第2話 コンビニに行きたかった、ただそれだけ

 季節柄、そこまで寒くないだろうと高を括り、上着を置いたワイシャツ姿で近場のコンビニを目指す。近道の公園を通り抜ければ到着するそこへ、端末と財布をスラックスのポケットに突っ込み出掛けた。

 思っていたより肌寒かった夜風は案外堪えて、上着に思いを馳せる。頭上を煌々と照らす月明かりを頼りに、静かな公園へ踏み込んだ。



 歩いてしばらく、がさり、耳についた葉擦れの音は突然で、嫌に大きかった。「何だ、猫か……」と言いたい心境にさせる。


 何だ? 不審者? 危ない人? 警察呼ぶ? いややっぱり猫だろ。ぐるぐる回る胸中が、恐る恐る背後へ首を回させた。振り返った先の茂みが、再びがさりと音を立てる。例えるなら、……乱雑に葉を踏み締める音だろうか?

 思わず豊かな想像力が暴走してしまい、内心舌打ちする。じりじり、後ろへ下がった。


「あーーーーーーーーーーー」


 肉声のような、空洞に温い風が吹き抜けるような、……何の声? 心音がうるさい。

 背中が触れた、硬い感触。こんな道のど真ん中に、遊具はない。そもそもここは森林公園とか散歩やランニングに向いている公園で、そういった玩具はもっと奥にしか設置されていない。


 錆びついた機械のようなぎこちない動きで、恐る恐る背後を見遣る。黒いのっぺりとした筒状のなにかが、顔らしき部分に口だけを添えて、こちらを見下ろしていた。


 咄嗟に駆け出し、叫ぼうと口を開く。けれども音の詰まったそれは引き攣った音しか漏らさず、無意味に口を開閉させることしか出来なかった。


 後ろで聞こえた、ぱきぽきとした関節を鳴らすような音。振り返ると、蜘蛛の脚のようなものを生やしたそれが、這うようにこちらへ迫っていた。当然俺はパニックに陥っていて、誰だよこんな悪趣味なやつ設置したの! 最近の若者か!? 内心支離滅裂な雑言をぶちまけていた。



 余所見をした弊害だろう。お約束のように転んだ俺は、お約束のように腰を抜かしてしまい、情けなくも尻餅をついた体勢でずり下がることしか出来なくなっていた。

 どうせなら、お約束のように誰かがかっこよく助けてくれたらいいのに……。空笑った胸中が、間近に迫ったのっぺりとした顔に震える。


 何で今日に限って、車が一台も通らないんだろう? この時間帯なら、いつもはもう少し人がいるはずなのに。ああそうだ、警察。

 頭の中は喧しいくらい独り言を訴えるのに、強張った身体が言うことを聞かない。


 黒いものに張り付いた人の唇のようなものが、にっこりとした笑みの形を作る。次の瞬間には人にあるまじき大きさまで開かれるのだから、上がらない悲鳴が喉の奥に張り付いた。

 真っ黒い咥内に並んだ無数の鋭い牙が、壁面に合わせて収縮している。俺の死に様、こんなわけわからないんだ。ごめん、お袋。走馬灯が走った。


「はあッ!!」

「ああああああああああああ」


 見開かれたまま涙の溜まった視界に、一閃の閃光が走る。絶叫を上げた黒いものがのたうち、再び一閃が煌いた。どぷん、ゴムの膜が弾けるような音を立てて、黒いものが萎む。真上から突き立てられ長剣に、一度のたうった黒いものが、蒸気を上げながら消滅していった。


 呆然としたまま固まる俺の前で、月明かりを弾く長剣を手にした青年が、静かな仕草で鞘へ仕舞う。彼の目がこちらへ向けられた。見たこともない服装の青年が、こちらへ迫ってくる。


「救出が遅れたこと、誠に申し訳ございません、主君」

「………………は、い?」


 俺の前で恭しく片膝をついた青年が、中世の騎士がやりそうな仕草で頭を下げる。ただただ困惑と動揺でいっぱいの俺は、逃避した意識の中で、彼の顔を何処かで見たことがある気がしていた。


「…………レオン、ハルト……?」

「はい! レオンハルトです、主君!」


 ぱっと表情を輝かせた青年が、耳に心地好い声音で微笑む。こちらへ差し出された手を無意識に掴み、優しく立ち上がらせられたそれに何度も瞬いた。


 待って? 俺、いつから夢見てるんだ? コンビニ目指していたのは幻? 今、寝てるのか?

 いやいや、ないない。彼はソシャゲの住人だ。現実とかないない。俺は今幻覚を見ている!


「……あの、助けていただいて、ありがとうございます……。それじゃ、俺、急いでいるんで……」

「……、主君」


 そそくさと目線を下げ、黒いのがいた場所を避けて、自宅を目指す。急ぎ足の俺を、ファンタジー世界の住人が呼び止めた。


「主君は、境界を越えてしまいました。……残念ですが、お戻りになることは出来ません」

「いや、知らね知らね。俺明日も仕事あんだよ。さっさと風呂に入って寝て、明日は――……」


 公園の出入り口に差し掛かったところで、いきなり目の前を黒い手形がべたべたと覆った。硝子を叩いたような騒々しい物音に、俺の心が死ぬ。景色が手形の形に塗り潰され、先が見えない。折角立ち上がったのに、再びへたり込んでしまう。


「主君、ここにいては危険です」

「何が!?」

「あれは主君を狙っています。……私が、命に代えてもお守りしてみせます」

「だから何がだよ!? おいこらッ、下ろせ!!」


 見た目優男に担ぎ上げられ、すっと血の気が引く。待て待て、ないない。そんなお姫さんみたいな立場に俺がいてたまるか!


 思い出したのは、さっきやったゲームのイントロがこんな感じの内容だったことと、俺の最後の通信履歴があほしかしていないことだった。

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