渇穴(かけつ)

倉田京

舞子

 その集落には古い井戸があった。井戸には名前が付いており『渇穴かけつ』と呼ばれていた。渇穴かけつは山の中腹にあり、すぐそばに小さなやしろが供えられていた。その井戸が何時できたのか、何のためにできたのか、昔から住む人々ですら誰も知らなかった。ただ、一つ言い伝えがあった。それは『死んだ者を中に入れると生き返る』というものだった。


 昭和のある年の寒い冬、集落の中で一番大きな家に女の子が生まれた。その地域では子供の名前に『か』と『け』と『つ』を入れないという風習があった。女の子が生まれた家もそれに習い、舞子まいこという名前をつけた。

 舞子は白く美しく育っていった。陶器のように美しい肌と、整った顔立ちに、集落の若い男性全員が魅了された。


 十七歳の夏、舞子は外から来た男と恋に落ちた。一生添い遂げる気持ちで、彼女は全てを捧げた。しかし二人の間に子供ができたと知るや否や、男は態度を急変させ、舞子の元から去って行った。

 悲しみの中で舞子は一人の男の子を産んだ。そして周囲の反対を押し切り、その子に和樹かずきという名前をつけた。それは彼女なりの周りの人間に対する反発だった。独り身のまま子を産む彼女に対して、周囲は冷たい視線を向けた。憧れの裏返しからか、とりわけ同年代の男性からの冷遇れいぐうは厳しかった。


 しかし生まれてから一年ほど経った秋、和樹は重い熱病におかされてしまった。持って三日という医者の見立てに舞子は絶望した。どうして…。息子を心の支えとしていた彼女にとって、それは自らの死よりもつらい宣告だった。

 死なせたくないと願う舞子にある考えが浮かんだ。渇穴かけつ…。舞子は病院から赤ん坊を連れ出し、その井戸へと向かった。わらをもつかむ思いだった。度重なる辛い経験が舞子の判断力を奪っていた。彼女は人知を超えた存在に助けを求めようとした。

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