第16話カワイイ俺のカワイイ不安⑥
「人多いし、気をつけて帰ってね」
カイさんがスッと上体を起こす。
「っ、はい。それじゃあ、また」
「またね。拓さんには今日ユウちゃんに会ったって、自慢しとく」
手を振るカイさんに手を振り返して、俺は駅へ向かうべく歩を進めた。心臓はまだうるさい。
通りの角を曲がる前に、一度だけチラリと振り返ってみた。まだそこで佇んだまま見送ってくれるカイさんが、にこやかな笑顔で再び手を振ってくれる。
今までもこうして、姿が見えなくなるまで見送ってくれていたのだろうか。そう思った瞬間に、キュウッと締め付けられる胸。
いやいや、だから。これは客の尾行を避ける為で、皆にやってることなんだ。
俺は会釈を返して、早足気味に角を曲がった。
何かがおかしい。正体がわからないにしても、この感情は"目的"に不要なモノだ。それはわかる。
混乱に、薄汚れたアスファルトを見つめながら路地を進む。それでも迷わないのは、この立地がすっかり馴染んでしまっているからだ。
「ユーウちゃん」
不意に届いた声。ビクリと肩が揺れ、足を止めた。
驚愕に顔を跳ね上げる。だって、この声は。
「っ、拓さん」
夕焼けを背に、ヒラヒラと片手を振る拓さん。唖然とする俺にいつもの笑顔を浮かべたまま、目の前まで歩を進めてくる。
細身のジーンズに、首元がゆるく開いたカットソーと長いカーディガン。カイさんの口ぶりも考慮すると、"仕事中"では無いことは明らかだ。
「こんなトコで、何してたんですか?」
「んー、ユウちゃんに会えるかなって思って」
(ってコトは、"偶然"じゃないな……)
俺達があの店を懇意にしている事も、知っているのだろう。とはいえ、それから俺の帰路を予測して待ち伏せているなんて、博打もいい所だ。
だがそれはつまり"それだけ"、俺に会う必要があったという証明になる。
「……何か、ありました?」
「何かってワケじゃないんだけど、ちょーっと個人的なオハナシがしたくてね」
嫌な予感がする。
俺の焦燥を煽るように、拓さんは瞳を細めてゆるりと口角を上げた。
逃がさない。そう、無言の圧をかけるように。
「他の人とはなーんか違うなーって思ってたんだけど、やっぱり人気モノだったんだね。"めろでぃ☆"ナンバーワンの、ユウちゃん?」
「!」
バレた。店名まで特定されていては、言い逃れは出来ない。
さぁ、どうする。
別に、"同業者"が客となってはいけないなんてルールは無かった筈だ。単純に興味があっただけだとしらを切れば、それ以上の詮索は不可能だろう。
拓さんの本意を探るように、全神経を研ぎ澄ます。
まだ、ここで。こんな中途半端な状態で、ゲームオーバーには出来ない。
猫ならば、まさしく全身の毛を逆立てている状態。そんな俺に拓さんは、ブハッと吹き出し、
「アッハハ! やっぱユウちゃん面白いね! そんなに警戒しないでよ」
息を詰めた俺に、拓さんは目尻を拭いながら、
「カイには内緒にしててほしい?」
「……はい、って言ったら、黙っててくれるんですか」
「うん、いいよ。その代わりってーのもなんだけど、お願いがあるんだよね」
「……お願い?」眉を顰めた俺に、
「"めろでぃ☆"に行きたいんだよね。ユウちゃんが働いてる時に」
「なっ」
人差し指を口端に添えて「ね?」とお伺いを立てる拓さんの笑顔は、相変わらず軽薄で真意が掴めない。
(……これ以上探っててもらちがあかない、か)
提示してくれる"カード"は、これで全てのようだ。
諦めた俺は渋々、
「……いいですよ」
「おっ、ヤッタ! いついる?」
「直近なら明日と、火曜と木曜の十五時以降に」
「んーそっかぁ……。んじゃ火曜にしよっかな」
「わかりました。ウチは予約制ではないんで、お好きな時に来てください」
「ん、りょーかい」
目的はこれで全てらしい。軽く敬礼のポーズをとった拓さんは、「あ、駅まで送ろうか? 危ないでしょ」と覗き込んできた。
「まだ明るいですし、平気です」
俺は丁重に断りを入れる。
真意が見えない今、これ以上の不要な会話は危険だ。
「じゃあ、失礼します」低頭した俺に、
「ハイハーイ。変質者に気をつけて」
待ち伏せしてた拓さんもギリギリラインだな、という皮肉はキチンと飲み込んで、俺は背を向けた。が、
「あ、そうそう」
届いた声に振り返る。
と、半分以上が朱色に染まりつつある空を背景に、何処か寂し気な笑みがかち合う。
「……今日オレと会ったことも、カイには内緒にしておいてね」
元よりカイさんに告げる気はない。「……はい」と頷いたオレに、拓さんは安心したような顔をした。
その表情に疑問を抱きつつも、俺は会釈をし、今度こそ歩き出す。
こうしてオレと会っていたと知られると、カイさんと一悶着するから面倒、という意味なのだろうか。
なんとなく、別の意図が隠れている気がするが。
(……とにかく、火曜か)
ボロを出さないよう、上手くやるしかない。
それとあと、カイさんの予約もだ。重い息を吐き出して、何となく後方を振り返った。
既に人の姿はない。茜色の空だけが、ただ、俺を見送っていた。
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