4部

第23話 ユーフォリア




 ――朝、起きると、いつも泣いている。

 それは、懺悔に、後悔に近しい感覚だった。


「――師匠?……あなたに会いたいです」


 会って、もう一度だけ、お話しがしたい。

 この胸に巣くう感情のすべてを吐き出してしまいたい。


 けれど――。


「……どうせ、忘れるのでしょう?」


 ――最悪だ。

 現実という代物は――最悪だ。


 カーテンの隙間から射す輝きは、さぞ愉快だろうに……。

 僕が抱える大切な記憶さえも淡々と奪い去ってしまうのだから。


 僕は零れる涙を近くに置いてあったテッシュでぬぐえば、エアコンの電源をポチッ。とな。

 ありったけの冷気を浴びる。


 “彼女”と冒険していた瞬間を――ふと想いだす。

 そう言えば、あの時もこんなに肌寒かったな。


 僕は咄嗟に虚空を抱きしめた。


 もう少しだけ――。

 もう少しだけ、この余韻に浸らせてくれないだろうか?

 あと少しだけで良い。


「…………」


 傍から見れば、その情景は変態に映るだろう。

 だって、妄想にふけるその姿は一言で――変質者である。


 変質者にもそれなりの理由があるのだろう。

 隠された真理を解き放ちたい。

 塗れた秘儀を暴きたい。

 どちらにせよ、僕は変質者ではないが、そのような理由を抱えてのではないだろうか?

 そう考えるのは早計か?


 次第にかすみがかる記憶。

 まるで封印が施されている気分だ。


「…………」


 たった一つの願えさえ許されないのかな?

 いや、これも世界の修正力とでも言うべきか?


 僕は深く溜息を零すと、ベッドの上を流暢りゅうちょうに降り、ハンガーにかけられている制服を亡霊のようにまとった。


 どうせ――夢は消える。

 夢は夢でしかあり得ないのだ。

 だから、泡沫のようであり、何よりも尊い。


 僕はそびえるような鏡の前に立つと、身だしなみを整えた。


 僕は夢ではなく、現実を生きている。

 だったら、夢なんぞではなく、この過酷な運命と向き合うべきだ。

 違うかい?


「……今日も分からない」


 そう今日も分からない。

 いつもの如く、いじめが行われるだろうか?

 それとも、昨日出会った志乃さんから邪神教徒の捜査の依頼を協力させるだろうか?

 僕に提示された選択肢は少ない。

 とりあえず、外界に飛び出すしかないのだ。


 僕は重たい腰を持ち上げると、昨日残したはずの余り物を食し、玄関と向き合った。


 対峙するのは己自身。

 説き伏せるのもまた、己自身


 僕はバックを背負うと、玄関の扉を叩いた。


◆◇◆◇◆


 学校に到着して、二つだけ理解したことがある。

 それは、浦松君の指導による『いじめ』がなくなっていたこと。

 この上なく至高であり、平穏だった。

 そして、二つ目――。


「――イ、イツカ?そ、その……、あの時はごめんね?」


「いや、いいんだ。高野さんは悪くない悪いのは浦松君たちだから。

それに、高野さんが無事なら、それで良かったよ」


 高野さんの態度が裏表を極めたようにガラリ。と変わってしまったこと。


「――あ、あの!帰りに、カラオケに一緒に寄らない?」


「――ほえ?カラオケ?」


「うん」


「ごめんけど、そんなに気をつかわなくていいよ?僕は当然のことをした、までだし……」


「じゃ、じゃあ、スイパラ……」


「どうしたの、高野さん?熱でもあるの?」


「そ、その!お礼がしたくて……」


「律儀だね~。お礼なんて、別にいいのに……」


「そ、その居た堪れなくなって……」


 視線に影を落とす高野さん。

 申し訳なさそうだった。


「――じゃあさ、付き合ってよ?」


「――え?」


 高野さんは心臓を弾丸にでも撃ち抜かれたように硬直した。

 一体、全体どうしたのだろうか?


「どうしたのさ?」


「い、いきなり、『付き合って』って言われても、困ると言うか……、何と言うか……」


「――ほえ?」


 恥ずかしがる高野さん。

 話しが全然、視えないのだが……。


「いや、普通にドラゴンボウズの映画に付き合って欲しいって話しだけど?」


「――え?」


 高野さんは再び弾丸に撃ち抜かれたように硬直した。


 しばしの静寂が僕たちを包む。


 静寂から無事生還を果たした高野さんはハッ。と意識を覚醒させた。

 高野さんは机をバシンッ。と叩いた。


「あのね……?勘違いさせないでよ!

いきなり、付き合ってって言われると別の意味で意識しちゃうじゃない!」


「べ、別の意味……?」


「この朴念仁!付き合うってイコール普通に『交際』でしょ!?」


「こ、交際!?僕はそんな意味をこめたわけじゃないよ!?」


「だ・か・ら、そう聞こえたのよ!この馬鹿!」


 日本語って難しい。

 つくづく、僕はそう想い知らせられた。


「ご、ごめんなさい!そんな意味をこめたわけじゃなくて!」


「分かったらいいわよ……。全く、別の意味で肝を冷やしたんだから……。

それで、ドラゴンボウズだっけ?いいわよ……。付き合ってあげる。

その代わりに、これで貸し借りなしよ」


「あ、ありがとう!独りで映画に行けなくて……!」


「全く、臆病なのか……、臆病じゃないのか……、どっちなのよ……」


 高野さんは深く溜息を吐くと、僕の机から去って行った。

 残された僕は窓枠から水彩画のような青空を眺めていた。



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