第37話カワイイ俺のカワイイ自覚⑧

「……ああ、そうだよ」


 煮えきった鍋から湯が溢れるのは一瞬。

 押さえつけていた熱が、身体中に巡っていく。


「俺は、カイさんが、好きだ……っ!」


 半ばヤケで吐き出した感情は、ドラマや漫画で見るような甘い雰囲気など微塵もない。

 荒々しくて、不格好。神経の全てを支配する例えがたい感覚の吐露に、時成はほっとしたように目元を緩めた。


「それを、捨てられますか」

「っ!」


 紡ぐ声は穏やかだ。


「先輩が俊さんのコトを大事に思っているのは、良くわかっています。けど、それは俊さんも一緒です。先輩が自分の感情を投げ捨てて"目的"を達成しても、俊さんは絶対に、喜びません」

「っ、それは……俊哉には、言わなければ」

「気づかないと思いますか? 確かに、俊さんは少し抜けたトコロがありますけど、先輩の"変化"を見逃すような人じゃないです。ましてや、"頑張って隠す"なんて。そういった類には、むしろ、誰よりも敏感なんじゃないですか?」


 言われて、そうだったと思い出す。

 そんなコトも気づかないのか、と嘆息するのはいつだって俺だが、俺が迷った時や本当に弱った時には、いつだって俊哉がいち早く気づいた。


 理由は問わず、ただいつもと同じ少し情けない笑顔で、とりとめもない会話を紡ぎながらじっと隣に位置していた。俺から話すのを、待つように。


 虫一匹殺せないほど温和で、激昂する姿は殆ど見たことがない。記憶にあるうちの八割は、無茶をした俺への叱咤だ。

 普段、怒らないヤツ程キレると怖い。


 俊哉の場合は怖いというか、ねちっこい。正座させた俺に正論を小一時間叩きつけて、最後には「反省するまで絶交だから!」と言い置いて、口もきかない目も合わせない。

 喧嘩の仕方が、舌っ足らずの幼少期から変わっていないのだ。


 無視する俊哉にひらすら謝り続けて、『もう勘弁してくれ』と俺が心から音を上げるタイミングで、見計らったかのように許される。

 大体、期限付きの絶交ってなんなんだ。だが言ってしまえば更に面倒な事になりそうで、言えないままでいる。


 その、俊哉だ。


 核心までは辿り着かなくとも、俺の変化には気付くだろう。

 そしてもし、俺の隠す理由を知ってしまったら。きっと今回は、自身をないがしろにした俺への叱咤だけでは済まされない。


 『きっかけを作ったのは自分だ』と。俊哉は己を責め続けるだろう。下手すれば一生、許すこと無く。


「……」


 想像して、そんな簡単な事すら忘れていた自身に、嫌気がさす。

 結局、全て俺が悪い。何が何でも、少なくとも"目的"の達成までは、"好き"だなんて感情を抱いてはいけなかった。


 けれど、もう遅い。

 時成の言う通り、自覚してしまった今、無かったことには出来ない。

 とはいえ俊哉との約束を違える事も、傷つける事も、したくない。


「……俺は、どうしたらいい」


 グルグル回る思考の渦に酔いそうだ。

 腿に肘をつき弱々しく零した俺に、時成がニヤリと口角を上げる。


「何言ってるんですか、先輩。簡単じゃないですか」


 腕を組んで不敵に見下ろす姿に、嫌な予感。


「オトしたらいいんですよ。"オトモダチ"じゃなくて、"コイビト"になっちゃえばいいだけです」

「こっ!?」

「"コイビト"になってしまえば先輩も幸せ、俊さんも安心。由実ちゃんも予約なんて気にせず会えて皆がハッピーですー」


 時成は名案だ、とでも言うように両手を上げてみせるが、ちょっと、開いた口が塞がらない。

 何を言っているんだ、と思う一方で、確かにそれしかないと納得する自身もいる。

 頭の中で戦う小さな俺達。その片方を、時成が援護する。


「『こんなにカワイイ"オトコの娘"なんだ。楽勝だろ』」

「!」

「ユウちゃん先輩が初めてカイさんの話しを聞いたときに、言ってた言葉ですー」

「あれはっ、"オトモダチ"って話しで」

「そんでユウちゃん先輩のモットーは? はい、先輩どうぞ」

「……やるからには完璧に」

「ピンポーン! せーかいですー」


 俺の唸り声を物ともせず、時成が褒めるように手を叩く。

 刹那。胸中で、何かが弾けた。

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