第85話カワイイ俺のカワイイ来店③

「ええっと……、なんか、こういうユウちゃんみたの、久しぶり」


 カイさんはそう言って、嬉しげにはにかんだ。

 キュンと縮んだ心臓。思わずうぐっと目を瞑ると、すかさず拓さんが「うわあーお、連れてきたかいがあったよ」と茶化してくる。


「カイさんってこーゆー先輩も好きなんですねー」

「ちょっ、あいら……!」

「うん、可愛いと思うよ。でもやっぱり一番は、いつもの自然体かな」

「カイってなんだかんだ欲張りだよね」

「え? そ、うですか?」


 拓さんの言葉に、カイさんがたじろぐ。

 けれども俊哉が親のような表情で、


「俺としては、全部のユウちゃんを受け止めてくれてるみたいで、安心しました」

「おれはユウちゃん先輩もカイさんも羨ましいですー」


 ぶう、と頬を膨らませ睨め上げてくる時成を「はいはい」とあしらって、無事にミッションクリアを得た俺は「じゃ、アイス作ってきます」とその場から離れた。


 カイさんが急に来店してきた時にはどうなることかと思ったけど。

 楽しそうにしてくれているし……何より棚ぼたな"告白"も聞けたしで、案外良かったかもしれない。


 ふわふわとした足取りでパントリーへと踏み込むと、先客がいた。コウだ。

 アイスクリームディッシャーで丸めたバニラアイスをそっと小皿に乗せると、俺に気付いて「あ、先輩……!」と急いで飾りのパイを添える。


「アイス、作っておきました! どうぞ!」


 やばい。眩しい笑顔に涙が出そうだ。

 あの席で捕まっている俺を案じて、用意してくれたのだろう。


「ありがとな、コウ。ついでに頼んでもいいか?」

「はい! 何でも言ってください!」

「そのアイス、カイさん達の席に届けてほしい」

「え? 先輩のお知り合いなのに、いいんですか?」

「ああ、さっき大分時間かけちまったし……」


 また行くと、変に絡まれそうだし。

 そんな本音は華麗に飲み込んで、


「そろそろトシキさんトコに水持っていかないとだから、ついでに他のお客様のトコも回ってくるよ」

「わかりました! じゃ、じゃあ、力不足だと思いますが、いってきます……!」

「うん、頼んだ。拓さんに何か言われたら、適当に流しておけばいいから」


 コウのお盆にデザートスプーンを乗せ、「よろしくな」と送り出す。

 十中八九拓さんに絡まれるだろうが……まあ、時成がいい感じにコントロールしてくれるだろう。

 なぜなら時成も、俺に負けず劣らず、コウを気に入っているからだ。先輩顔で"意地悪"はしても、本当に"傷つける"領域には踏み込まないよう、周囲にも目を光らせている。


 水の入るピッチャーを手にホールへ戻ると、やはりコウは拓さん達にいじられているようだ。だが嫌がっている様相ではないから、暫く任せておいて平気だろう。

 よし、と切り替えた俺は、宣言通りトシキさんの元へ向かった。


「トシキさん、お冷継ぎ足しますね」


 皿の上に残るカレーは残り三分の一程度になっている。

 トシキさんは「ふ、はひはほ」と急いで咀嚼すると、グラスに残る水を一気に飲み干した。

 別に、そんな急いで無くさなくてもいいのに。

 勿論、口に出すなどという初歩的なミスはしない。差し出されたグラスを「ありがとうございます」と恭しく受け取る。


「……あの、さ、ユウちゃん。一個訊いてもいい?」

「はい、なんですか?」

「その……コウちゃんとあいらちゃんがいる席の、向かいの人。仲良いんだよね?」


 一瞬、傾けたピッチャーが動揺で揺れた。


(落ち着け。あれだけ絡んでいれば、知り合いなのは一目瞭然だ)


 カイさんとの関係に気づかれたワケじゃない。

 綺麗な微笑みを貼り付けた俺は「ええ。二人とも、仲良くしてくれていて。今日はあいらに呼び出されたみたいです」とグラスを机上に戻した。

 スプーンを皿に置いたトシキさんは、数秒の逡巡を挟み、


「んーとさ、あの……手前の黒髪くん、紹介して貰うのって難しい?」

「……え?」


 いま、なんて?


「イヤ、わかるよ! 個人情報ウンヌンとか厳しいの! 俺も接客業だし。だから連絡先とかじゃなくって、ちょこっと話してくれるだけでいいから! このとーり!」


 まるで土下座をするかのように両手を机上につき、頭を下げるトシキさん。

 本当なら即座に止めるべきなのに、"カイさんを紹介してほしい"と言われた事実に、上手く頭が回らない。


 嫌な感じだ。ついさっきまで心地よかった頬に当たる涼風が、妙に冷たい。

 当惑の渦から必死に這い出て、「……どうして、そんなに紹介して欲しいんですか」と絞りだすと、トシキさんは顔を跳ね上げあからさまに狼狽えた。


「あーっとさ、今、カットモデル探してて……。そう! 秋向けのスタイリングで写真撮って、店頭に張り出したいんだよね。ユウちゃんも見たことあるでしょ? あーゆー感じの! でさ、あの彼、すんごいイメージにピッタリなんだよ!」


(……嘘、だな)


 彷徨う瞳に、今思いついたような言い回し。"下手"を通り越して、果たして隠す気があるのすら疑いたくなる。

 だが俺には「嘘ですね」と切り捨てられない。なぜならトシキさんは大切な"お客様"で、まだ、ルールを破ってもいない。


(あー……やだな)


 どれだろう。さっきのコウに向けた微笑みが刺さったのだろうか。はたまた、単純にまるっとタイプだったのか。

 心臓が鉛のように沈んでいくのを感じながらも、俺は"ユウ"としての柔い苦笑を向けた。

 俺の早とちりだといい。だってまだ、トシキさんは"勘違い"をしている。


「トシキさん、あの……すっごく言いにくいんですけど」

「やっぱ駄目!? あっ、じゃあ、名刺渡してくれるだけでも……」

「あの人、女性ですよ」

「……へ? え……じょ、じょせい?」

「はい」

「あんなに格好いいのに?」

「あんなに格好いいのにです。ちょっと"訳アリ"で」


 トントン、と自身の顎先を示すよにつついてみせると、トシキさんは数秒おいてハッとしたような顔をした。

 この秋葉原で仕事をしているのだ。きっと、この界隈の事情だってそれなりに把握しているのだろう。


「ああー、そっかあー。ビックリだなあ」と興味深そうに呟きながらカイさん達へと視線を遣り、「あのお隣さんも?」と首を傾げる。

 俺が声なく首肯すると、「はあー」と再びしげしげと眺め始めた。


 諦めてくれたかな。

 トシキさんが俺へと向き直る。眉根を寄せ「ううーん」と悩みだしたかと思うと、突然、鞄を漁り出し、


「やっぱり、名刺だけでも渡してくれないかな? 本当は俺が直接行きたい所だけど、お客さん同士の接触って、なにかと面倒でしょ?」


 両手を勢い良く合わせて「ね! お願いしますユウちゃん様!」と食い下がられては、拒否も出来ない。

 心中では不承不承、表面では仕方なさそうに名刺を受け取り、「一応、事情は伝えてみますと」とカイさん達の元へと向かう。

 一瞬、受け取らないで欲しいななんて過ぎってしまったが、これぐらいの嫉妬は許してほしい。


「あ、先輩!」


 俺に気付いたコウが振り向く。

 散々遊ばれていたようで、明らかな安堵を浮かべる瞳には、うっすらと艶めく涙。


「……ウチの可愛い後輩をイジメないで下さい」

「んー? だって、反応がいちいち可愛いんだもーん」

「だもん、じゃないです。……あいら」

「だ、だいじょーぶですーっ! "いつも通り"の範囲ですー!」


(……なら、いいけど)


 時成がそう言うなら信じてやろう。

 嘆息した俺は「ありがとう、コウ。別のとこお願い」とコウを逃してから、カイさんを見据え、手にした名刺を机上に置いた。

 カイさんが不思議そうな顔で見上げてくる。


「あそこ……パントリー前の席に、赤髪の人がいるのわかります? あの人、ちょっと離れた裏路地にあるサロンの美容師さんなんですけど、どうしてもこれをカイさんにと」

「わーお、まさかこんなトコロで"あちらのお客様に"が見れるとは」

「拓さん、ちょっと黙っててください。……美容師さん? どうしてオレに?」

「……カットモデルをお願いしたいみたいです。写真を撮って、店外に張り出したいとも言ってました。男性だと思ってたんで女性だと伝えたんですが、それでもと」

「ユウちゃん」


 ハッキリとした声は俊哉のものだ。

 視線を遣ると、眉間に深い皺。


「いいの?」

「あー……まあ、"名刺を渡すな"なんて店の規定にないし……」

「そうじゃなくて、カイさんがカットモデルするの。店外に写真も貼るんでしょ? そしたらファンも増えて、もっと忙しくなっちゃうかもだよ?」


(……わかってるよ)


 けれども「断って下さい」なんて言えない。だってそれはただの"嫉妬"だ。

 心が狭すぎて、かっこ悪い。


「カイさんへのオファーなんだから、選ぶのはカイさんだ。俺が口出しできるコトじゃない」

「……素直じゃないなー」

「なんか言ったか? あいら」

「いーえー? おれは先輩と違って"大人"じゃないのでー」


 時成の口調はなんだか刺々しい。

 なんだ。どうしてこう、俺が悪者みたいな空気なんだ。

 俺は薄く目を閉じ心を静めてから、カイさんへと向き直る。


「どうしますか? カイさん。名刺も受け取れないようだったら、いい感じにフォロー入れて返してきますけど」


 半分期待を込めて拓さんを見遣ると、ニコリと笑って「ウチの"規定"なら平気だよー。彼は"客"じゃないしね」と片手を上げる。

 こうなっては、本当にカイさん次第だ。

 俺の予想としては、おそらくカイさんは"ユウ"の顔を立てるべく名刺だけは受け取って、モデル云々は断るだろうと踏んでいる。


 だって"カイ"さんは本当に忙しいし、"彼女"もそういった形で目立つのを好まないタイプだ。

 注目の的となったカイさんは、机上の名刺へ視線を落としたままだ。と、突然、背後ろに置いていた小型のクラッチバッグを手にした。

 探るような手元。二つの瞳が静かに、だがしっかりと俺を捉える。


「……これを渡して貰えるかな」


 そっと机上に乗せられた、一枚のカード。"カイ"さんの名刺だ。俺の困惑を代弁するかのように、時成が「え……」と呟いた。

 場の空気が張り詰める。鋭い彼女が、気づかない筈はない。

 なのにカイさんは俺の当惑も受け流したまま、いつもと変わらない、柔和な笑みを浮かべた。


「よろしく、"ユウちゃん"」


 急激な喉の渇きを覚えながらも、俺はただ従順に「……はい」と受け取った。

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