて頂けませんこと?」

少女の気迫はリースをタジタジとさせるには充分だった。

「いいけど…。あの、君の名前は?」

暗くなる世界で、振り向いた少女の髪がサッと流れ少女をより一層美しく魅せる。

「ルーレミア・ルーチェ。人は私をルールーと呼びますわ」

ルールーがリースに手を差し伸べる。リースは少し戸惑ったが、その手をシッカリと握った。冷たい噴水から出て来たというのに、とても温かい手をしていた。

幽霊ではないらしい。

安堵感からかリースは全身の緊張が取れて一気に疲れた。

「アタシはリース・バトス。気軽にリースと呼んでくれ」

「はい!リース様」

初めてできた友達なのにリースは不安しか持てない自分を情けなく感じるしかなかった。


貴族の家は晄石でできている。冬でも冷たくならないし、夏でも熱くならない。一般的なレンガの家と比べて立派なものだ。

リースはそんな家が嫌いだった。まず、金銭的な物が嫌いだ。堅苦しい取り引きで手に入る光る〝玩具〟はリースにとって鬱陶しいだけだった。そのせいかもしれない。皇女の座を謙遜ならともかく敬遠して止まないのは。その点、ルールーは光り物を身に纏う習性があった。

リースは思う。

--どこかの皇女みたいだ。

フィーリスはルールーを実の娘のように可愛がった。ルールーを館に置くのを当然の如く拒絶しない。

リースは胸の痛みを意識した。フィーリスに意地悪ばかりしといて本当は優しくして欲しいのだと気付く。ルールーが花の香りを漂わせながら、眠りに就く姿を確認すると客室を出て、フィーリスに詰め寄った。

「ここはホテルじゃない。アタシの家だ」

フィーリスが読書している本をトンッとたとんで椅子を轢いた。眠たそうに目を擦る。ランタンがユラユラと燃えていた。懐中時計を見るともう23時半を越えようとしている。

「リース、バカな嫉妬はやめなさい。あの子は良い子よ。それに貴女が助けたのよ」

口答えできない。『自業自得』という言葉を思い出した。しかし、噴水から出て来た美少女を放置するのは難しいではないか。

リースはとぼとぼ自室まで歩く。

友達に母を盗られてしまう。

道中のことは余り覚えていない。気付くとベッドの中で朝を迎えようとしていた。

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