夢はグラフィティ、現実はアブノーマリティ

小山三四郎

1部

第1話 夢と現実の境界線




 ――夢とは真に現実の1ページである。


 故に、汚濁おだくに呑まれようと


 その歩んだ軌跡きせきは嘘ではない。


                       ――古文書『夢うつつ』一節より




 ◆◇◆◇◆




 ――夢を見た少年はその日、一変した。




 現実に失望し、失いかけていた『希望』。

 だがしかし、僕らは既に――『本物』を手にしていたのかも知れない。

 ――かけがえのない何かを。

 ――抱えるべき大切な記憶を。


「――し、“師匠”!一旦、休憩にしませんか!?」


 僕は汗ばむレザーアーマーを脱ぎ捨てると、目の前に映る“彼女”を睨んだ。

 彼女は祝福された剣を武人の如く構えると、僕を見据えた。

 僕を睨むは一対の翡翠ひすい

 その師玉の奥にはまるで怯える小鹿のような僕が鮮明に映し出されていた。


「甘えるな、“イツカ”。

 これでは、かの『シルバー・ランク』に達するすらことも叶わぬぞ?」


「そ、そんなランク、だ、誰も求めていないから……!」


 言わずに及ばず、幾閃にも及ぶ剣閃けんせんが僕に襲い掛かった。

 その剣閃を僕はバタフライナイフ一本で、何とか防ぎ切ってみせる。


「そうか、イツカ。死にたいか。

 ならば、貴様には地獄の鬼も泣く一撃を喰らわせてやろう」


「あんたの辞書には『情け』という言葉は存在しないのか!」


「生憎だが、そんなたゆんだ言葉など、とうに捨ててきた」


 彼女の流れるような金糸の髪が星屑ほしくずのように輝いてみせる。

 それは時として、激流の如く豹変ひょうへんすると、僕の顔面に向かって一直線に飛び交った。

 零れる銀河全体のきらめきを圧縮あっしゅくさせたような粒子。

 僕はそんな色彩に彩られた彼女の姿に見惚れていた。


「――イツカ。何故、躱さなかった?」


 僕の眼前には一本の剣。

 それが、寸前で止められていた。


「――いや……、ただ、あんたが美しくて……」


「――馬鹿者!」


 僕の頭蓋ずがいにゲンコツが振り下ろされる。

 それは、脳内を汚濁おだくに染めるには相応しい一撃だった。


「そういう言葉は……な!本気で愛する者に使う言葉だ!」


「僕はあなたを本気で愛しています!結婚してください!」


「ええい!小馬鹿にするのもいい加減にせよ!」


 再び、振り下ろされるゲンコツ。

 へへん!だが、二度は食らわないぜ?

 僕は真剣白刃取りで回避に努める。


「ししょう~。今のあんた、超可愛いですよ!」


 ボンッ。と彼女の顔が爆発した。

 頬は朱に自然と染まり、恋する乙女のように愛おしかった。


「イツカ!……貴様!」


「ドウドウ……、そんなに怒らないで」


「私を愚弄ぐろうするつもりか!」


 輝くような剣が一直線に僕の頭蓋へ目掛けて振り下ろされる。

 僕はそんな致命の一撃に対し、バク転をすることにより、何とか難を逃れる。


「チッ!」


「ひゃい!殺すつもりですか!」


「……あぁ、そのまま死ね!」


 増して辛辣で、何よりです。


「そんな!僕はあんたのことを心の底から愛しているというのに……、何て酷いことを……!」


「よし、分かったぞ!イツカ!

 今から貴様を処刑する!」


 究極きゅうきょくにして絶頂ぜっちょう

 三連撃が僕に襲い掛かった。


「ひぃ!本当に殺すつもりですか!」


「当たり前だ!」


 僕は身体を半回転させることにより、剣閃けんせんから逃れる。

 それでも、師匠は僕の首を諦めていないらしい。

 刹那、稲妻いなずまと化した剣が僕の首へと迸った。


「……し、師匠?あ、あの……?小便をちびりそうです」


 僕は両手を挙げて降参のポーズを取った。

 そんな僕の首元には雷を帯びた剣と皮膚が直に触れ合っていた。


「フンッ。押しているだけで、斬りもせず……

 私も随分と甘くなったものだ」


「ししょう~、愛しています!」


「そのまま、殺されたくなかったら、口を慎め……ッ!馬鹿弟子が……ッ!」


「ひゃい!」


 彼女の名前は“アイリス”

 僕が一方的に師匠と呼び、慕っている冒険者の一人だ。

 そんなアイリスに僕は――『恋』をし、はたまた、その冒険にお供している。


 今まで、色々なことがあった。

 ……ある意味で。

 それは、それは、酷い仕打ちでしたよ。

 こんな風に修行という名目でボコられるとか、料理という名目でゲテモノを喰わされるとか、ね。

 考える限りできりがないね。


 そんなアイリスはかつての魔王討伐の勇者パーティー属していたという異色の経歴を持つ。

 因みに、彼女の仇名は“金色の稲妻”。

 何やら、凛としたその風貌や、その剣裁きからそんな仇名が冠されたような。


 ――閑話休題かんわきゅうだい


 今となって、魔王は討伐され、平穏な日々が続いているが、だからと言って魔物が全滅したわけではない。

 そこで、僕ら冒険者の出番というわけだ。

 ダンジョンを攻略し、できる限りの魔物を排除する。

 もっとも、師匠は別の目的で冒険者稼業を続けているらしいが……。


『イツカ?貴様は――オーパーツを信じるか?』


 ――『オーパーツ』


 古代人たちが残したと言われる――『負の遺産』。

 それは、時に『兵器』と呼ばれ、世界を滅ぼす程の強大な力を秘めているらしい。

 しかし、その全貌は未だ謎に包まれている。

 つまりは世界の――『秘密』である。


 僕たちはそんな世界の秘密を解き明かす為、昼夜を問わず、ダンジョンに潜っては、修行を繰り返している。


「――イツカ。もうそろそろ時間だ」


「――ほえ?もう、そんな時間ですか?」


「……あぁ、陽が沈む」


 凍り付いた大地の上に夕陽が覆いかぶさった。

 その地平線の先から、月光が輝きを呑むように現れる。

 まるで、僕らの行く末を封じかのるようにその情景は暗雲に満ちていた。


「――師匠、ベースキャンプに戻りましょう

 僕が『眠ってしまう』前に」


「もとより、そのつもりだ」


 ◆◇◆◇◆


 修行終わりのご飯はいつだって美味しい。


「――師匠、味付けは濃くないですか?」


「うむ。大丈夫だ」


 そうものを言い、おにぎりをぱくり。


「――このオニギリと言う物は持ち運びにも便利だし、味も格別だな。

 確か、貴様の故郷の料理なのであろう?」


「……えぇ、母の味を真似て作ってみたのですが、その顔なら文句はありませんね」


「うむ」


 いつもの凛とした彼女の顔立ちが、天使のように想えた。

 ……か、可愛い。


「もっと、師匠には僕の住んでいた故郷の料理を食べてもらいたいです」


「構わん。私が作る料理より、貴様の方が優れている。

 やはり、貴様は連れてきてよかった」


「そう、想って頂けるだけで幸いです」


 あぁ、この天使のような美貌に魅かれて、僕はこんな遠くまでやってきたのだ。

 勿論、世界の秘密を解き明かしたいという『願い』もあるが、やはり求めるべきは彼女の『笑顔』である。


 僕は味噌汁を彼女に注ぎ分けると、その横顔を見つめた。

 黄金比率という言葉がピッタリ。

 まるで絵画に描かれた美女のように完成していた。


「やはり、持つべきは弟子に限るな」


「そう言えば、師匠は今まで何人の弟子を取ったんですか?」


「イツカ、貴様で最初だ。

 そして、貴様で最後だ

 これ以上は弟子を増やすつもりはない」


「どうして、ですか?」


「単純に窮屈きゅうくつだからだ」


「ごもっともです」


 彼女に僕以外の弟子がいるなんて嫉妬しっとしてしまうだろうな。

 だって、目の前にはこんなにも美しい絶世の美女がいるんだよ?

 彼女が他の男をつれているなんて、僕は切腹してしまうだろうに。

 それに、世界の秘密を解き明かすとなると、その知識を共有するのは少数で良い。

 多分、二人という数が丁度良いのだろう。


「――それよか、師匠。

 どうして、あんたはそこまでオーパーツにこだわるんですか?

 あんた程の腕前があれば、ゆっくりと余生を過ごすことも可能だったはずだ」


 僕は彼女がオーパーツに固執する理由が分からなかった。

 それ程までに彼女は強いのだ。

 今更、力を追い求めたとしても、得られるものは微々たるものでしかないだろう。

 そんな彼女が大切な余生まで捨てて追い求めるのだ。

 必ず、理由があるはずだ。


 けれど――。


禁則事項きんそくじこうだ」


 と、返されてしまった。


「それに、イツカ。

 貴様が知った所で、無意味だ」


「そりゃ、ご大変で、何よりです」


 まぁ、彼女も彼女なりの理由を抱えているのだろう。

 僕がしつこく聞いたとしても、決して口は割らないと想うだろうが。


「――師匠?」


「――何だ?」


「あなたは何時まで、その生活を続けるつもりですか?」


「死ぬまでだ。イツカ。

 私は世界の秘密を解き明かすまで、私の旅は終わらない」


 僕は味噌汁を一口。

 ……上手い。


「私にとって、魔王討伐など通過点に過ぎなかったのだ。

 私は世界を知るには幼過ぎた。

 故に、私は辛酸しんさんを舐め、結果として冒険者を続けている。

 貴様という私の後継者と共に……な」


 彼女は虚空こくうで拳をギュッ。と握り絞めた。


「まぁ、師匠がそこまで想ってくれているであれば、僕は言うことがありませんよ」


「な!?そ、そこまで私は言っていないぞ!」


 顔を真っ赤に染める彼女に説得力はない、に等しかった。


「ししょう~。やはり、あなたは世界で一番可愛い」


「――クソッ!こんな男を一緒に連れてくるのではなかった」


「そう言われても――もう遅いですよ」


 僕は味噌汁をもう一口。

 ……上手い。


「それに、師匠は僕の料理の腕前を認めてくれましたからね」


 その言葉がきっと彼女には――止めになったのであろう。

 彼女は口角を歪ではあるが、恥ずかしそうに持ち上げた。


「べ、別にそうわけではない」


「はたまた~。

 これでも、師匠には毎度、お世話になっているんですよ?

 優しいし、料理だけでもなく、僕を認めてくれている唯一の理解者じゃないですか

 その人格を否定せず、あなたは何も言わず受け入れてくれた。

 僕がどれほど、嬉しかったか理解ができますか?」


「よし!イツカ!明日は一日中ダンジョンに潜るぞ!」


「って――聞けよ!」


 彼女は両耳を朱に染めながら、おにぎりにむしゃぶりついていた。

 ……まぁいいけどさ。


「――師匠?今日もオーロラですよ」


 僕はベースキャンプの中から身を乗り出した。


 滑降風が降りる果てしない雪原の果てには、虹のカーテンが閃いていた。

 まさしく、星屑と共に煌く光景は絶景である。


 気が付けば、随分と遠くまできたものだ。

 彼女と出会ったあの頃から、そして現在。

 だが、時間というものはどうやら、待ってはくれないらしい。


「……ほう。いつ見ても、美しい光景だな」


「……ええ、まるであんたのように」


 躊躇ちゅうちょなくゲンコツが振り下ろされる。

 それを、僕は無言で受け止めた。


「また、私のことを愚弄するつもりか?……イツカ!」


「いや、違うから!」


 こうして、僕と彼女の日常は過ぎていく。




 ――けれど、僕はこれがいつか終わる夢だと知っていた。




 ◆◇◆◇◆




 ――朝、目が覚めると、いつも泣いている。




 彼女に伝えるべき言葉を言えなかったという後悔。

 それに、また『この夢を忘れてしまうのか』という現実。


「――あぁ、またか……」


 僕は途端に胸を締め付けられる想いに駆られた。


 この『記憶』を忘れたくない。

 ずっとこのままでいたい。

 でも、現実という代物は――『最悪』だ。

 僕が縋る『希望』さえ、奪ってしまうのだから。


「また、“彼女”にあしらわれちゃったな」


 僕は汗ばんだTシャツを扇ぐと、ベッドの淵に腰かけた。


「そう現実は如何に夢でも上手くいかないや」


 僕は零れる涙を拭き取った。


 こんなにも、切ない気持ちに駆られるなら――。

 こんなにも、悲しい気持ちに駆られるなら――。

 これ以上――『夢』を見せないで欲しい。

 どうせ――『忘れてしまう』のだから。

 夢は夢のままであり続けて欲しい。

 けど、そんな願いすら許されない世界なのかな?


 僕は近くにあるタオルを手に取ると、零れる汗を拭き取った。


「今日も学校か……」


 憂鬱な日常が始まる。

 僕がもっとも忌み嫌う――『日常』

 同時に学校は嫌いだ。

 だって、“奴等”がいるから……。


 僕は所謂、いじめられっ子だった。

 スクール・カーストの底辺に位置する僕はその毎日を罵倒やリンチにより、脅かされ続けている。

 まぁ、風紀が乱れているといっても過言ではない。

 どこの世紀末かな?


 けど、未だににそんな学校は実在する。

 僕が通っている学校は偏差値が低いせいか、そんなゴロツキ共が集まるのだ。

 だから、僕は自分の頭の愚かさをこれまで呪ったことはない。

 コミュ障だという理由も一理、挙げられるが、理由はそれだけではないらしい。

 容姿は凡人以下と自他する僕が言うのだ。

 イケメンであったら、必ずスクール・カーストの頂点に君臨できたはずだ。

 こんないじめを受ける必要性もなかったはずだ。

 でも、現実はキャラメイクし直すことは決してできない。


「はぁ……、あれこれ悩んでも無意味か……」


 僕は制服に着替えると、用意したはずのバックを手に取った。

 どうせ、今日もリンチや暴言に費やされるだろう。

 綺麗にしても汚されるなら、無意味だろ?

 だったら、僕は汚いままでいい。


 僕は孤独な部屋を抜けると、玄関の扉を叩いた。



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