第50話カワイイ俺のカワイイ調査⑫

「っ、カイさんストップっ」


 小声ながらも切羽詰った静止に、カイさんが足を止め振り返る。


「これ、忘れてました」


 これ、とは腰に巻いていたカイさんのカーディガンだ。

 すっかり忘れていたと慌てて取り外そうとする。と、手元に落ちた薄い影と、耳横にカイさんの気配。


「駄目」

「っ!」


 囁かれた距離に、大げさに肩が跳ねた。

 緊張と驚愕に止まる手。それに満足したのか、すっと遠のいた気配を追うように、視線を上げた。

 カイさんは優しい眼差しで、


「家、ついたら外していいよ。それは好きに処分して」

「っ、そ、んな」

「またね、ユウちゃん」


 手を振って、カイさんは今度こそ背を向け歩き出した。

 丁度のタイミングでフロアの反対側から戻ってきた吉野さんに片手を上げ、足を止めることなく一言だけ告げると、店の扉を開ける。

 カランと響く乾いたベルの音。呆然と立ちすくむオレへと投げられた視線。


「!」


 ふわりと穏やかに瞳を緩めて、唇が音無く言葉を作る。

 『きをつけて』、だろう。最後にもう一度涼しげな笑みを作ると、扉の向こうに消えていった。


 魔法が解ける合図のように、再びカランと揺れるベル。こちら側のフロアで一連を目撃していた女性客達が、各々頬を染めて色めき立つ。


「……ああー、もう」


 へたりと力なくソファーへ座り込み、机に両手をつき額を乗せた。

 あんなの、反則だ。俺の顔は見事に真っ赤だったに違いない。


 触れてしまいそうな距離も、意図的に落とされた"全力"の声も。そして最後に向けられた、"あからさま"な表情も。どれをとっても"完璧"で、実に現実味のない"夢"の集大成である。


 女の子はアレくらいでは、"勘違い"などしないのだろうか? それとも、"俺"なら大丈夫だと踏んでの上なのだろうか?

 それなら読み違いもいい所だ。今の俺に残されたHPは、爪楊枝よりも細い。


「カイのお皿とか、下げちゃうね」

「……吉野さん」


 いつもの調子と変わらない声に、のそりと顔を上げた。

 さすが下の名呼びの友人なだけある。吉野さんにとっては先程のカイさんの"攻撃"など、取るに足らない"通常"なのだろう。


「なんなんですかカイさんって天然タラシなんですかこれまで一体何人が倒されてきたんですか」


 一息に言い切った俺に、吉野さんは目を丸くして、


「ありゃ、こりゃまた随分とダメージが大きいみたいね」

「もう立ち上がる気力すらありません……」

「たったの三十分でしょ? そんなんでへこたれててどうするの!」


 パシリッ! と勢い良く背を叩かれ、「いっ!?」と反動で起き上がった。

 思わず、だったようで「あ、ゴメンね!」と謝罪を口にした吉野さんは、次いで「んーそうねー」と顎先に指をあて、考える素振りをする。


「天然タラシってのはあるかもだけど、それなりに上手くやってるみたいよー。そこまで大きなトラブルは聞いたコトないし」

「そこまで……」

「そりゃまぁ、恋愛詐欺まがいな商売やってんだから、多少のトラブルはつきものでしょ」


 恋愛詐欺まがいって……。

 反論は出来ないが。


「あたしもちょっと心配で訊いたコトがあるんだけど、どーも相手が本気っぽいって察知したら上手く躱してるみたいね。そうすると向こうもそれとなく察知して、離れていくと」


 想像して、つくんと心臓が痛む。


「……なら僕は」


 視線が下がってしまうのは、架空の"その子"に、自分を重ねているからだ。


「まだ、"本気"だとは思われていないんですね」

「……そうね。少なくとも、あの子の中でユウちゃんを"切る"って選択肢がないのは確かね」


 カイさんの"特別"になりたい。

 だが本気だと気づかれてしまったら、カイさんは俺を遠ざけようとする。


 例え"客"として通い続けても、カイさんの心は高い高い壁の向こう側で。壊すことも越えることも許されない強固な拒絶に、耐えられなくなるのは、確実に俺の方だ。


 想いを告げる、という事は、同時にそれまでの関係を終わらせるという事でもある。

 上手くいけば望んだ距離が、いや、それ以上が手に入る。けれども、上手く行かなかったら?


 二度と、カイさんと会えなくなる。


「……それなら」


 ギュッと握りしめた掌。


「……今のままの方が、いいのかもしれません」


 このままの距離を保ち続ければ、カイさんは俺が内に秘めている恋情には、気づかずにいてくれるのだろう。


 ちょっと変わってて、気張らずに対応できる"やりやすい"客。

 それでも、十分じゃないか。


 いま許されているこの距離を、笑顔を。共に過ごせる僅かな時間さえ、失ってしまうくらいなら。

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